母(全1話)

AM 4:10

日が昇る直前の薄暗い街。その一角にあるビルとビルの50cmにも満たない隙間から女が這い出てきた。長い髪に、元々は白かったのであろう薄汚れたワンピースを着た女。その手足は枝のように細長く、頬は彫刻刀で削ったかのように痩せこけている。



女「またあの子が死んでしまった……なぜみんな、あの子を嫌うの?『完璧』なあの子を……」



隙間から出て、ヨタヨタと歩道を歩く女の前に、一人の中年男が現れた。七三分けの髪型に、紺色のスーツを着たエリートっぽい雰囲気の男。その手にはアルコール濃度が高めな缶チューハイが握られており、顔は若干赤くなっている。



男「くそっ!あのポコポコとかいうヤツ……俺の銀行に多大な損害を……勤続24年、せっかく支店長まで成り上がったのに、全部俺の責任にされて降格処分!しかも地方に左遷だとふざけやがってぇっ!」



男は中身がカラになった缶を前方に投げる。缶は5mほど離れて立つ女の腹部に当たって地面に落ちた。



男「おっと、これはすみません。酔っ払っていたものでつい……お怪我はありませんか?」


女「ええ、大丈夫ですよ……それより、今『ポコポコ』とおっしゃいましたか?」


男「お恥ずかしい、聞こえておりましたか。確かに言いました。最近世間を騒がせてる、あのポコポコです」


女「彼のこと、詳しく聞かせてください」


男「……構いませんが、私の一方的な愚痴になってしまうと思いますよ?」


女「彼が最近どんな暮らしをしていたのか、少しでも知りたいのです」



男と女は近くの公園のベンチに腰掛け、話の続きを始めた。



男「……それで、私が働く銀行の支店がヤツに襲われましてね。行内にある金は全て盗まれた挙句、店舗は半壊、行員が6名死亡。上層部はその責任を全て私に押し付けた。ひどい話でしょう?」


女「それはお気の毒でした。心無いブラック企業にお勤めだったのですね」


男「いえ違いますよ!全てあの忌々いまいましいポコポコのせいです!あのクソのせいで私は……アイツ、どうせロクな育ち方をしていないのでしょう。人様に迷惑をかけることしかできないゴキブリ野郎!アイツを育てた親の顔が見てみたいものです」


女「彼は私の息子です」


男「……息子?」


女「申し遅れました。私、ポコポコの母です。あの子のことが心配で、居ても立ってもいられず家から出てきました」


男「よ、酔っ払い相手だからって、変な冗談はやめてくださいよ」


ポコポコの母「いえ、真実です。アナタが見たいと言った、あの子を育てた親が私なのです」


男「……ああ、そうかい。だったらアンタに一言物申させてくれ。一体どんな育て方したらあんな凶悪犯になるんだ!ポコポコのせいで日本中が大パニック!俺のように失職した人だけじゃない!死んだ人も大勢いる!アイツを育てたアンタにも少なからず責任があるだろ!」


ポコポコの母「……私の責任、それは甘んじて受けましょう。しかしあの子、ポコポコのことを非難するのはやめていただきたい。私はこう思うのです。あの子は『完璧』で非の打ち所など一つもない。むしろあの子の生き方に合わせられない、器量の狭いこの世の中と人々こそ問題を抱えた『欠陥品』なのだと」


男「ああ?責任転嫁するつもりかこのイナゴババアッ!」



男はスーツの内ポケットから折りたたみ式のナイフを取り出す。



男「テメェのガキはこの世のガンなんだよ!俺がこのナイフで切除してやる!そのガンを生んだテメェも一緒になぁっ!」


ポコポコの母「……」


男「人を殺す度胸なんて無いと思ってんだろ?俺は支店長に成り上がるために、邪魔な人間を何人も切除してきた!俺のキャリアにおいてガンとなる人間は全て!だから追加で1人2人殺すのなんて大したことではない!その証拠にぃ、今ここでテメェの喉を掻き切ってくれるぅ!」



男はナイフを真横に振った。ポコポコの母の喉がぱっくりと割れる。しかし、傷口から赤い肉が見えるだけで血は一滴も流れ出ない。



ポコポコの母「私への怒りはこれで晴れたでしょうか?」



ポコポコの母は左手で傷口を、男から見えないように3秒間隠した。左手を下ろすと、傷口が治っていた。傷跡も残っていない。



ポコポコの母「しかし、その凶刃きょうじんを私の息子にも向けるというのならば、見過ごすことはできません」



ポコポコの母は右手で男の髪の毛を掴み、その顔をベンチの角に何度も叩きつけた。



ポコポコの母「あの子は『完璧』なんだよぉ!あの子のクオリティに嫉妬し、劣等感でいっぱいの『欠陥品』がっ!死ぬべきなのは『完璧』に程遠い存在価値の無いお前の方だっ!違うかっ!?ええっ!?何とか言ってみろこのネアンデルタール人がっ!」



男は顔面から大量出血。その血に、潰れて液体化した脳みそと眼球が混じる。頭蓋骨は粉々に砕け、球状だった頭は紙のように薄っぺらになっていた。


ポコポコの母は事切れた男の髪を掴んだまま、頭上でその体をブンブンと振り回し、20mほど離れた草むらへと投げ捨てる。



ポコポコの母「『欠陥品』が……私に何を言ってもいい。だがあの子を悪く言うことは許さない……私が『完璧』に育てた大切な息子のことを……」



<母-完->

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