スコープ越しに(全2話)

スコープ越しに①

20階建て商業ビルの屋上。


黒いニット帽を被り、灰色のトレーナーを着た細身の若い男が屋上のふちに片膝を立てて座り、双眼鏡を覗いている。雲間から太陽の光が差し込んでいるものの、12月の冷たい風が吹き、男の体を冷やした。


だが狙撃をするなら、ここよりもベストな場所は他にない。周囲300m以内にあるどのビルよりも高くて見晴らしが良く、ターゲットが現れる公園を一望できる。この屋上にも、他のビルの屋上にも人がいないので、発砲音を聞かれたとしても誰かやって来るまでに逃走する猶予は充分。


男はプロの殺し屋だ。


背負った黒いギターケースを床に置き、チャックを開いた。中に入っているのはギターではなく狙撃用のライフル。銃身の長いライフルを怪しまれないように持ち歩くなら、ギターケースがピッタリなのだ。


男はライフルにスコープをセットした。そしてライフルを床に置くと、這いつくばる体勢でスコープに右目を当て、銃のグリップを握る。


今回のターゲットは麻薬の密売人。一見どこにでもいそうな50代の小男だが、海外のマフィアとつながりがあり、安い金額で日本に密輸入した薬物を、相場以下の価格で転売している。


麻薬を買いたい人間からすれば、この小男の存在はありがたいだろう。しかし、商売敵の人間からすると、小男は邪魔者に他ならない。価格破壊が起き、これまでの値段で薬物を売ることができなくなってしまうからだ。そこで、男に暗殺の依頼が入った。


ターゲットの密売人は、男のいるビルから150mほど離れた広い公園内でいつも薬物の受け渡しを行っている。受け渡しが終わるとあっという間に姿をくらまし、どこに潜伏しているか誰にも分からなくなる。そのため密売人を消すには、公園に現れたところを気付かれないように狙撃するしかないのだ。


男は公園にいるであろう密売人を探すべく、園内にいる人間を一人ひとりスコープに映していく。6人目の人間をスコープで捉えたとき、男は違和感を覚えた。


暗闇のように黒くて腰まである長い髪に、薔薇のように真っ赤で肩が露出しているワンピースを着た女性。男から見えるのは女性の左半身のみで、顔は髪で隠れている。女性は立ったまま、ピクリとも動かない。


12月だというのに肩まで露わになっているワンピース。どこかへ行くわけでもなく、たたずむ様子。不気味に感じて、男はスコープから目を離した。


150m離れているが、公園内の芝生と真反対の色である赤は目立つだろう。男は肉眼で公園を見た。しかし女性の姿はない。視力2.0の男が真っ赤なワンピースを見逃すはずはない。


もう一度スコープを覗く男。そこにはやはり、たたずむ女性の姿があった。


「あの女、何かが変だ……」そう思った男だが、女性は自分の仕事に関係ない。引き続き、密売人を探すことにした。



−−−−−−−−−−



10分後、大きな木の陰に密売人の小男を発見。白いYシャツに薄茶色のチノパンを履き、スマートフォンで電話をかけている。


密売人は電話で誰かに怒鳴っているようで体をたびたび動かしており、今の状態では照準がブレ、狙撃するのは難しい。男は、密売人の元に薬物の買い手がやって来て、動きを止めたタイミングを狙おうと考えた。


そのタイミングがいつやって来ても良いようスコープを覗き、密売人を視界に捉え続ける男。すると、スコープの右下から誰かが密売人に接近してきた。さっきの、赤いワンピースを着た女性。薬物を買いにやって来た客だったようだ。


男は狙撃するチャンスを待ち、引き金に右手の人差し指をかけた。


密売人と女性は、男の目算で1.5m程度離れた距離に、向かい合うように立っている。しかし会話している様子はない。女性は密売人をじっと見つめているが、密売人は女性に全く視線を移さず、電話を続けている。まるで女性のことを認識していないかのようだ。


「やはり何かがおかしいぞ、あの女……」男がそう感じた直後、女性は両手で密売人の首を絞め始めた。密売人は女性の手の上から自分の首に手を当て、苦悶の表情を浮かべる。


スコープ越しに殺人が起きている。殺し屋である男も、いきなりのことに驚いた。


並みの人間なら、恐ろしくなって逃げ出す状況だろう。しかし男はプロの狙撃手。ターゲットを撃ち殺すまでは、1週間でもその場を動かない。


一方、プロの狙撃手であるがゆえに、男の脳内をある思考が支配していた。



「もしあの女が密売人を殺したら、自分に報酬は入るのだろうか」

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