終章 - 少年の日の終わり -

「そろそろ村を出ようかと思います」


 タイカが村長に伝えた。

 村に滞在して数週間が過ぎていた。長過ぎる滞在だった。

 村長は別れを惜しんだが、タイカが旅を生業とする《物語り》であることも弁えていた。


 出立の前夜、タイカたちの為、村長が音頭をとって送別の宴を開いた。




 宴の席、シュトは隅で果実の汁を飲んでいた。

 村長の長兄がタイカ、それにヤムトと熱心に話し込んでいる。

 いつの間にか仲良くなったようだ。

 対して、テシトの方は事件の後、タイカと話すことは少なくなった気がする。

 シュトとも距離を置いていた。仕方ないことだ、とシュトは思った。

 攫われた。殺されかけた。助けたシュトも、テシトからして見れば異常な能力の持ち主で、恐ろしい存在に違いない。他の村人たちからは忌避されていないが、能力を直接見ていないからだろう。

 訪れた村で、火をまとうシュトの姿に慄く村人たちを何度も見ている。

 空になった杯を手に、さてどうしようかと考えていると、横から新しい杯が差し出された。

 テシトだった。少しだけ驚いた。見つめると、テシトは若干怯んだ風だったか、それでも動かない。


「ありがとう」


 そう言って、杯を受け取った。テシトがほっとしたように、代わりに受け取った空の杯を持ってその場を去る。

 やはり怖がられたな、と思っていたところだったが、テシトはそのまま戻ってきた。


「まだちゃんとお礼を言ってなかったよね。ありがとう」

「別に」


 そっけなく、シュトが返事をする。テシトは戸惑った風に視線を彷徨わせたが、意を決したように口を開いた。


「なんで僕を助けに来てくれたの。それも独りで」

「お世話になった家の人だから」


 それに独りじゃない。

 タイカもすぐ来ると分かっていた。

 そう、シュトは答えた。


「そうか。君たちは」


 テシトが押し黙る。しばらくして、再度尋ねてきた。


「僕は、君たちみたいになれるかな」


 シュトは驚いた。こんなに恵まれた環境にあるのに、自分たちのようになりたいなんて。

 何でそんな必要があるのか。思わず聞いてしまった。


「何でって」


 テシトが口ごもる。


「ここは安全。少なくても森の中よりは。優しい家族もいる」


 攫われて怖くなかったのか。シュトは尋ねた。


「怖かったよ」


 テシトが身震いした。また沈黙する。


「最近、兄さんとよく話すんだ」


 口を開くと、思いもしないことを語り始めた。


「兄さんも、タイカさんに比べて、世間を知らないと嘆いていた」


 父さんも自慢する、頼りになる兄さんが。そうテシトがつぶやいた。


「それどころか、僕の方がものを知っているなんて言うんだ。そんなことないのに」


 テシトが木戸の窓越しに外を見る。暗くて見えないが、夜の森が広がっているのだろう。


「今でも森は怖い。特に夜は、見ることも出来ない」


 だけど、とテシトは続ける。


「このままじゃ駄目なんだ。だから」


 だから君たちのように強くなりたい。そう言って、テシトはシュトを見つめてきた。

 シュトは戸惑った。自分は火の精霊の《はふり》だ。身を守る術も、タイカから教わっている。だがテシトも特別な能力を身につけたいとか、そういう意味で問うてきたのはない気がする。

 シュトは自分を省みた。最初はどうだったか。《はふり》としての加護を受けても、自分はただ逃げ惑うばかりではなかったか。


 自分はいつ変わったか。


「私は、タイカに助けてもらった」


 言葉を探しながら、シュトは話し始めた。


「最初は、とりあえず生きる為について行くだけだった」

「生きる為に」

「うん。何も知らなかったから。そのまま森に独りでいたら、三日も経たずに死んでた」


 死んでた、という言葉にテシトが目を見開く。火の精霊が共にあろうと、それだけでは森の中を生き抜くことなど出来ない。


「でも、それじゃ駄目だって思った」


 だから、タイカを助けたい、役に立ちたいと思った。そう、シュトは言った。

 言った後、シュト自身も自分の言葉に疑問を抱いた。


 何故自分は、駄目だと思ったのだろう。


 命じられたことを果たす。そうやって生きてきた。そんな自分が何故。


 省みる。


 タイカは、色々なことを教えてくれた。だが、その教え方は問いかけるような言い方が多い。シュト自身がどう思い、考えるかを質問してくるのだ。

 食材、薬材となる実や草花の見分け方や採り方などは、覚えるだけなのだから結論だけ教えて欲しいと思ったが、考えているうちに色や形などに共通する特徴があることに気づいた。

