記憶(全2話)

記憶①

茄子野 五郎なすの ごろう、41歳。暴力団組員で、過去に敵対組織の構成員9人を殺害したヒットマンだ。9人目を殺した後、逃走中に警察官と鉢合わせ逮捕。裁判で無期懲役が科せられ、独房に入ることになった。4畳ほどのスペースに、鉄格子の付いた窓と水洗トイレ、机、布団があるだけの部屋。ここで終わりの見えない孤独な生活を送ることになる。


独房の扉が看守によって閉められると同時に、茄子野は部屋の中心にドシンとあぐらをかいた。やることが何もない。この退屈さや孤独感こそが刑罰なのだろうが、幼い頃から家に両親がほとんど帰って来ず、成人してからもずっと独り身だった茄子野にとって、退屈や孤独はうざったいとは思うものの、さほど苦痛にはならない。


独房に入って約1時間が経った頃、室内の温度が急激に下がるのを感じた茄子野。さっきまで20度ちょっとはあったであろう室温が、10度くらい下がったような感覚だ。空調の不具合だろうか、あるいは自分の体調が悪いのか。さまざまな可能性を考える茄子野だったが、その原因は想定外のものだった。


奥にあるトイレに、囚人服を着た男が座っている。独房は茄子野が入ってきた扉以外に入口はないし、誰かが入ってきたのなら間違いなく気付く。この男はどこからともなく現れたのだ。


茄子野「ゆ、幽霊……?」


男「そう。ボクは1カ月前までこの独房にいた囚人。せっかくだからキミに挨拶をしようと思って出てきたのさ。部屋の温度を下げてしまってすまないね。幽霊はそういう体質なんだ」


腰を抜かす茄子野。退屈や孤独には慣れているが、オバケは昔から大の苦手である。


茄子野「たたたた、頼む!成仏してくれ!幽霊はホントにダメなんだ!なんでもするから消えてくれぇ……」


男は便座から立ち上がり、茄子野にゆっくりと近づく。


男「そう怯えるなよ。これから一緒に暮らす仲間じゃないか」


茄子野「無理!幽霊だけは!毒ヘビより無理なんだ!頼むから何もせず成仏してくれぇ!あっ、タメ口ですみません!成仏なさってくだせぇ!」


男「タメ口とかそういう問題じゃ……あれ?もしかして……茄子野くん?茄子野 五郎くんじゃないかい?」


茄子野「……そそそそそ、そうです!どうか命だけは……」


男「やっぱりそうだ!昔の面影がある!落ち着いて。ボクのこと覚えてない?皮被かわかぶり中学で同じ2年B組だった苦保くぼだよ」


茄子野「……へぇ?」


茄子野は苦保と名乗る幽霊の顔を見る。街を丸1日歩けば40人くらいは見かけそうな、ありふれた見た目をした細身の中年男性だ。同級生と言われればそんな気もするし、違う気もする。


苦保「まさかこんなところで会うなんて。もしかして、ボクのこと忘れてる?」


苦保は茄子野と向かい合うようにあぐらをかく。


茄子野「いやぁ、どうだろう……もう25年以上前のことだから、スッと思い出せなくて……」


苦保「それもそうか。ボク、中2の秋ごろに転校しちゃったから、一緒のクラスだった期間は短かかったんだよね。だから覚えてないのも無理ないよ」


茄子野「あー、そっか。でもなんか、見覚えあるかも。同じクラスだった気がしないでもない」


苦保「当時の思い出話でもすれば、記憶がよみがえるんじゃない?ほら……理科の佐治上さじがみ先生、覚えてる?茄子野くんがぶん殴ったおっちゃんの先生!」


茄子野「佐治上……あぁ、いたなぁ!そいつは覚えてる!確か、めっちゃおとなしい先生で、『コイツぶん殴ったらどんなリアクションするんだろう』って思って、授業中に顔面とみぞおちを殴ったんだった」


苦保「そうそう!それで佐治上先生、リアクションとるどころか泡吹いて気絶しちゃって、救急車で運ばれてさぁ」


茄子野「で、俺2週間の停学処分になったんだった。久しぶりに思い出した」


苦保「あとB組で一緒だった女子の粗我部そがべさんが茄子野くんとタイマン張ったってウワサがあったけど、あれ本当だったの?」


茄子野「粗我部……あぁ、いつも一人で自由帳にお絵描きしてた子か。あのウワサ、マジだよ。クラスでイキリ散らしてた俺がうざかったらしくて、学校裏に呼び出されてさ。『タイマンしろ』って言うから、ガチでケンカしたのよ。そしたら粗我部、めっちゃ強ぇーの。ほぼ一方的にボコられた。後から知ったんだけど、粗我部って空手2段で全国大会に出るくらいの実力者だったらしいんだよな」


苦保「マジで?粗我部さん、クラスでは全然目立ってなかったし、運動も苦手そうだったのに」


茄子野「人は見かけによらないもんだ。いやぁ、中学の頃のことなんてすっかり忘れてたけど、苦保と話してるうちにちょっとずつ思い出してきた。なんだかんだ楽しかったなぁ、中学時代」


茄子野が苦保に抱いていた恐怖心はどこへやら。すっかり打ち解け、童心に返る2人。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る