第六章 - 三度、説く男 -

 夜も遅くなり、また雨足が強くなってきた。


 タイカは帰って来ない。婦人の子供も帰って来なかった。

 シュトも不安だったが婦人はもっと酷く、血の気を失って蒼白になっていた。


 意を決した婦人が、村長に助けを求めて家を出た。シュトたちも同行した。

 話を聞いた村長は「面倒ごとを」と婦人を叱り飛ばしたが、それでも村人たちに声をかけ、広場に集める。

 集まった人々は昼と同様、ふたつの集団に分かれていた。

 ダクシヤを信じる衆と、信じない衆。当のダクシヤは不在のようだった。

 村長から子供が行方不明なこと、川へ魚釣りに行ったことなどが語られる。

 皆が顔を見合わせる。雨の日に川など、と小声で囁く者もいたが多くは押し黙っていた。


 皆、悪人ではない。子供が心配なのだろう。だが、他人の子だ。


 どうやら婦人には近縁の親族もいないらしく、夜の川、しかも雨で増水している川にまで危険を侵して探しに行こうという者はいないらしい。

 ダクシヤはどこにいるんだ、という声がダクシヤを信じていない集団から上がった。


「あの方は、体調を崩して休まれています」


 若い声が響いた。昼間、ダクシヤの家から出てきた少年だった。

 精霊様の加護はなかったか、と揶揄するような声が上がる。険悪な雰囲気となった。

 その様子に、村長は溜息をついた。


「朝、日が出たら人手を募ろう。すまないが手伝ってくれる者は朝にまた来てくれ」


 婦人が口を抑える。抑えきれない嗚咽が雨の中でも響き、周囲の村人たちがばつの悪い顔をする。が、誰も「今から捜しに行く」と手を上げようとはしない。

 朝になったら捜しに行くから、と何名かの村人が掛ける声に婦人が小さく頷いている。

 それでは間に合わないかもしれない。

 シュトはいらついた。タイカも帰って来ていない。遭難しているかもしれない。

 思わず声を上げようとするが、肩を掴まれる。


 ヤムトだった。


「旦那なら、大丈夫でしょう。子供も連れ帰るに違いない」


 気楽な調子で言う。


「あのひとは、何か違う。手前はあのひとが遭難するところが想像出来ねえ」


 確かにその通りだ。信じようと、シュトは決意した。

 それよりも、とヤムトが肩をすくめる。


「ご婦人をなだめねえと。あの調子じゃあ、朝になる前に倒れちまう」




 森の木々の切れ目から朝日が見えた。


 雨は止んでいた。

 薄雲を通しての弱い光だが、それでも暗灰色の空が少しずつ明るくなる。

 人々が再び村の広場に集まって来た。しかし、人数は夜中よりも明らかに少ない。

 まだ薄暗い為、それぞれの手に松明を持っている。


「こんなものか」


 ヤムトがつぶやく。淡々としたものだ。

 その中にダクシヤの姿があった。


「私も村の一員だ。幼子が行方知れずというなら、探さねば」


 一々所作が大袈裟だ。芝居がかっている、というのだろうか。シュトは芝居というものを見たことがないが、タイカからそのような娯楽があると教えて貰っていた。


「おい、あれ」


 それぞれ探す担当を決めよう、と村長が指示している最中、指差す村人がいた。


 指差す方にはひとつ、人影があった。

 まだ薄暗く、良く見えない。大きな人影だった。


 近づくにつれ、はっきりする。それは重なったふたつの影だった。背が高い上に、人ひとり背負っているので大きく見えたのだ。

 タイカだった。背負っているのは、子供である。行方不明だった少年だろうか。

 こちらに気づき、微笑む。泥にまみれ疲れた笑みだったが、外傷はないようだった。


「見つけました」


 婦人が駆け寄る。少年はタイカの背から降りると、婦人と抱き合った。足首には、太い枝が巻きつけてある。痛めたところをタイカが治療したのだろうと、シュトは思った。足首を痛めた時、固定することで骨や筋の回復が早まるのだと、タイカに聞いたことを思い出した。


