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int main(){

人は人を支配して富を得る。19世紀初頭に栄華を極めた帝国主義は自国の外側にある他国を植民地として獲得し自国の繁栄を他国に強要させた。このような不平等な力関係を一方的に結ばせることが彼らのやり方だ。しかし、それで得られる富とは一体何者だろう。そして帝国時代の繁栄をもって、国民へ行った厳しい労働による苦痛を臣民となった彼らは忘れてしまったのだろうか。

 

 僕は女が好きだ。こんなことを表立って発言すると顰蹙を買うかもしれない。でも僕は誰からどう言われようとこれは曲げることはできない。そもそも生まれついた頃から女が好きだったのだからしょうがない。小学生の頃はいつもテレビに出てくる女優の顔の造形に僕は何度も心惹かれたし、街角で美人の女性を見かけると彼女の顔を目の端で凝視するほどには執着があった。だから父親が不細工な母と結婚したのが分からなかった。そんな僕だから女体にも興味を示し始めた。なぜこんなにも心惹かれるのだろうか。だからと言って巻頭のグラビア見たさに青年誌を買って家に置いて両親に見つかるとどんな顔をされるか、そんな恥ずかしいことは僕にはできなかった。


だからいつも書店に行って漫画を読むふりをして巻頭ばかり見ていた。高校や大学で彼女がいたことはあってもそれは一時の凌ぎに過ぎず、より顔とプロポーションのいい女ばかりに目がいってしまうためことごとく彼女からは見放された。そんな僕も社会人になった。とするとこいつはどんな異常者で、こんなやつを社会に放逐して良いものかと思われるかもしれないがそれについては大学4年の時に、ある彼女と出会ったことを話さなければならないだろう。

 

 それは暑い夏の日のことだった。僕は大学を卒業するために論文を書いているところだった。


僕の入っている研究室は先生の機嫌によって卒論の良し悪しが決まってしまうという変なところだった。そもそも年度末は卒論の提出に先生が追われてしまい不機嫌が続くことは目に見えていた。そうなると提出期限ギリギリまで卒論を直さなければならなくなる。だから早めに作っておいて機嫌のいいうちに卒業を決めてしまおうと思ったのだ。


就職活動は可も不可もなく、まあまあの地元の会社に内定が決まっていた。その内定者懇談会が終わってまた大学に来て作業しているのだが、こんな夏にスーツを着ているとどうしても汗でインナーのシャツがびっしょりと濡れてしまい肌という肌に張り付くのだ。その不快感に僕は耐えられなくなって、家に帰ることにした。早めに帰宅をして夕方ぐらいからビールを飲んだらどんなに気分がいいだろう。そう思って近くのスーパーで安酒とつまみを買って意気揚々と帰ったのだが困ったことに家の扉の前に高校生ぐらいの女の子が座っているのが見えた。切れ長の瞳に少しの寂しさと悲しみを湛えていた。最近でいうストリート系みたいなボーイッシュな服と相反するように金色の長い髪のかっこよさと女性性の両立。男と女のはざまで揺れ動く思春期から抜け出せていないみたいな中性的な顔の造形に、僕の脳はやられてしまった。こんなに完璧な人を僕は見たことがなかった。僕は女性が好きなのではなく、男性と女性のはざまの女性よりの人が好きなのだと気づいた。よく観察すると最近流行りの地雷系っぽい雰囲気なのだが、それにしては着ている服と顔の造形が雰囲気と相反しすぎている。妖しさというのか、喉の奥からあの人が欲しくなるような、どうしようもない衝動に襲われる。彼?彼女?の分析をしているとあちらも僕に気づいたようで目が合った。流石に未成年を凝視していたと思われたら恥ずかしいので会釈して近づいた。そもそも僕の家の前で何をしているのだろう。

 

 あの人の名前はヨルハというらしい。珍しくカタカナで本名が登録されていた。なんで個人情報を知っているかというと僕が交際を持ちかけられて信用のために見せてもらったからだ。そこから僕は家に入るや否やスタンガンの一撃で気絶してしまった。意識の端で玄関に倒れている僕と部屋に入っていったヨルハが見えた。それからというものの僕は夢を見ていた。その夢はなんだか懐かしい感じがしたが思い出せなかった。思い出そうとして頭を働かせようとしても思う通りに動かない。そう思ってしまったら体さえも思うように動かないことに気づいた。目の前に車が来ているのに走ることもジャンプすることも、そもそも避けるという動きができずにぶつかる、というところで目を覚ました。したらすぐに不安になった。通帳やクレジットカードを持ち出されたらまずいし、ここで叫ばれてヨルハが襲われたと供述したら負けるのは確実に僕のほうだ。倒れていた体を動かそうとしても思うようにいかない。というより僕は縛られているようだった。

