第五章 - 闇夜の中で -

 物陰から潜み、様子をうかがう。

 森から出て来た影は、人間のようだった。


 野盗か。

 テシトは吞みかけた息を抑える。喉を鳴らす音で気づかれるかもしれない。

 月明かりで見えた影はふたつ。背が高い。骨も太そうだが酷く痩せていた。衣服は擦り切れた襤褸になっていて、着ているというより体に巻き付いているように見えた。手には鉄の棒のようなものを持っている。

 平たい形からすると、元々剣だったのかもしれない。


 ふたりは豚小屋の方へ入ろうとしていた。閂を開ける。

 閂を乱暴に投げ捨てる。その音に、思わず声を上げてしまった。


 気付かれたか。


 テシトは息を止める。ふたりは振り向かない。

 ほっと息を吐いた瞬間、片方が突然走り出した。こちらに向かってくる。

 逃げなくては。人も呼ばないと。

 助けて、と叫ぶ。否。叫びかけたが、人影が、大きな男が棒を振り下ろしてくる。

 避けたつもりだった。だが、こめかみに衝撃が走った。

 意識が途切れた。




 湿った草の匂いがした。


 テシトは目を開いた。闇だった。いや、微妙に濃淡がある。それが流れている。

 時折明るくなると、木々が見えた。

 森の中だった。体が上下に動いている。運ばれているのだ。


 腰を締め付ける力の強さに、吐き気を感じた。内臓が押し潰されそうだ。

 頭痛がする。だが、血が流れているような感触はない。どうやら、こめかみには鉄の棒が掠っただけだったようだ。だが、その衝撃で気絶してしまったらしい。

 不意に、体が宙に浮いた。次いで背中に衝撃。地面に落とされた。盛り上がった木の根に腰が当たり、うめき声も出せず息を吐いた。


「動くな」


 地の底から這い出したような、低い声だった。枯れた、男の声である。発音が独特で、短い言葉でなかったら何を言っているかも分からなかっただろう。

 あらためて、男たちを見る。太い骨。だが痩せている。肌も骨のように白い。巨人の骸骨が動いているのではないかと錯覚するほどだ。片方の男の束ねた髪は錆びた針金のようだった。そして目は。

 男たちの目は。


 これが人の目か。テシトは身震いした。


 落ちくぼんだ眼窩。その底で、爛々とした目でシュトを見下ろしていた。動くな、と言われるまでもなく、テシトは金縛りにあったように動けなかった。


「おい、こいつをどうするんだ」

 もうひとりの男が問うて来る。背丈は小さいが横幅は気持ち広い。禿頭だった。肉も手に入らんかった、と忌々し気につぶやいている。


「人質にする」


 テシトを見下ろしていた男が言った。


「この身なりだ。肌艶もいい。村でも上の家の子供だろう。食い物やらを要求する」

「奴等が断ったらどうする」

「その時は」


 男がテシトを見る。冷たい目。否。むしろ、そうであれば良かった。男の目には熱があった。獲物を目の前にした獣のような、舌なめずりするような目だった。


「獣の餌にしておびき寄せるか。それか」

 こいつを食うか、と低い声で言う。


 テシトは正気を疑った。だが、禿頭の男は驚かない。同じように見下ろしてくる。


「肉付きもいいしな」


 目が合う。瞬間、腹に重い衝撃が走る。体が浮き上がり、背が木の幹にぶつかった。

 痛み。ついでこみ上げてきた吐き気にげえげえと戻す。


「こっちを見るな」

「おい。まだ殺すなよ」

「分かってる。こいつよりも豚の方が旨そうだしな」


 自分は豚以下か、とテシトは思った。こんな人間がいるのか、外には。


「だが、耳位は落として投げつけた方がいいかもしれん。指でもいいが」


 針金めいた髪の男が手を伸ばしてくる。逃げよう体を動かすが、先ほどの衝撃で息も出来ずもがくのが精々だ。

 首を押さえつけられる。目玉だけを動かして上を見る。男が鉄の棒を振り上げていた。

 平たい棒。やはり剣か鉈のようだが、刃などほとんど見えない。叩きつけられたら、斬るというより抉り散りそうだった。

 息が止まる。鼓動が早まる。それでも男の得物から目を離せない。

 男が得物を振り降ろした瞬間。


 目の前で光が破裂した。


 突然のことだった。理解が追いつかない。気付いた時には、男が腕を抑えてのたうち回っていた。

 男の抱えた腕が、たいまつのように燃えていた。

 その横を、影が疾る。

 テシトと、まだ立っている禿頭の男の間に入る。


 シュトだった。


 油燈ランタンを掲げ、突き出すように前に出している。

 虚をつかれた禿頭の男だったが、すぐに身構えた。


「火の悪魔か」

 呪われている、とつぶやく。声が震えていた。


 倒れている相棒を一瞥した後、シュトをにらみつける。何かを決意したように、少しずつ前に足を進める。

 対してシュトは後ずさる。腰を屈め、テシトの襟首をつかむ。

 同時に、禿頭の男が飛び出してきた。得物を横なぎに振るう。

 シュトが、首を下げて躱す。テシトを掴んだまま、横に転がる。転がった勢いで、テシトを放り投げる。

 テシトが茂みの中に放り出された。

 テシトと男たちの間には、かなり距離が出来た。

 シュトが転がった先で起き上がろうとしている。


 シュトが一瞬、見えなくなる。

 禿頭の男が飛びあがった、その影で遮られたのだ。

 シュトに向かって得物を振り下ろす。

 シュトの油燈ランタンから火が広がる。男が火に包まれる。

 だが、先ほどの光よりも勢いがない。

 禿頭の男は転がって火を消すと立ち上がった。襤褸が燃え、ほとんど裸になり、肌もあちこちが黒ずんでる。

 しかし、勢いを増してシュトに襲い掛かる。得物を両手持ちに変えてシュトに振り下ろし。


 その得物が、急角度に折れた。

 禿頭の男の前に影が立った。

 タイカだった。


 森から飛び出してきたタイカが、禿頭の男の手首に剣を叩きつけたのだ。

 禿頭の男の腕は半ば切り落とされ、血が宙に吹き上がる。

 禿頭の男がタイカを睨みつける。獣のように口を開き、威嚇する。正気を失くしてしまったかのようだ。

 そのまま、頭から飛びかかる。歯を剥き、タイカの首を狙う。

 タイカが剣をひねる。懐に引き、突き上げる。剣の先端が、男の喉元に突き刺さる。

 タイカが体を傾ける。剣の刃が横に流れ、笛のような高い音と共に、再び血が宙に散る。

 禿頭の男が倒れた。わずかに痙攣した後、今度こそ動かなくなった。

 腕を焼かれた方の男が木を支えに立ち上がり、逃げようとする。

 タイカが追いかける。一瞬テシトを、そしてシュトを見たような気がした。

 シュトがテシトに駆け寄り、テシトの頭に触れる。

 炎に包まれた男たちの姿が脳裏によぎり、一瞬、体が固まる。しかし触れた指の冷たさ、薄い表情だが、それでもテシトを心配するように眉をひそめるシュトの顔を見た時、安堵の方が強くなる。


 テシトは意識を失った。

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