命の痕(全2話)

命の痕①

取調室でパイプ椅子に座る、黒髪ショートボブの若い女。名前は東金 球子とうがね たまこ。珠子は、机を挟んで座る中年の男性刑事に向かって、口を開く。


「看護学校を卒業してから、2年ほど病院で勤務していました。人を救う仕事がしたいと考えて選んだ道です。けど、看護師の仕事量は想像していた以上に多いし、上司のパワハラがひどく、もう続けるのは無理だなって、退職しました。でもやっぱり困っている人を救いたくて、別の方法を探しているうちに、この仕事を思い付いたんです。怪我の治療をしたり、病気で悩む人を世話したりするだけが、人を救うことじゃないって気付いたんですよね」


球子の心は微塵の悪意すらなく、透き通っていた。


「たくさんいたんです。お金を払ってでも、今すぐ楽に死にたいって考えている人。SNSで募集したら、この8年間で44人からDMをいただいて。私は、彼らの自殺をお手伝いしました。もちろん報酬ももらっていましたよ。実行日の前日までに、私の口座に振り込むよう依頼主たちと約束していたんです」


球子の思いついた仕事は、殺し屋そのものだった。


「何も難しいことはありません。指定された日の深夜、依頼主の自宅に行き、玄関前に置いてもらった合鍵で家に入る。そして、寝室で寝ている依頼主の腕に注射をして、ある薬を投与します。徐々にすべての生命活動が停止し、30分足らずで死に至る薬。しかも体内で完全に分解されるから証拠も残らない。闇サイトで大量に購入できました。終わったら何事もなかったかのように立ち去る。それだけです」


球子にとって、それは天職だった。


「依頼主の安らかな寝顔、いや死に顔を見ていると、これも慈善事業なんだと、前向きな気持ちで取り組めました」


しかし、出頭した。


「44人目、60歳くらいの男性が注射をした直後、目を覚ましました。で、『やっぱり死にたくない!』って叫んで、私の左手首を掴んできたんです。死ぬまでずっと、涙を流しながら叫び続けていました。そのときにふと思いました。『自分のやったことは、人助けになっていなかったのかも』って。他の人たちも、この人みたいに『やっぱり死にたくない』って思って死んだのかもって」


球子にある変化が起きた。


「でも、今までに私が殺した人たち全員が『死にたくない』と思ってたわけじゃないだろうと考え直し、生活を続けました。そんなときです。私の左手首の内側に、小さい赤紫色のアザが1ミリほどの間隔で3つ、縦に並んでいるのに気づきました。これでも元看護師ですから、それが注射痕だとすぐに分かりました。自分で打った記憶はありません。注射痕は1日1個ずつ、等間隔で増えていきました。だんだんと、ヒジの内側へと続く点線が出来上がっていったのです。22個目ができた翌日、23個目以降の注射痕は手首へと折り返すようにできました。たぶん、放っておいたら22個の注射痕で作られた点線が2本、私の腕にタトゥーみたいに入っていたと思います。全部の注射痕を足すと、ちょうど私が殺した人の数と同じですね」


死は救済だと思って他人の命を奪ってきた球子だが、本人にとって死は恐怖でしかなかった。


「注射痕の数が44に近づくにつれて、とても怖くなりました。おそらく、いやほぼ確信的に、最後の44個目ができたとき、私は死ぬんだと思いました。この注射痕一つひとつが今まで殺した人たちの恨みそのもので、私はきっと、彼らの怨念で苦しみながら死ぬんだろうって。そしたら無性に怖くなって。だから左腕を切り落としたんです」


球子の左腕はヒジから先が無い。

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