 「ようやく目が覚めたみたいだね、お兄さん」

 「んああ!あああおあああ!」

 タオルで口を塞がれていた。どうやらベッドに縛り付けられているらしい。

 「うるさいよ、お兄さん。また気絶したいの?」

 僕は必死で首を横に振った。

 「そうだよね。痛いのも苦しいのも嫌だもんね」

 「私もやりたくてお兄さんを縛ってるわけじゃないし、さっさと済ませないとね」

 そういってヨルハは僕のスマホを手に近づけた。

 「さっさとロック画面解除してくれたら解放してあげるけどどうする?」

 いくらなんでも赤の他人に自分のスマホを見せるのは嫌だった。その少しの逡巡も許されなかった。

 「いいの?早く決めないと周りの人に襲われたって言っちゃうよ?女子高生を襲った大学生なんて周りに広まっちゃったらお兄さん、どうなっちゃうんだろうね」

 そういって彼女は笑った。愉悦の表情を隠すことなくこの状況を愉しんでいるヨルハを僕はただ見ていることしかできなかった。僕は恐怖していた。これから一体ヨルハは僕に何をするのかわからなかったから。笑い終わってすぐに、

 「ほら、早く」

 ヨルハに冷たい表情をされて僕は悲しくなった。さっきまで笑っていてくれたのになんで冷たい表情を僕にするのだろう。僕は嫌われたくなくてスマホのロックを指紋で解除した。

 「ん、ありがと」

 僕は嬉しくなった。こんなことで感謝されるなら毎日でもロックを解除したいと思った。それでも心は恐怖と悲しみから急に切り替えられなくて早く楽になりたくて泣きそうになった。ヨルハは満足したみたいで僕の縛られている口を解放してくれた。

