第四章 - 真実とは -

 焚火の暖かさに、少年は目を覚ました。


 だが、話せるほどの体力はなかった。麦種を溶かした重湯を少し飲むと、また眠りについた。

 眠った少年を予備の外套で包む。

 シュトたちも食事を摂ると少年を毛長駝鳥の薄墨姫に乗せ、その場から移動した。

 女性の遺体から、タイカが髪をひと房だけ切り取った。故郷の村に辿り着ければ遺族に渡せるだろう。

 曇天だが、まだ明るい。陽が出ている間に出来る限り移動しておきたい。


「あの狼、まだついてきてる」


 シュトが振り返り、タイカに伝えた。

 木々の間から、時折白い狼の姿が見えた。

 つかず離れずの距離で狼が後を追って来ている。


「この子を守ろうとしているのかな」


 タイカが空を見上げた。空が昏みを増してきていた。

 厚い雲が夕日の朱と、そして夜の青みがかった黒い色に染まっていた。


「次に開けた場所を見つけたら、そこで休もう」




 森が開けた。岩場だった。岩と岩の隙間を縫うように小さな川が流れていた。

 ここで休もうとタイカの声が聞こえた。

 少年を見る。外套から覗いたその顔は蒼白だった。


 焚火を熾し、野営の準備が整った頃には陽は落ち、辺りは闇に包まれていた。

 少年が目を覚ました。

 何かをつぶやいている。小さい声で聞き取れなかったが、何を言っているかは察することが出来た。

 お母さん。

 そう言ってるのだろう。少し、胸が苦しい。

 遺体を運ばなかったタイカの判断の正しさは理解出来る。しかし、もう少し何か出来たのではないかと思ってしまう。


 少年が、何かをタイカに訴えていた。

 母親はどこかと、そう言っているのだろうか。

 独特の発音。以前遭遇した北の蛮族のそれに近い。育てられた蛮族の集落の言葉なのだろう。

 タイカが一言二言、話す。被せる様に少年が返す。舌足らずな言葉で、何かを伝えようとしていた。


 それを何度も繰り返した。

 最後に少年が顔を上げ、タイカに何かを言った。

 タイカが、顔を強張らせる。


 少し離れた場所から、ヤムトが見定める様にふたりの様子を伺っていた。


 タイカが目を伏せた。

 懐に手を入れる。取り出したのは女性の遺髪だった。焚火に照らされた髪は銀糸の束のように見えた。

 遺髪を、少年の手に握らせる。

 目を見開いたまま、少年が震えた。

 次いで、叫び。喉が切れてしまうのではないか。そんな絞り出すような、少年の叫びだった。

 暴れる少年を、タイカが抑える。そっと触れるような抑え方だったが、少年はそれだけでタイカの懐に倒れこんだ。なおも藻掻もがいているが、抵抗は弱々しい。


「せめて村を見つけるまでは、お袋さんが生きていると嘘をついた方が良かったんじゃねえですかい」

「それはそれで母親に置いて行かれたと、この子は傷つきます」


 少年が寝入った後。ヤムトからの非難めいた言葉に、タイカが反論した。


「なら真実を教えた方がいい」


 少年を最後まで守ろうとした。その想いこそを伝えるべきだと、タイカは言う。

 繰り返すやり取りを見ていた。少年が強く真実を望んだのだろう。

 シュトと違い、蛮族の言葉で交わされていたであろうその会話の詳細をヤムトは聞き取れたはずだ。以前、蛮族の言語にも精通していると吹聴していたのだから。

 それでも、ヤムトは納得していなかった。


「人はそんなに強かねえんですよ。ましてや、その坊はまだ四歳かそこらでしょうに」


 珍しいと、シュトは思った。普段のヤムトなら、幼子であれもっと淡泊な態度でいるだろうに。ヤムトの神経を刺々しくする何かがあるのだろうか。

 尚も言い募ろうとするヤムトに、タイカが手を上げて制した。タイカの視線が鋭い。

 その目はヤムトの背後、森の奥へと向いていた。

 シュトも気付いた。

 悪寒。次いで、木々の間の暗がりから無数の小さな赤い光が見えた。それぞれが対になった、血のような赤。

 獣の目だった。

 ヤムトも振り返り、目に気付いた。毛長駝鳥に駆け寄り、焚火の方へ曳く。


 赤い光点の一対が、不意に大きくなった。森の闇から、白い塊が飛び出してくる。


 白い熊。

 《狂える獣》だった。


 勢いのまま、シュトたちに向かってくる。

 タイカが駆け出した。

 長剣を抜きざま、地を這うように横に一閃する。

 熊の後ろ脚から血が吹き上がった。横転する。

 だが、尚も立ち上がろうとする。


「説得は」

「無理だ」


 シュトの叫びに、タイカが応じる。


「彼らは既に飢えている。こちらの言葉に耳を貸さない」


 どうして。シュトは疑問に思った。人を襲う前であれば、タイカなら《狂える獣》を説き伏せることも出来るのではないか。


「匂い」


 ヤムトがつぶやいた。


「この子は《はふり》の子。長く精霊と接し過ぎた。精霊の匂いが強い。この子なら憑りつけると、あいつらは思い込んでいるんでさあ」


 何故、そんなことを知っているのか。

 シュトは問い質そうとしたが、次の《狂える獣》が飛び出してくる。白い猪だった。

 油燈ランタンの鎧戸を開ける。中から火が吹き上がる。鞭のように伸びた火が猪を殴打した。

 三匹目。また熊だった。まとった霜をこぼしながら、少年に迫る。

 ヤムトが焚火の中から、火のついた木片を投げつける。怯んだのは一瞬だけで、勢いは殺せていない。

 タイカも、シュトも咄嗟に動けない。少年は意識を失ったまま、起きる気配もない。

 熊が前脚を振り上げる。

 白い影がはしる。

 熊が、咆哮を上げた。血が吹き上がる。

 熊がよろめき、倒れた。血しぶきは、熊の首から上がっていた。

 白い狼が、熊の首に食らいついていた。

 抉るように首を振る。倒れた熊の上で、狼は首を伸ばした。

 血を浴び、狼の体毛は白と赤の斑模様に染まっていた。

 間を置かず、次の《狂える獣》が現れる。斑色になった狼が駆け出し、間に入る。

 狼が振り返った。少年を見つめ、次いでシュトたちを見回す。


 タイカが駆け戻って来た。

 走りながら、少年を抱きかかえる。


「逃げろ」


 タイカが叫んだ。タイカの背後から迫る《狂える獣》に、斑の狼が飛びかかる。

 ヤムトも、薄墨姫を曳いて川へ飛び込んだ。

 水飛沫が上がるが、水深は浅い。足首が沈む程度だった。

 一瞬躊躇したが、シュトも続いた。長靴の厚い革を通しても刺すような水の冷たさを感じたが、震える余裕もなかった。

 横を見る。走るタイカの肩から、抱きかかえた少年が身を乗り出していた。流石に目覚めたようだった。手を背後、《狂える獣》たちの方へ伸ばしている。

 指の先を追う。斑色どころか、ほとんど血の赤色に染まった狼が居た。自らの血か、他の獣たちの血かも分からない。

 血の中に沈み、それでも爛々と光る赤い目と、少年の視線が絡んだ気がした。少年が口を動かす。何かつぶやいているようだったが、シュトの耳には入らなかった。

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