落とし物(全2話)

落とし物①

肩まで伸びた茶髪をなびかせ、ビルの屋上から屋上へと飛ぶように移動する、上下黒いジャージを着た20代後半の男。右肩に長くて白いテニス用のラケットバッグをかけている。しかし中身はラケットではない。狙撃用のライフルだ。


男の名前は、緒方 十三郎おがた じゅうざぶろう。殺し屋。今さっきビルの屋上からターゲットを狙撃し、得意のパルクールで現場から逃げている最中である。ある程度離れたらどこかのビルの外階段を降りて路上に出る算段だ。路上に出てしまえば、緒方を殺し屋だと疑う者はまずいないだろう。どこからどう見ても、テニスの草トーナメントで2回戦負けした週末プレーヤーだ。


そんな緒方の計画が大きく崩れることになる。ラケットバッグが肩から滑り、ビルとビルの隙間に入ってしまった。ラケットバッグは壁面に当たってバウンドしながら地面へと落下する。


緒方は飛び移ったビルの外階段を使い、1階へと降りる。暗殺現場から十分に離れてはいるが、ライフルを放置するのはまずい。誰かが拾って警察に届ければ、持ち主が緒方である証拠がいくつも見つかり、殺し屋として活動していたことも確実にバレる。だからなんとしても回収しなければならない。


1階まで降り、路上に出る緒方。ラケットバッグが落ちた隙間は、緒方が横を向けばかろうじて入れるくらい狭い。幼稚園の年中さんでも正面を向いたまま入るのは無理だろう。


お腹と背中を壁面に擦り付けながら隙間に入る。ラケットバッグは隙間の入口から約10m先に落ちている。普通なら5秒もかからず拾える距離なのに、挟まった状態では1〜2分はかかるだろう。


緒方とラケットバッグとの距離がジリジリと縮まる。あと8m。かろうじて頭を回すことはできるので、グルリと横回転させ背後を確認する。誰も見ていない。隙間に入っている男がいたら不審がる人もいるだろうが、問題ないようだ。再度頭の向きをラケットバッグのほうに戻して歩みを進める。あと5m。カニになったような気分だ。あと2m。もう少し、もう少しでバッグが右手の届く範囲に入る。 あと50cm。この距離なら手をカタツムリの目みたいに下にピンと伸ばせば届く。


足元のラケットバッグに目線を落とす緒方。その直後、隙間の奥から何者かの視線を感じた。緒方が視線の感じるほうに顔を向けると。3mほど離れた先に女がいた。長い黒髪で真っ白な肌、大きく見開いため目、元々は白だったのだろうが灰色に汚れたワンピースを着た女。



女「お客様なんて珍しいですねぇ。どこからいらっしゃったんですかぁーッハッハッハッハッ!」

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