 「はい、大丈夫?」

 「うん…大丈夫だけど。なんで君は僕にこんなことをしたのか聞いていい?」

 ヨルハは少し天井を見回して、

 「えー…うーん、そうだね。多分、お兄さんが欲しかったから?うん…うん、そうだよ。私はお兄さんが欲しかったんだ」

 「…」

 「あれ?なんかおかしかった?」

 「ヨルハと僕って会ったことある?」

 「うーん…?ないんじゃないかな」

 「じゃあ…」

 「なんでって言われても困るなあ。まあ私をここにいさせてよお兄さん」

 「ええー…」

 「いいじゃんいいじゃん、このご尊顔が毎日拝めるんだよ?」

 「確かに…」

 「えっ。お兄さん、そんなに私の顔が好きなの?」

 「…はいそうです」

 「うわあ、なんか複雑。まあそれってオッケーってことでいいよね?」

 「…はい」

 こうして奇妙な共同生活が幕を開けた。でも僕に自由は与えられなかった。そもそも単位も全部とって、ただ卒論のために大学に行っていただけだから、それも自分の家じゃ集中できないだけで、この生活は運動不足以外許容できるものだった。さすがに自分の適応能力にはびっくりさせられた。まあ僕が生きてきて一番好きな顔なので文句がないということもあるのだが。しかし、ヨルハは家を空けることが多かった。ヨルハが何をしているかわからなかったが僕にしたような危ないことはしていないみたいだった。スタンガンを持っていたのも襲われることが多かったから自衛のために持っているだけだそうだ。なんて物騒な。こんなことで始まったヨルハとの生活だが最初はうまくいかなかった。僕を縛っていることでトイレや風呂の問題はあったし、僕は毎日風呂も入りたいしで大変だった。結局それらの時間は後ろで手を組んだ状態で手錠をかけ、服を脱いだりは全部ヨルハにやってもらっていた。それは恥ずかしいのだが心の中で般若心経を唱えることで考えないようにした。それより深刻なことは、話すことがないということだ。そもそも僕はよく喋る方でもないし、友達になるようなやつは大体趣味の話ができるやつを選んでいるので話すことがなかった。趣味とか聞いてみたものの音楽鑑賞だの読書だの言っていたがそういう人は、「じゃあ普段は何を聞いて(読んで)るんですか」と聞くと必ず「なんか最近流行ってるやつ」という答えしか返ってこないことを知っている。それを聞くたびに僕の好きは普通から離れていると強制的に感じさせられて自分が正常かどうか気になってしまうから聞きたくない。そのため基本的にヨルハといるときはテレビをつけて無言から逃げていた。そんな時クイズ番組で、「どっどどどどうどが書き出しの宮沢賢治の小説は何?」という問題が出た。僕は興味本位で「わかる?」と聞いた。ヨルハは「風の又三郎でしょ?」と言った。テレビから「正解です!山田さんよくわかりましたね!」と返ってきた。それは僕にとっても正解だった。僕は初めて日常で宮沢賢治を話題に出した気がする。さすがに覚えている作品は銀河鉄道の夜ぐらいしかなかったが、それだけでもヨルハとジョバンニの良くも悪くも素直なところやカムパネルラのジョバンニを思いやる気持ちやザネリの未来を話し合えただけで、僕たちにはそれだけでよかった。そして僕はよくヨルハの身も蓋もない話を聞いたし、僕も過去の話をするようになった。ヨルハから母の話を聞いた時には腕の紐は要らなくなって、僕の恥ずかしい過去について話した時には僕の足の紐も要らなくなった。もうすでに監禁されてから2ヶ月は経っていた。夏は終わりを迎えようとしていた。

 

 僕の拘束が解かれて初めて道を歩いた時を覚えている。夕飯の買い出しに行こうとしたところをヨルハがついていくと言い出したのだ。いざ隣に立ってみると案外ヨルハの背は高くちょっとびっくりした。なんかヨルハと付き合ってたり結婚したりするとこんな感じなんだなあとか、手を繋いで歩いたりとか妄想して勝手にドキドキした。でもスーパーに着くまでにこの感情はわからなくなっていった。僕はヨルハの顔が好きなのかヨルハ自身が好きなのか、これまでの人生で僕は顔の良さでしか人を判断しなかった。そのつけが回ってきたのだ。ヨルハに「どうしたの?光希?」と顔を覗き込むようにして上目遣いで言われても僕は「なんでもない」と難しい顔をするしかなかった。その答えに不満そうにしていたヨルハはその晩、僕の嫌いなナスを出してきて得意げな顔をしていた。もうその頃にはこんな考えをする自分が嫌でしょうがなかった。ヨルハを正直に好きと言えない自分が。そこに邪なものが存在することに。僕は昔から性欲が苦手だった。親の情事を目撃したその日から、そこに得体の知れない生々しさを感じたのだ。保健体育の時間で隣の男子が得意げにしているのも気持ちが悪かった。それに拍車をかけたのが僕の顔好きである。顔を純粋に好きでなければいけないという気持ちが強くなったのもこの頃だ。だから彼女という関係を作っても、彼女の顔を特等席で見れることが嬉しかったのであり、それ以外はどうでもよかった。僕は拗らせていた。だからヨルハとの付き合いはこれまでにない祝福だった。僕はそこに性欲のない同居を実現した。僕はそれを手放すことは考えられなかった。それなのにヨルハはある日忽然と姿を消した。「私が戻ってくるまで待っててね」というメッセージを残して。でも、僕は筒がなく卒業し就職して、あの街を離れることになった。それならもうヨルハに会うことできないだろう。

 

 ——

 

