落とし物②

緒方おがたの全身の毛が逆立った。子どもでも狭いと感じるであろう隙間で、女は正面を向いている。人間ではありえいない細さだ。いや細いなんて次元ではない。人間の体の構造的にあり得ない。体が隙間にフィットするように歪んでいる。しかし女が正面を向いているのは分かる。まるで魚だ。何より、こんなに狭いビルの隙間に挟まっている人間がいること自体普通ではない。



女「こんなところまで来てくれるなんて、嬉しい限りですねぇ。しかしいらっしゃるのならぁ、一言かけてほしかったというのが正直なところですよぉ。お客様として、私なりにおもてなしする準備がしたかったのでねぇ」



緒方の直感が、「今すぐこの場を離れた方が良い」とささやく。緒方は進んできた道を大急ぎで戻り始めた。しかし隙間を素早く移動することはできない。足を細かく横に動かしながらできる限り最速でジリジリと後退する。



女「どこに行かれるんですかぁお客様ぁ?そんなに急いでぇ?せっかくならお話でもしませんかぁここで会ったのも何かの縁ですからぁ」



緒方を追いかけるように女が前進を始めた。その目は瞬きもせず緒方の顔を見つめている。恐ろしく感じた緒方は頭を回し女と反対側、隙間の入口のほうへと向け、女と目を合わせないようにした。



女「んっんー!もう少しゆっくりしていってくれても全然構いませんよぉ私としてはねぇ。久しぶりのお客様なのですからぁ」



入口まであと6m。見ていなくても、声と気配で女が近づいて来ているのが分かる。布がコンクリートと擦れる音、息遣い、妙にハキハキとした声。緒方と女との距離は着実に短くなっていた。



女「あまり急ぐと、お洋服が壁に擦れて破れてしまいますよぉ。少し速度を落としたらいかがですかぁーッハッハッハッハァッ!」



あと4m。緒方が入口まで近づくスピードより、女が距離を縮めるスピードのほうが速い。もっと加速しないと追いつかれる。あと1m。女の息が右肩にかかるのを感じる。


緒方は隙間から勢い良く飛び出し、歩道に尻もちをついた。隙間のほうへ振り返る。女は隙間の入口にピッタリハマるように立ち、緒方を見下ろしていた。その歩みは止まり、外に出てこようとする様子はない。


狭いところに入った疲労からか、女の放つ威圧感からか、体がピクリとも動かせなくなる緒方。女と目が合ったまま、5秒が経過した。



女「お客様ぁ……………………………………………………これ落としましたよぉ?」



女は右腕だけを隙間から外に伸ばす。その手には白いラケットバッグが握られていた。緒方は尻もちをついたまま女からラケットバッグを受け取る。



女「それではぁ失礼いたします。また来てくださいねぇ」



女は満足そうな笑みを浮かべ、正面を向いたままズリズリと後退りして隙間の奥へと戻っていき、やがて緒方からその姿は見えなくなった。


<落とし物-完->

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