第四章 - 弁明 -

 夜中。

 雨の勢いは大分衰えた。

 洞窟の外は霧が広がっている。焚火の光を吸って薄い白布のように揺らめいていた。

 ヤムトは焚火と、焚火を挟んで眠るシュトとタイカを見た。

 今はヤムトが火の番をしていた。

 ふたりの寝息が聞こえる。こんな会ったばかりの人間に火の番を任せて眠ってしまうなんて、なんて人が好いのだろうか。

 シュトを見つめる。赤い髪。まぶたを閉じているので見えないが、瞳も目の前の焚火のように赤かった。

 紛うことなき《はふり》である。番いである火の精霊は焚火の中に居るのだろう。

 これは手を出すべきではない。水でも掛けて火を消そうとしても無駄だろう。火は迅い。そのような仕草をした途端に絡みつかれるだろう。

 タイカを見つめる。黒の黄の斑色の髪。左右の瞳は色が違っていた。《はふり》紛いといった風体だが、土地の精霊が共に在るという訳でもなさそうである。

 そもそも土地の精霊は、それぞれの土地に根付く存在だ。旅する《物語り》と同行など出来ない。


 そう、《物語り》だ。


《物語り》の価値は頭の中にある知識とはいえ、非常時に備えた持ち合わせがないということは考えにくい。

 ヤムトのような大荷物でないなら、嵩張らない宝石や貴重品を持っているのではないか。

 火の精霊もタイカまで積極的に守ろうとはしないだろう。《はふり》の同行者とはいえ、他人だ。流石に命を盗ろうとか傷つけようとしたら、今後の《はふり》の旅が困難になると判断し、攻撃してくるかもしれない。だが、ちょっとした悪戯のようなことなら干渉しないに違いない。

 

 悪い戯れ。命を盗るような戯れではなく、命や身を傷つけない程度の。

 

 例えば、物など精霊にとっては価値は感じないだろう。

 だから物を頂くことは悪戯の範疇だ。

 ここは精霊の基準で童心に帰らせてもらおう。

 

 そうヤムトは解釈した。

 

 そっと身を起こし、タイカに近づく。

 タイカは背を向けたまま、動かない。頭の近くにある背嚢に慎重に手を伸ばす。

 タイカは起きない。

 大丈夫だ。ヤムトの口元が引くつく。指先が背嚢に触れる。


 突然、手に痛みが走った。

 

 伸ばした指に火が絡みついたのだ。

 ヤムトが叫び声をあげる。燃える手を地面にこすりつけた。

 降り続ける雨の湿気で火はすぐに消えた。

 安堵するヤムトだったが、視界が暗くなったことに気づいた。

 顔を上げる。タイカが立ち上がり、ヤムトを見下ろしていた。

 タイカは焚火とヤムトの間に佇立していた。焚火の光がタイカに遮られ、暗くなったように感じた。

 元々上背はタイカが勝る。ヤムトは火を消すために膝立ちになっていたので、背の差は余計に大きい。まるで巨人のようだとヤムトは感じた。

 咄嗟に洞窟の外を見る。逃げ道を探そうとしての行為だったが、そちらにはシュトが立っていた。

 右腕には焚火から伸びた火が蛇のように巻き付いている。当然のように、シュト自身の肌には火傷ひとつない。


「霊を軽視すべきではない。そういったはずですが」


 霊の中には、精霊だって含まれます。そう言い、タイカが溜息をついた。溜息をつきたいのはこちらの方だ、とヤムトは思ったが口に出したらシュトが火を飛ばしてきそうだった。


「精霊にとって物など価値はない。そう考えたのかもしれませんが、私たち、シュトやシュトの同行者にとって大切なものだと伝えることは出来るのですよ」

「放り出して、獣の餌にしようか」


 タイカの説教の後の、シュトの淡々とした恫喝。

 いや、恫喝ではない。本気だ。タイカが頷けばヤムトの四肢の健を焼き切って森へ放り出す位のことを、躊躇わずにやるだろう。


「手前の話を聞いて下せえ」


 膝をついたまま、ヤムトは頭を地面にこすりつけた。


「タイカ」

「まあ、聞きましょう。懐の短刀も、その手では巧く使えないでしょうし」


 冷や汗が出る。元より敵わぬと使うつもりもなかったが、見せていない短刀の存在を見抜かれていた。

 子供と二人連れで旅しているのだ。腕が立たぬはずがない。


「手前は、霊といわず精霊といわず、相性の悪いさがにて」


 シュトが不意をつかれたような怪訝な顔をする。混乱しているようだ。こちらを見返す。話の続きが気になるようだ。

 しめた。

 次いでタイカの顔を見る。動じた様子はない。

 まずい。興味を失くされたらどうなるか。


「続けてください」


 タイカが促してくる。

 ヤムトは内心で安堵しつつ、口を開いた。

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