 あの忌々しい顔を見るたびに母親失格だと自分を嫌いになりそうでした。そもそもあれは望んで産んだ子ではなかった。それは初めての出産からちょうど一年が経った頃で、女の子を産んだので、次は絶対に男の子が欲しかった。なので、夫にそれとなく誘うようにしたのですが夫がその気になることは一向にありませんでした。1ヶ月のうちに5回以上誘っているのに夫は応えてくれようとしません。一度問いただしてみても、もう育休を使って迷惑をかけられないだの、養育費も嵩むからもう数年経ってからでもいいじゃないかだの、あの人は私のことなど一つも考えてくれません。そもそも産んでから大変なのは母体であり母親の私じゃないですか。もう他のママ友は二人目や三人目まで産んでいるのに私だけ一人っ子で可哀想だなんて思われているとしたら気が気じゃありません。女は右手で握手して左手で殴り合うのです。そうしてもう半年も経つ頃には半ば二人目を諦めていました。もうその頃には夫婦仲は冷め切っていたと思います。それでも私の可愛い娘の世話を怠ることはありませんでした。娘はすくすくと成長していきました。私はそこに束の間の幸せを得ることができました。母と妻にとって家事はしなければならないことです。夫が外で出稼ぎをしているのに私は家で家事をすることしかできないのですから。だから、どれだけ体調を崩しても、やりたくなくても家事はしなくてはいけません。どれだけ家事が簡単になったとはいえ、私は生まれてから洗濯機も炊飯器もすでにあったのでありがたみはありませんでした。そんな時、私は体調を崩しました。多分、久しぶりの夜泣きに叩き起こされたのと、前の日から一日中何となく体調が悪かったのです。それから私はいつもと同じように夫の弁当を作り、洗濯物を回さなければなりませんでした。洗濯籠を持ち上げるときにめまいがして倒れそうになりました。なんでこんなに辛いのに私は家事を続けなければいけないのかわかりませんでした。それと同時に娘が泣き出しました。私は洗濯を中断して娘をあやしたのですが私の心はこれからの家事のことでいっぱいでした。そのせいかいつもよりあやす時間が長いように感じられました。ママ友とも疎遠になると、昼のワイドショーをボーッと見るのが私の密かな楽しみとなっていました。ですが私は昼のワイドショーを見逃してしまいました。息の抜き場がなくなる感覚と同時に意識も朦朧としていきました。それが2時ぐらいだったと思うのですが、起きると5時になっていました。夕飯と娘の世話、洗濯物の取り込み、風呂の掃除、体調不良、夫の帰宅までにしなければならないこと、それら全てのことが私に重くのしかかってきました。その日の私はそれだけ辛いのにも関わらずよくやった方でした。それなのに夫ときたら私がこんなに尽くした家事について礼を言うわけでもなく、ご飯の時のいただきますだって結局私にいっているんじゃなくて食材の命を奪ったことなんでしょうね。しかも私が体調不良ってことにも気づかないし、スーツはクローゼットに入れてと前々から言っているのにいつまでもリビングにほったらかしだし、なんでこんな人と結婚したのか過去の私を疑ってしまいます。そして私は見つけてしまったのです、夫の胸ポケットに煌びやかな女の名前が入っている名刺を。それは偶然スーツをクローゼットに仕舞おうとした時に気づいただけなのです。もしかしてと思ったらあの名刺が出てきたのです。もう私はクローゼットの前で怒りに震えました。なんで私の夫が浮気をしてしまったのでしょう!別に他人の夫が浮気をしてもいいのに、なんで私の夫なのでしょう!私は今日の家事を全て否定された気分でした。こんなに私はあなたに尽くしているのに、それをあなたは仇で返してきたのです。それでも私はあなたに尽くさなければならないのでしょうか。私の怒りが冷えると同時に急に体に寒気がやってきました。私はそれが体調不良だとわかっていましたがこれから夫の世話をしなければなりません。それでももう私は辛くて辛くて夫に相談することを選びました。いくら冷徹な夫とはいえ体調不良の私を働かせることはないと、あわよくば最近冷え切っている夫婦仲もこれを気に良くなるんじゃないかとそう思っていました。なので夫に、

