苦悩と救済の狭間で②

傘常の娘の頬は彫刻刀で削ったかのように痩せこけ、長い髪は脂で固まっている。悪魔祓いものの映画に登場する取り憑かれた人間そのものだ。この手の映画だと、憑依した悪魔や悪霊が宿主の体を操って、部屋に入る者を攻撃しようとするのが定番。しかし、少女は眠ったままだ。枕元まで近づいても、剥製のように動かない。


少女を見て、本当に悪霊に取り憑かれているのか、疑問を感じた都田。実は医者が誤った診察をしていて、何かの病気で寝ているだけで、時間が経てばそのうち何事もなかったかのように目覚めるのではないか。明らかに弱っているものの、静かな寝息を立てているだけの少女を見ていると、そんな気持ちになる。


もし悪霊に取り憑かれていないのだとしたら、都田はいくら報酬を支払われても、この少女の命を奪いたくないと感じていた。



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高校を卒業後すぐに結婚し、娘が生まれた都田。幸せな生活を送れるかと思ったが、家庭環境は悪化した。妻が職場のいじめと育児によるストレスから酒を飲み続け、極度のアルコール依存症に陥り、娘に対して暴力を振るうようになった。


結婚から約2年で離婚し、娘を一人で育てることにした都田だが、当時勤めていた会社が経営不振による大量解雇を実施。都田の勤務態度は良好とはいえず、他の社員とトラブルを起こすことが多かったため、真っ先にリストラの対象となったのだ。その後、職を転々としたが、どの会社でもクビに。自暴自棄になった都田は家にほとんど帰らず、ギャンブルに溺れる日々を送った。


娘が死んだのは4歳になってすぐのことだ。栄養失調と熱中症が原因とされ、都田は保護責任者遺棄罪で逮捕。裁判の結果、執行猶予付きの有罪判決が下された。


娘の死は都田の生活を一変させた。ギャンブルは完全にやめて、今度こそ真剣に生きることを誓った。だが、どうしても仕事だけがうまくいかない。生活費が底をつきかけたとき、ある知人から殺人の依頼をされた。一人殺すだけで100万円。都田はワラにもすがる思いで引き受けた。


それから殺し屋の仕事をしている。今までで最も長く続いている仕事だ。しかし、人を殺すのは気分の良いものではない。都田自身、大金をもらえないのであれば、殺人をしようだなんて思わない。それでも続けてこられたのは、今まで殺した人間たちには、大なり小なり殺されても仕方ないと思える理由があったからだ。結婚詐欺師、横領犯、麻薬の売人、密猟者など、社会的に「悪人」と呼ばれる者だけがターゲットだった。


だが今回の件は違う。幼い子どもを、自分の娘と年の近い子どもを、「悪霊に取り憑かれているかもしれないから」なんて、バカげた理由で殺そうとしている。


傘常は自分の娘を殺すことが救いであると言っていたが、都田はその言葉をどうしても信じ切れずにいた。本当にこの子にとって死が救済になるのか。親友の頼みだからといって何の罪もない子を手にかけた後に、「やはり正しかった」と納得できるのだろうか。


都田は包丁を強く握りしめた。寝ている子どもを殺す。過去、殺し屋として請け負った仕事の中でここまで簡単なものはい。なのに、最も難しい。


少女の寝顔が娘と重なる。涙を流して懇願する親友の顔が頭に浮かぶ。あらゆる感情が葛藤となり、心と体にブレーキをかけるのだ。

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