バスルーム②

「お〜い!誰かぁ!助けてくれぇ!」


業者は不審な表情を浮かべ、尾定おさだを一瞥する。


業者「どなたかいるんですか?助けを求めているような声がしますが……」


尾定「い、いや……テレビの音ですよ!つけっぱなしだったから」


水尻みずじりの家にはテレビもラジオも、音が出るような機械類はない。


「お〜い!風呂場だ〜!湯船の中にいる〜!助けてくれ〜!」


男の声が響き続ける。尾定は背中の上から下へ汗が伝うのを感じた。この部屋にいたのは尾定と水尻のみ。となると声の主は、水尻しかいない。が、水尻は確実に死んでいた。声を出すなんてことはあり得ない。


業者「フロの中から助けを求めるようなテレビ番組、ありますかね……?」


業者は尾定にいぶかしげな眼差しを向ける。


尾定「え、映画ですよ!呪われたフロに閉じ込められて出られなくなるパニックホラーで……」


業者「へぇ。何というタイトルの映画ですか?」


尾定「あー、何だったかなぁ……?たしか……『呪いのおフロ・デスバスルーム』だったかな?」


業者「ちょっと調べますね」


業者はズボンのポケットからスマートフォンを取り出す。尾定がとっさに考えた架空の映画のタイトルだ。偶然にも存在していた、それが検索に引っかかる可能性は限りなくゼロに近い。


尾定「いや、このタイトルも正確じゃないんですよ!だから検索しても意味ないかも……」


業者「ご自身が見ている映画のタイトルも把握されていない?そんなことありますかね?」


尾定は背中だけでなく、額にも汗が滲むのを感じた。


「お〜い!助けてくれ〜!頼む〜!」


水尻のものと思しき声は止まらない。業者の不信感はピークに達した。


業者「やはりお風呂場を確認させてもらいますね。失礼します」


尾定を押しのけるように玄関へ入り、靴を脱いでズカズカと部屋の中を進む業者。「ちょ、ちょっと」と後ろから声をかける尾定だが、業者は足を止めることなく「お〜い!」という声のする方へ向かう。


一瞬、この業者も殺そうかと考えた尾定。しかし尾定の手元には殺しに使える道具はないし、この場で業者を殺せば他殺の証拠が確実に残り、事故に見せかけた水尻の殺害も意味をなさなくなってしまう。


尾定はフゥーッと息を吐き、冷静になる。そして業者を殺さなくても、この場をやりくるめられる可能性があることに気付いた。水尻の声が聞こえるということは、尾定は水尻を殺し損ねていたということ。つまり尾定は殺人をしたことにはならない。自分が水尻の部屋にいる理由についても、苦しいかもしれないが「昨晩酔っ払っていて他人の部屋を間違えて使っていた」など言い訳できなくもない。


思案する尾定をよそに、業者はバスルームを見つけ、扉を開けた。水尻が生きていることを信じ、業者の背後からバスルームの中を見る尾定。そこには目と口を開けたまま湯の中に沈む水尻の亡骸があるだけだった。


<バスルーム-完->

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