 「あのさ、今日、熱があって体もしんどいから今日はもう休んでもいい?」

 と聞くと、夫は、

 「ああ、そう」

 とそれだけしか返してきませんでした。夫は曲がりなりにも夫婦であることを忘れているようでした。なので夫に「それだけなの?」と聞くと、

 「どうせ俺がいない間にどっかいって遊んでるからだろ。最近は家事が楽になっていいよな。早く寝てきなよ」

 私はさっきの怒りがぶり返してきたようでした。そのまま何も言わずに自分の部屋に行こうとすると夫がぼそっと「ヒステリーかよ」と言ったのを聞き逃しませんでした。私は布団の中で泣きに泣きました。もうこんな夫が嫌で、こんなことになった自分も嫌でした。主婦というなんの影響力も力も金さえもない職業を恨みました。この時ばかりは寝る部屋が別々でよかったと思いました。涙は枯れることを知らず、朝になってようやく感情が落ち着いたみたいでした。すると夫からメッセージが来て、「体調悪いのはわかるけど弁当ぐらい作ってよ」ということでした。あんたが浮気なんかしてるから私が体調悪くなったんじゃないの!なんなのよこのクソ野郎は!そこに娘が泣き出したのです。お腹でも空いたのでしょう。私はミルクを作って娘に与えました。その娘の愛らしさに私は泣いてしまいました。もう私の全ては娘にあるかのように思えたのです。私の、私だけの娘だ。他の誰にも娘は渡さない、と。私はそこから娘を中心にして物事を考えるようになりました。そうすると全てが楽になりました。夫の小言さえどうにでも良くなりました。ママ友との関係も娘のためを思って、再度付き合うようになりました。娘の交友関係を見定めておくという理由もありました。そして、ある日ママ友の家にお邪魔する機会がありました。私は生涯で初めて一目惚れをしてしまいました。そのママ友の夫にです。私は初めいけないことだと思ってあまり目も合わせず、話さないようにしていました。するとその男は私がトイレにいって出てくるところに待ち構えていました。そこで彼の連絡先をもらいました。私は男性から見向きもされなかったものですから逆にグイグイ迫ることしかしてなかったのです。私は初めて男性から求められたような気がして嬉しかったのです。もう夫は浮気しているものだと思っていたので罪の意識はありませんでした。娘は私が育てたので私のものです。ママ友の集まりは一旦解散したのですが帰っている途中に彼から誘われました。手の早い方だと思ったのですが、その詰められ方にも私には魅力的に映りました。これなら諦めていた二人目も産めるかもしれないと思うようになりました。私と彼は毎週のように逢瀬を楽しんで毎回彼の相手をしました。片手では数えきれなくと彼からは夜逃げしようと提案されました。彼からは一週間の猶予をもらいました。私は、夫か彼か悩んでいるフリをして、ほとんど彼と人生を歩むのだろうと思っていました。一週間の猶予の間私は娘に毎日相談しました。娘はまだ「パパ、まま」をようやく喋れるようになっていました。その言葉が、私を慰めているような気がして、私の決断を肯定している気がして家出する決心がつきました。私はその日から自分の物を整理し始めました。結婚当初に買った服やバッグなどは思い入れがありすぎてとてもじゃないけどこの家に置いていくことにしました。私自身、それをみているとなぜか泣きそうになってしまいます。幸い夫は平日は仕事で空けているので予定より早く荷造りは終わってしまいました。持っていくものは段ボール一箱と娘だけでした。私はなんて弱い人間なのでしょうか。私は妻だから責任を負うべきだと思っていてももう自分では止められないのです。最後は夫の好物のカレーを作ってあげることにしました。夫は付き合っていた頃から私のカレーが好きでした。カレールーから作っていて別に特別なものも入れていないのになぜか私のカレーが好きなようでした。私は、そんな素朴な彼のことが好きだったのです。私はカレーを泣きながら作りました。どれだけ愛想をつかしても夫は私の夫であることには変わりないのだと気づきました。それでも夫の態度が今になって急に変わることはありませんでした。いつもと同じように晩御飯の時間を過ごしてから夫は大体12時ぐらいに寝てしまうので、その後、私は娘を連れ出して夜逃げをする手筈になっていました。私たちはいつもと同じようにそれぞれ自分の部屋に入りました。この簡素になった部屋をみて泣き始めました。もうこの暮らしに戻って来れないことが何より辛かったのです。そうこうしているともう12時をすぎてしまいそうでした。ここまできても私は引き返そうとは思いませんでした。私は外出するための服を着てさらに決心がつきました。これが私と娘の幸せだと信じて疑いませんでした。そして自分の部屋を出て、玄関に隠している段ボールと娘を取りに出ようとしました。その時夫と鉢合わせてしまいました。夫は珍しく1時ぐらいまで起きていました。