「いや、良かった。これも精霊様のご加護というもの」


 ダクシヤが両手を広げた。手に持つ松明が大きく揺れる。


「実は、昨夜熱の中で夢を見ました。もがく少年を、ひとりの青年が助けるのを。あれは」

「黙れ」


 シュトが言った。獣が唸るような、低い声だった。

 誰もが背を打たれたような表情で、シュトを見た。シュトの髪がかすかに輝いていた。白熱した金属のような光だった。


「精霊は語らない」


 シュトはダクシヤを指差した。糾弾する鋭さだった。


「精霊は未来を予見しない。ただ共にいてくれるだけ」


 シュトは怒りに震えていた。タイカは必死になって少年を助けたに違いない。その挺身までを自分の功にしようとしている。しかも精霊を利用して。


「おまえは偽物だ」


 シュトの宣告に、周囲は動揺した。赤髪赤瞳。一目で《はふり》と分かる少女が宣言したのだ。

 ダクシヤが叫び返した。


「何を言う。お前こそかたりだ。その髪だって、染めて」


 瞬間、シュトの腰の油燈ランタンから火が吹き上がった。火はすぐに消えたがダクシヤは唖然として黙ってしまった。

 シュトは指した指をわずかに動かす。その指先は、ダクシヤの顔、瞳を指していた。


「地の《はふり》の瞳は、そんな色じゃない」


 そんな、黒ずんで枯れてしまったような草の色ではない。その淡褐色は見ようによっては黄色く見えるかもしれないが、《はふり》はそんな常人つねびとの瞳ではない。

 火の《はふり》の言葉に、周囲の動揺が大きくなる。ダクシヤが周囲を見回し、青ざめる。再度、叫んだ。


「なら、これならどうだ。火の加護があるんだろう」


 松明を、シュトに投げつけたのだ。

 加減などない。可燃物を巻き付け、下手な短剣などより遥かに重い塊がシュトに叩きつけられる。


 直前で、弾き落とされた。


 間にタイカが入ったのだ。水を吸って重くなった外套を体に巻き付け、回転するように押し出ることで松明を弾いた。

 だが完全に衝撃を受け流せた訳ではないようだ。

 小さく呻き、傾きかける。たたらを踏んで倒れるのを耐えた、といった風だった。


 シュトの胸内で様々な感情が渦巻いた。


 タイカが庇ってくれたことへの申し訳なさ、心配。ダクシヤへの怒り。松明が飛んできた時の恐怖。

 だが、ここでやるべきことは決まっている。


 思い知らせてやる。


 シュトは意識して、その想いだけで自らを染めようとした。

 前へ踏み出す。落ちた松明を見る。松明はまだ燃えている。

 袖を捲り上げ、シュトは松明を手に取った。燃えている火の中に手を突っ込んで、持ち上げた。

 タイカとヤムト以外の、全ての村人たちが目を見開いてシュトを見つめた。ダクシヤなどは、ほとんど睨みつけるような険しい顔で、シュトを凝視している。


「《はふり》なら、精霊が源にしているものでは傷つかない」


 シュトは言った。火の《はふり》は火傷を負わないし、氷の《はふり》なら凍傷になることはない。

 ただ、松明に当たれば火傷はしなくても松明の本体、尖った重量物に当たり打撲や切傷を負うかもしれない。もしかしたらダクシヤの狙いはそれだったのかもしれないと、シュトは少し冷静になった頭で思い至った。

 だがそれは、今は関係ない。

 シュトはいぶかる人々に話を続ける。


「なら土地の精霊の《はふり》であれば、平気なこともある」


 南方諸王国は多くの人々が生活していた。貴族も、奴隷もいた。だから、人が人に対して残酷になれること、そんな例など幾らでもシュトは知っていた。

 村人たちはまだ怪訝そうな顔をしている。タイカが何かに気づいたように声を上げようとしたが、その前にシュトは続けた。


「土に」

「土に埋めてみるといい。《はふり》なら平気なはずだ」


 タイカがシュトを遮り、声を被せてきた。

 村人たちの目がタイカに、次いでダクシヤに向いた。

 ダクシヤが何か言おうと口を開いたが、言葉が出ないといった風だった。その袖を誰かが引っ張る。

 ダクシヤが振り向く。ダクシヤの家に居た少年だった。


「ダクシヤ様。あなた様が《はふり》だと証明しましょう」


 少年が目を輝かせていた。ダクシヤのことを全く疑っていない瞳だった。

 ダクシヤが再度口を動かすが、やはり言葉が出ない。

 ダクシヤを中心に、周囲の村人たちが輪を作った。その輪がゆっくりと縮まっていく。

 ダクシヤはよろめき、膝をついた。




 村人の輪を、シュトは震えて見つめていた。

 怖い。

 自分の言葉で、村人たちがダクシヤに群がっている。獲物に群がる蟻のように。


「私の言葉だ」


 タイカが言った。シュトは、タイカが言葉を被せてきた理由を悟った。

 このような事態になることは、シュトも予想していた。むしろ望んでいた。埋められてしまえと。土の中で死んでしまえと。南方諸王国で生き埋めの刑罰があることを聞いていた。だから口に出来た。

 しかし目の当たりにするまで、本当の恐ろしさを、その残酷さを実感出来ていなかったのだ。

 それをタイカは代わりに言ってくれた。

 

「君の言葉を、私が継いだ。どうなろうと、これは私たち二人の招いたことだ」


 そうだ。シュト自身が口火を切ったことだ。結果の責任はある。だが責任を分かち合ってくれたのだ。


「ですが、この村は早く出た方がいいでしょうね」


 タイカが、ヤムトへ振り向いた。ヤムトも苦い顔をしていた。シュトに何か言ってやりたいが、どう言っていいか分からないといった風だった。


「分かりやした。何とかしやしょう」

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