お金が欲しい(全2話)

お金が欲しい①

AM 10:16

長い黒髪に、ところどころ汚れた白いワンピースを着たガリガリの女性、ポコポコの母。ヨタヨタと歩道を歩いている。通りかかったタクシーに向かって手を挙げた。タクシーが路肩に止まり、後部座席の扉が開く。ポコポコの母はゆっくりと車内に乗り込み、運転席の真後ろに座った。車内のラジオからQueenの『Don't Stop Me Now』が流れている。



運転手「どちらまで?」


ポコポコの母「運転手さんが知ってる、一番のお金持ちの家に向かってくれますか?色々やりたいことがあって、そのためのお金を恵んでもらおうと。安心してください、タクシー代くらいは持っていますから」


運転手「じゃあ、あそこがいいかな。胃倉区いくらく軍艦町ぐんかんちょうってところに資産家のじいさんが暮らしてるバカデカい屋敷があるんですよ。人生7回くらい遊んで暮らしても使い切れないほどの資産を持ってるそうなんですが、後継ぎがいないんでどうしようか困ってるんだそうで」


ポコポコの母「ではそこへお願いします。時間はどのくらいかかりますか?」


運転手「1時間もあれば着けるかと」


ポコポコの母「分かりました。よろしくお願いします」



運転手はアクセルを踏む。彼の名前は麹町こうじまち。以前は暴力団に所属する殺し屋だったが、この「無限タクシー」を運転していた前任者を殺したことで呪いにかかり、体がハンドル、座席と一体化。以来3ヶ月、タクシー運転手として仕事をし続けていた。


無限タクシーに囚われた者は、別の誰かに殺されない限り永遠にタクシーを運転し続けることになる。わざと事故を起こして死ぬことも、舌を噛み切って自死することもできない。麹町は以前自分がやったように、乗客に自分を殺させようと日々考えていた。


乗客を挑発し、怒らせ、自分に殺意を向けさせる。しかし口論になったり、多少暴力を振るわれたりすることはあっても、殺そうとまでする乗客はこれまでにゼロ。


いま乗せた女性も見るからに非力そうな上、武器になる物も持っていない。怒らせたところで徒労に終わりそうである。それでも麹町はわずかな可能性に賭けてみることにした。



麹町「何のお仕事をされてるんですか?」


ポコポコの母「バーを経営してます。でも立地が悪いのか、お客様がほとんど来ないんですよね」


麹町「あーなるほど。だから見ず知らずの人間にお金をねだろうとしてるんですか。いやしいですねぇ」


ポコポコの母「そうですね。この社会、生きるだけでも本当に大変で。どこへ行くにも何を食べるにもお金がかかる。ひどい世の中になったものだなと心底思います。お金がないとやりたいことが何もできない」



麹町の挑発はスルーされてしまった。もう一度試してみる。



麹町「お洋服、だいぶ薄汚れてますね。ゴキブリとかヤスデとかが這い回っているゴミ屋敷に住んでらっしゃるんですか?身の回りを綺麗にしたほうが良いですよ、見るからに汚いので」


ポコポコの母「ええ、お客様が来ないのを良いことに、店の掃除をろくにしてませんので……中にいるだけで体が汚れてしまうんですよね。参ったものです」



やはりスルー。この女性には嫌味も罵倒も通じないのだと思い、麹町は自分を殺させることを断念した。十数秒の沈黙を挟み、今度はポコポコの母のほうから口を開く。



ポコポコの母「つかぬことをお聞きしますが、ポコポコという子について、何か知っていませんか?」


麹町「ポコポコ?ああ、あのポコポコですか」


ポコポコの母「彼がどんなことをしていたのか詳しく知りたくて。何かご存知でしたら聞かせてもらいたいのですが」


麹町「珍しいですね。たまに『怖い話してください』なんて言うお客様はいらっしゃいますが、凶悪犯の話が聞きたいと言う方は初めてだ。私もラジオのニュースでしか知らないんですがね、殺人、強盗、誘拐、食い逃げ、犯罪は一通りやったんじゃないかってくらいの悪党ですよ」


ポコポコの母「そうですか」


麹町「私も人の生き方にケチつけられるような立派な人生は歩んでませんが、異常ですよ、アイツは。捕まったそうですが、やったことの重さを考えれば確実に死刑でしょうな」


ポコポコの母「死刑……」


麹町「当然です。まさに社会のクズ。いやクズのほうが増しですね。ポコポコというクズ未満の新しい概念を作るべきかもしれません。あんなの、早く死んでもらったほうが世のためってもんですよ。はははっ」



ポコポコの母は後部座席からシートごと麹町の胴体を右腕で貫いた。手には麹町の心臓が握られ、ドクンドクンと拍動している。



ポコポコの母「私の『完璧』な息子を悪く言うな。存在価値のない『欠陥品』が」



ポコポコの母は右手を握りしめ、麹町の心臓を潰す。



麹町「ははは……はーっはっはっはっ!まさか今ここで来るとは……俺はこの瞬間を待ってたんだぁぁぁぁーっはっはっ!」



ポコポコの母は右腕を引き抜いた。麹町は腹部と口から大量に血を吹き出しながら、前のめりに倒れる。


直後、ポコポコの母はタクシーの運転席に座っていた。フロントガラスまで真っ赤に染まるほど吹き出していた麹町の血も、麹町の死体も消失している。無限タクシーは次の運転手にポコポコの母を選んだのだ。


ポコポコの母の両手がハンドルと、背中から尻にかけてが座席と一体化している。タクシーは走り続けたまま。



ポコポコの母「……なるほど。運転手を殺すとこのタクシーに縛り付けられるトラップか。誰が仕掛けたのか知らないけれど、こんな低俗な呪いで私を拘束できるとでも?」



ポコポコの母の体がドロドロと溶けはじめた。一体化していた手とハンドル、背中と座席が分離し、ポコポコの母の全身は透き通った水の球体となってハンドルと座席の間で浮く。水の球体は巨大なウニのように全方位に鋭く伸び、タクシーを細かく切断した。いくつもの金属の塊となったタクシーは、バラバラと道路の上に崩れ落ちる。


車外に出た水のウニは球体に戻り、再びポコポコの母の体を形成した。後続の車にひかれないよう、道路から歩道へと歩いて移動するポコポコの母。



ポコポコの母「さて、金持ちおじいさんの屋敷は軍艦町ってところだったわね……ってどっちに向かえばいいのかしら。到着してから殺せば良かった」

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