 「どこいくの?洋子」

 「…えっと、ちょっとそこのコンビニまで」

 「そうなんだ。最近物騒だから気をつけてね」

 「ええ…ありがとう」

 「それだったらさ、最近ゆっくりできてなかったし帰ってきたらお酒でも飲んで話さない?」

 「…」

 「ああ、嫌だったらいいんだけど」

 「…ううん。嫌じゃない。嫌じゃないわ」

 「じゃあ、いってらっしゃい」

 「…いってきます」

 私、久しぶりに夫に名前を呼ばれたかもしれない。それだけじゃない。あんなに優しい態度を取られたのも、顔をみて喋ったのも、私が喋った以上の分量で会話したのも、本当に久しぶりのことだった。私は玄関から出てすぐに大泣きしてしまった。ただ行為をした彼より、夫の方が想像以上に思い入れが大きかったみたい。私は泣き終えたらすぐに家に戻って夫に会いたくなった。夫は一人寂しくリビングにいて私を待っているようで、必死の形相をしている私を見て不思議そうな顔をしていたけど、私を抱きしめてくれた。私は夫の胸の中で泣いた。ここ最近で久しぶりにあったかい涙が出たような気がする。私たちは再び夫婦としての形を作り上げることができた。これまでのことが嘘だったかのように私たちは会話したし、夫が最近仕事のプロジェクトが佳境に入って大変だったこと、それで私に強く当たってしまったことをして後悔していると、それだけじゃなくて毎日家事してくれることや、自分の無礼に耐え続けてくれたことに感謝してくれた。それだけが聞けて嬉しかったし、ちょっぴり怒ったりもした。私たちは夫婦としての営みも取り戻すことができた。私が二人目の子供が欲しいことを覚えていてくれたみたい。私はすぐに彼との連絡を切った。ようやく踏ん切りがついた。そして、妊娠することができた。私は大袈裟に見えるぐらいに喜んだ。夫に至ってはその報告を聞いただけで泣いてしまうぐらいだった。それほど、これまで苦労した証だと思う。そして、私たちは夫婦として乗り越えるべきものを乗り越えたのだと確信できました。でも、もう私のせいで家族が崩壊してしまったのです。全ては私が悪いのですが、私はまだのうのうと生きてしまっています。だれも私を断罪してくれません。私があの男と出会っていなかったら、出会っていたとしても誘わなければ、私たちは側から見て誰もが不幸だと思うような家庭にならなかったでしょう。私は今病院にいます。もうこの檻から出られることはないのだと思うとひどく憂鬱です。

 

 帝国少女

 

 子供は親に支配されることで、幼少期を過ごすことができ、生命としての活動に根を張ることができる。これは恋人関係においても、どちらかが一方的に惚れているなら、もう片方は擬似的な支配状態になる。夫妻においては、金銭的には夫が強いが、家庭のことについては妻が権力を持ちがちである。友達関係においても、友達同士での各個人の重要さが存在する場合がある。このように、人間関係において人間は支配するかされるか、稀に平等な関係を築くかでしかない。人間は支配されることで怠惰な自分を抑制し、勤勉に働くこともできるが、その支配が歪であった場合に、人間はどうなってしまうのだろうか。

 

 彼女(男)彼女は母から無関心に育てられた。食事や衣服など生活に困ることはなかったが、彼女が泣いても母はあやそうとしなかった。彼女には姉がいたが、姉の方が母に好かれており姉のことを恨んだりもしたが

 そして彼女は新たに家を持って働くことで安定を図っていた

 結局彼女は耐えられない

 彼女はこの街を離れることを決めて彼に告げようとする

 私のことを愛してくれた最初で最後の人かもしれない。けれど私はこの街をでなければ息苦しくなって死んでしまうだろう。全てを一度消し去って新たな生活を始めなければならない。

 