 それを伝えると、タイカはひどく喜んでくれた。


 そうだ。そうやって、私は自分で考えることを知ったのだ。 


「だから、どうすれば助けになるか、役に立てるかを考えて、あとは」


 少し考え、続ける。


「直接、伝えた。助けたい、役に立ちたい。どうすればいいか、訊いた」


 余計なことを考えるな。そう怒られるかもしれない。

 奴隷の頃の経験が、シュトにそんな怯えを感じさせた。

 だけどタイカは違う。自分で考え伝えることを、その術を教え続けてくれた。


 だから伝えることが、訊くことが出来た。 


 タイカは喜んでくれた。その時は、何をして欲しいという答えはくれなかった。だけど、相手に気持ちを伝え、喜んでくれる。それだけでも心が繋がっている、重なっていると思うことが出来た。

 自分が《はふり》として以外の強さがあるとしたら、それが支えになっているからではないか。

 

 だからテシトも、自分の大切な人たちにちゃんと話せばいい。自分の気持ちを、決意を。

 そう、シュトは伝えた。

 テシトは戸惑っているようだった。シュトには怯えているようにも見えた。


「怖いのかな」

「怖いなんて」


 テシトは言いかけ、首を振った。


「いや、怖いんだ。自分の気持ちを出すのって、怖いんだね」

「でも、私には出した」

「それは」

 

 テシト自身が、何故か分からない風だった。考え込んでいる。

 シュトは、タイカやヤムトとの会話を思い出した。


「親しい人ほど、気持ちを伝えるのが怖い。嫌われるかもしれないって考えてしまうから」

 

 シュトが口にする。

 ヤムトが話した、とある商家の娘が画家を志望するが、親に言い出せないという物語。それを聞いたシュトが何故、大事な人に隠し事をするのかと質問した時、横で聞いていたタイカが答えてくれたのだ。

 ただし口調がどこか他人事な風で、タイカ自身も知識として以上の理解はしていないのかなとは思ったが。シュトもまた、奴隷だった頃の主人や格上の奴隷といった、とても近しいとは言えない人からの叱責ばかりが連想され、親しい人からの恐怖という感覚は馴染めない。


 旦那は強いおひとだから。そうヤムトが苦笑していたのも覚えていた。

 

「いや、それじゃ僕が君のことを」

「別に私は気にしていない」


 テシトが困ったように、曖昧に笑う。


「ごめんね」


 だから気にしてない、とシュトが重ねる。


「でも、ありがとう。うん、家族にちゃんと話してみる」


 テシトが立ち上がる。


「君はこれからも旅を続けるの」

「わからない」


 それはタイカ次第だった。何故、北の方へ向かうかも分からないが、タイカが行くと言うのだ。何か理由があるのだろうし、必要になれば話してくれるだろう。


「君たちの旅が、どうか幸せに繋がりますように」


 それがテシトとシュトのふたりだけでの、最後の会話になった。




 そうして、シュトたちは再び旅の人となった。

 シュトはふと思い出す。そして考える。自分は何であんな話をしてしまったのかと。


「どうかしたのかい?」


 ぼんやりとした顔を見られてしまったらしい。タイカが尋ねてくる。


「別に。大丈夫」

「そうか。なら良いんだ」


 タイカが微笑む。その様子に、ヤムトが揶揄からかう風に声を上げる。


「旦那、声をかけるならもう少し気にかける感じの方がいいんじゃないんですかい」

「本人が大丈夫だと言ってるじゃないですか」

「そういうことじゃなくてねえ。お嬢だって若い娘っ子なんだから」

「何か余計なことを考えてませんか」


 軽口を叩くふたりを見る。

 ふと、頬に触れる。少しだけ、口角が緩んでいることに気付いた。




── 第十話 了 ──

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