第三章 - 泣き女 -

 焚火の光がかろうじて届く距離。

 そこに何かが居た。


 蜃気楼のように、ぼやけて見える何か。それが蠢き、のたうっている。

 シュトにはそのように見えた。


「泣き女」


 タイカが、痛ましそうにつぶやいた。

 泣き女。それはシュトも見たことがある。

 奴隷だった頃。葬儀で故人を悼み、嘆き悲しむ女たちを見たことがある。あれは何かと尋ねた時、物知りの奴隷仲間が「泣き女」という役目を教えてくれたのだ。

 演技だとは聞いたが、その嘆く様はあまりに真に迫っていた。


 だが、シュトにはそれが人の姿にすら見えない。

 タイカには、別の姿に見えているのだろうか。

 タイカが立ち上がり、その何かに近づこうとする。


「駄目」


 その裾を、シュトが掴んだ。あれが何かは分からない。

 でも、あれからは暖かいものは感じない。冷たく、哀しい何かしか感じない。


「大丈夫」


 シュトの手に、タイカがそっと触れた。シュトを見つめる、黄色と黒の瞳は穏やかだった。

 蜃気楼のような何かが、焚火の光の外、暗がりの方へと退いていく。

 と、またその暗闇の中で動きを止めたようだった。


「行こう。あれは、私たちをどこかへ案内したいみたいだ」

「でも」


 シュトが頭を振る。あれがタイカにとって良いものとは思えない。


「シュト」とタイカが言葉を重ねた。

「少なくても、悪意は感じない。いざとなれば逃げるよ」


 その時には、タイカはまずシュトを逃がすのだろう。そしてタイカ自身は足止めに残るのだろう。


 そんなことはさせない。


 シュトが腰の油燈ランタンの鉄蓋を開ける。

 焚火の中から、蛇のように一筋の炎が伸び、油燈ランタンの中に収まる。

 いざとなれば。


 その時は、自分こそがタイカを守る。

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