  私は幼い頃から母親の思うがままに育てられてきた。私も母の言いつけを守ることで喜ばれることが嬉しかったから特別思うこともなかった。しかし、私が5歳ぐらいの頃、私は絵本やテレビからしか情報を得ることができない環境に置かれていた。だから、そんなに数もない絵本は読み飽きていたし、母も日中はどこかへ出掛けているようだった。そこで事件が起こった。私が興味本位で自分のことを僕と呼んだ時、母は見たことのない形相で私を叱りつけた。私にはそれの何が悪いことなのかわからなかった。そこで、なんでダメなの?、と聞くと母は私に手を挙げた。私を殴りながら、「私って言いなさい!」と言って、私は頭を抱えて足を畳んで母の暴力から耐えるしかなかった。そして、それ以降母は徹底的に私の言葉遣いから佇まい、表情に至るまで矯正を施すことに決めたらしかった。そしてそれを躾と呼んだ。母が私の髪を切らずに伸ばし始めたのもこのあたりからだ。母の躾は私の一挙手一投足をまじまじと見つめて、たとえば少しでも食器から音を出せばすぐに私に叱り、何度も間違えるようであれば平手で殴られることもありました。母はしきりに、「あんたが生きているのが悪いのよ」、「私はこれまで尽くしたんだから親孝行しなさい」、「私はあんたのことを思ってやってるんだからね」と言いました。最終的には「かずは…かずは…」と言って泣いていました。それでも母が私の髪の毛を手入れしてくれる時は優しくしてくれました。私はうっすらと覚えているのですが、昔母ともう一人、私と同じぐらいの年齢の子と一緒に遊んだことを覚えています。その時のように優しかったと思っています。その子は私ととても仲良くしてもらっていたのですが、その子との記憶は何かが引っかかっているようで思い出せませんでした。そして私は小学校に入学するのですが、ここで私は男と女という単語の意味がわかりませんでした。みんなのいう男には私は含まれていないと思っていたのですが、みんなは私が男だと思っているようでした。私は女だと思っているのにも関わらず、です。それでも次第にわかってくることがありました。私が思っているより男とか女ということは重要なことだということです。小学校3年生ぐらいになる頃から、私は虐められるようになりました。私の髪の毛や着ている服は男がすることじゃないからだそうです。クラスの半分は静観していましたがもう半分は私の物を盗んだり捨てたり、机をどこかへ持っていったり、それらはまだ実害はないのですが、何もしないでいるとさらにエスカレートしていきました。私のことを蹴ったり殴ったりしてきたのです。当然服や髪は汚れますし、最悪髪を勝手にハサミで切られたり服を破かれたりもしました。それでも私は同級生が怖いというより、服や髪を汚して母に怒られるのが一番の恐怖でした。それは、ガブガブの刑とポコポコの刑でした。ガブガブの刑は水を張った水面器に後ろ髪を掴まれて強制的に窒息させられることです。苦しくなって手足をジタバタさせても母の掴む力は弱まりませんでした。頭を引き上げられ意識が朦朧としているうちに母の顔を見たことがあるのですが、母は笑っていました。私は間違っていないと確信しました。次にポコポコの刑なのですが、連日ガブガブの刑の時に行われることが多かったです。まず、私の手足を紐で縛り、私のお腹を執拗に蹴ったり殴ったりと暴行を加えることです。その間私は声を抑えなければなりませんでした。声をあげてしまうと、私の喉を気絶するまで掴んできてしまうからです。それでも、本当に母は私のことを思ってしてくれているのか、私を愛してくれているからこんなことをしているのか判別がつきませんでした。学校では、昨日ボロボロにしたやつが次の日にもっとボロボロになって登校している時点で私と関わるのを辞めたみたいでした。私は母に全て支配されていると思ったのもこの頃からです。時を同じくして、その時期から母は父親という人物をよく家に上げるようになりました。私にとって父親は救いでした。父親がいる日には母も私には手を出さなかったからです。私はみるみる父親のことが好ましいと思うようになりました。父親も初めから表面的な好意的に接してくれていたのですが、時間が経つにつれて私に興味を抱き初めたようだった。父親はいつも家に居るわけではありませんでした。そうして、殴られたり、殴られなかったりする日々が続いて、転機となる日が訪れるようになりました。

