怨恨が絡む森で②

森の中にある洞窟に入るようマフィンに促すハッシュ。


ハッシュ「いいか?1時間経ってもじいちゃんが戻らなければ、スマホで警察に通報しろ」


マフィン「分かった。警察どころか軍も呼んで、絨毯爆撃じゅうたんばくげきでこの森を更地にしてもらうさ」


ハッシュ「やめてくれ、ここはワシの思い出の地でもあると話したじゃろうに」


ハッシュはライフルのボルトを引いて薬室の中を確認し、その場を離れた。


辺りを見回しながら、草をかき分けて進むハッシュ。自分たちに敵意は無いことが狙撃手に伝われば、見逃してくれる可能性がある。下手に抵抗すれば銃撃戦になりかねない。そう考えたハッシュは、あえて身を隠さずに歩いた。


だが、もし相手がライスなら話は別だ。ライスは息子を殺したハッシュを恨んでいるだろう。だとすれば、問答無用で殺そうとするはず。しかし彼はすでに死んでいて、この世にはいない……


思案するハッシュの視界の左隅が小さく光った。スコープが反射した光だと察知したハッシュは、その場にうつ伏せになる。頭上を弾丸が通り抜け、背後の木に当たった。地面をゴロゴロと転がり、銃撃された方向から身を隠すように木にもたれかかるハッシュ。


ハッシュ「撃つな!敵対する気はない!頼む!」


大声で懇願するが、攻撃が止まる気配はない。ハッシュの隠れている木を弾丸が次々にかすめる。応戦するしか助かる方法はない。


銃撃が止んだ。リロードしているのだろう。ハッシュは狙撃された方向をスコープで覗き、反撃に移る。直後、ありえない光景が目に飛び込んできた。


ハッシュの予想した通り、狙撃手が使っているライフルは九九式短狙撃銃。しかしライフルだけが宙に浮き、ひとりでに弾丸が装填されている。射手の姿が見えないのだ。ハッシュは驚きでトリガーが引けず、スコープから視線を外し、再度木を背にして身を隠した。


ハッシュの脳裏をある考えがよぎる。やはり敵はライス一等軍曹で、この世ならざる魂だけの存在になり、自分に銃撃戦を挑んできているのではないか。


再び飛来する弾丸。このまま隠れていれていても勝機はない。ハッシュは匍匐前進ほふくぜんしんでライスと思しき狙撃手から距離をとった。



−−−−−−−−−−−



ハッシュは木の上に登り、ライフルを構えてライスが射程範囲に来るのを待った。ライスの体こそ見えないが、ライフルは見える。宙に浮くライフルの高さや向きから、それを持っているであろうライスの体の位置を予想することで、狙撃も可能。幽霊となったライスを撃つことに意味があるかは分からないが、少なくとも「狙撃手としての敗北」を彼に味わわせることで戦況が変わるのではないかと、ハッシュは期待していた。


1時間ほど経ったが、ライスは現れない。そろそろマフィンが警察に連絡している頃だろう。警察が到着すれば、ライスは迂闊に手が出せず、逃走する可能性が高い。時間が経てば経つほど、ハッシュにとって有利になる。


さらに2時間が経過。やはりライスは姿を見せない。一方、マフィンが呼んだであろう警察が来る様子もない。この状況でハッシュができることは、動かずに辺りを警戒し続けること。ライスが現れるその瞬間を、何時間でも待ち続けることだけだ。


肉眼だけでなく、スコープで遠方まで確認するハッシュ。ライスが数百m離れたところから狙撃してくる可能性を考えれば、必要な対策だ。しかしスコープを覗いたことがハッシュにとって裏目に出る。


約150m離れた場所で、木の枝にくくり付けられたツタでマフィンが首を吊るされていた。手足はダランと垂れ下がり、動く気配がない。孫の死は、ハッシュを激しく動揺させた。これもライスの作戦。孫が死んで駆けつけない祖父がいるだろうか。だが孫のところへ行けば、確実に狙撃される。ライフルを持つハッシュの手が震えた。


ライスの復讐はもう始まっている。単にハッシュを撃ち殺すのではなく、親愛なる家族を失う絶望の中で殺そうとしているのだ。


ハッシュの視界のやや上の方、木に空いた穴からリスが顔を出し、目が合った。普段は可愛く思えるリスの顔が、バカにしているかのように見える。空に響く野鳥の鳴き声が、嘲笑に聞こえる。ハッシュの精神は限界を迎えつつあった。



−−−−−−−−−−



ドサッという鈍い音が、森の中に響く。何かが落下した音だ。その音を聞き逃さなかったライス。音の方向へと駆け出す。


大きな木の根元に、ハッシュが横たわっていた。右手はライフルを握ったまま。左手には血のついたナイフ。首から血が滴り、大きく開いた目は焦点が定まっていない。自決。孫の死を前に耐えられなくなったのだろう。息子を失ったかつての自分と同じように。


ライスは死んでもなお狙撃手だ。自分の手で息の根を止めるまで、ターゲットの死を信頼しない。右目でスコープを覗き、約10m離れた木の影からハッシュの眉間に狙いを定める。


引き金に指をかける寸前、ハッシュの右腕が動き、ライフルの銃口がライスに向けられる。銃口から発射された弾丸がライスのスコープを貫通、右目を通過した。ライスの顔の右半分が霧散する。


ハッシュ「……油断しましたね、一等軍曹殿」


ライスはこれまで消していた気配を全開まで強め、ハッシュに自分の姿を見せる。


ライス「死んだふりか……」


ハッシュ「リスがいたので、殺して血糊を作りました」


ライス「……見事」


ライスの体は霧のように消え去り、ライフルだけが地面に落ちた。


ハッシュ「……息子さんのことは、申し訳ありませんでした」


もう届かない一言を残し、ハッシュは孫の元へと駆け寄る。ツタを切り、息をしていない小さな体と、恩師の残したライフルを背負って、ハッシュは日が沈んで暗くなった森を、奥へ奥へと歩き続けた。


<怨恨が絡む森で-完->

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