 その日は休日だったので、朝起きて朝食を作り母が起きるのをまずは待っていました。玄関の靴を見るに母しかいないようだったので朝食を二人分作っておいたのです。たまに父親が居る時もあり、それを知らずに朝食が足りていないと次の日に母からガブガブの刑が起きてしまいます。母が起きてくる音が聞こえるとそこから卵とトーストを焼き、サラダを乗せておいた皿に盛り付け出来立ての朝食を母に食べさせるまでが朝の日課です。母は朝からどこかへ出掛けることが多いので、私は暇を持て余していました。なので、小学校の宿題でもやっていると、玄関の鍵が開く音がしました。私は玄関へ行って母を出迎えなければまた躾をされるため急いで行きました。しかし、玄関に向かうと父親が立っていました。彼は私を笑顔で出迎えてくれ私を抱きしめて抱えてくれた。母からはたまにしかしてくれないので私はそれだけで嬉しくなりました。彼はそのまま私をベッドまで運びキスというものを私にしました。その行為について私はよくわからなかったが彼が嬉しそうにしていたので私も嬉しいふりをしました。しかし、ここから私の口の中に舌を入れるのも嬉しいことだからやろうと言われ同意したが、私にとって大人の舌が口の中に入ってくると呼吸も苦しくなり、彼の鼻息も荒くなり、目は血走って瞳孔が開いており私は初めてこの行為を恐ろしいと感じ始めました。母が私に躾をする時と同じような顔だったからです。私は嫌なことを言い出せませんでした。段々とその行為はエスカレートしていって私の恐怖もピークに達しました。そこから先の記憶はあまりありません。私が覚えていることは痛かったことと虚無感、それだけでした。私は眠っていたようでした。起きてすぐに、汗だらけのベッドに放置された私と下半身の不快感から私はベッドに向かって吐いてしまった。朝ごはんは消化されたらしく胃液しか出なかったが、胃に何か入れられたのか、吐瀉物を確認するのも恐ろしかったのです。私は一刻も早くこの場から逃げ出さなくてはならなかった。そうでもしないとまたあの男がやってきて私に躾をするだろうから。私は急いで適当な服を着て家を出ることにしました。そこから私は学校へ逃げることにしました。私の態度と様相から先生たちは休日であるにも関わらず私に手厚い手当をしてくれました。それからはあれよあれよというまに私は施設に入りました。施設に入っている間、私の周りの人間を信じることができなくなっていたり、衝動に駆られて暴れたり叫ぶことも多くなっていました。それも、高校に進学する頃には治ったのですが、人間不信に関しては思うように良くはなりませんでした。口調も格好も女性のものを着続けていました。そして、高2の時に施設の教育実習生としてあの彼が来たのです。名前は光希といっていた。最初はぎこちなさそうに仕事をしていた彼ですが、なぜか私はそんな彼に一目惚れしてしまったらしく、彼の顔を見ることができませんでした。絶対に帽子を取らずに顔を見せない私に彼はさぞ困惑したことでしょう。私は彼と自立してから付き合いたいと思っていたのですが、施設にいる間はバイトができなかったので悩んでいました。そうしているうちに実習期間は終わって、もうダメだと思ったのですが、なんと私の母の結婚相手であった父親が私を引き取りに来たのでした。あの私に性的暴行をした父ではなく、会ったこともないどことなく冴えない男性でした。私はこれ幸いと見るやいなや父に引き取られることを選択しました。そして、引き取られてからというものの彼の家を探すことにしました。それと並行して自立するためにバイトも始めました。まずは賃貸でも借りられるぐらいは父のもとにいてもいっと言われていましたし、なんなら生活費や家賃も全部払うとまで言われたのですが、そこまでしてもらうと自立できなくなってしまうと思い断りました。彼の苗字や通っている大学は知っているので大学の前で見張っていると彼が出てくるのが見えました。そこからは尾行して彼の家を特定して、彼と強制的に同棲することができました。さすがに強引すぎるかなと思ったけどまあいいよね。私の初恋を奪ったんだもの。それでも光希本人だとわからなかったから縛らせてもらった。多分光希だろうなっていうSNSのアカウントと彼のスマホのアカウントを比べてみたらやっぱり本人で間違いなさそうだった。父とすぐに別居するのは申し訳ないと思ったから毎日顔を合わせる約束をした。それと、光希と面と向かってしまうと何を話せばいいかわからなくなった。私ってこんなにもウブだったのかと初めて知ることになった。幸い途中で話せるようになったのだけど。本当に光希がこんな異常な私と一緒にいて大丈夫か試したくて数ヶ月一緒にいたのだが、光希も私のことを好きになったらしいことがわかった。しかもだいぶ重そうだった。もっと未練を持ってもらわないと性自認があやふやで光希から見れば男である私を受け入れてくれるには難しいと思った。だから一か八かの賭けで何も言わずに出ることにした。なんか、光希はもう会えないと思ってそうだけど、私光希の就職先聞いてるから別に会おうと思えば会えるんだよね。本当に光希が諦めるまでにどうにかして私は私なりに自立することを目指すことにした。

 それと私の母は、父から聞くと、それからもう何もできなくなってしまって精神病院に入れられたらしい。最初はもう何にも反応をしなかったけど、最近はお父さんとの昔話をしているらしい。それはとてもいいことだと思った。お母さんは私にあんなことをしたけど、私には母は一人しかいないから。


 そして、いまだに、自分は人間として生きていて良かったのかわからなくなる時がある。なぜか、私は他人と違って変な行動をしてしまったりしているらしい。全てが自分の思うままであり、全てが自分ではどうしようもできないことのように思える。それでも、あの時出会えた彼が私に意味を吹き込んでくれたからこそ私は生きている。ようやく私はこの世界で息ができている。誰にも支配されることなく生きていける。私の帝国時代はようやく終わったのだった。

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