終章 - 曙光 -
松明に照らされた、川からあふれる水。
村人たちは恐怖と混乱に震えた。
レイシとタイカ、シュトは村に戻り、大声を上げて村人たちを集めて戻って来ていた。手には鍬やら鋤が握られている。レイシに持参するよう指示を受けてのことだった。
「水の精霊様に供物を捧げて何とかしてもらえないか」
膝から崩れ落ちた村人がつぶやく。何人かの村人の視線が、シュトに集まる。
家畜の命より人の命。それも《
「ちがう」
レイシの声が、水音を圧して響いた。
「堤の一部を崩す」
驚きと疑いの視線が、レイシに集中した。
「水を森に流して、遊水池から水が溢れないようにする。水の勢いが森に向かえば、水路への圧力も減る。水路や堤の他の部分が崩れる心配も少なくなる」
「森に流したって、村に水が押し寄せるんじゃないのか。池からか森からの違いに過ぎない」
村人のひとりが、声を上げた。他の何人かの村人も頷いている。
「森の地面にも高さがある。流す場所は、村より低い位置だ」
「それに、この辺りの土は水を吸いやすい。かなりの量の水を吸ってくれるはずだから、村まではほとんど行き着かないはずです」
村長の説明に、タイカが補足した。
「なら、何とかなるかもしれない」
《物語り》であるタイカの知識から出た言葉に、遊水池を共に作った老齢の村人たちから安堵の声が上がる。
「堤を切るなど。なんという罰当たりな」
叫び声があがった。ライレンの声だった。
「水の精霊様の加護がある。供物の捧げよ。それが正しい道ぞ」
ライレンの剣幕に、周囲の村人が後ずさる。
だが、ライレンの前に立つ者がいた。
レイシだった。
「父さん。いい加減にしてくれ」
「お主は兄の、お前の伯父が残したこの堤を壊すというのか。あの偉大な」
「先代だって人間だ」
レイシがライレンの言葉を遮った。
「人が作ったものなんだ。予想出来ないことも、対処しきれないこともある。綻びだってあるだろう。だから残った者、引き継いだ者がそれを忘れず、必要なら形を変えても守り続けていかなければならないんだ」
今度は、村人に向き直る。
「これが今代の村長である私の考えだ。同意してくれる者は堤を壊す作業を手伝ってくれ」
賛意も聞かず、レイシが歩き出す。
片手に松明、片手に鍬。すぐに付いて行ったのはタイカとシュトだけだった。
茫然としていた村人たちだったが、その後を追って何人かの村人が追いかける。最初に動いたのは、タイカとも面識のある老齢の村人たちだった。その動きに、他の村人たちも付随する。
最後に残されたのは、ライレンだけだった。
「儂は。だが、儂は」
ライレンは動けず、立ち尽くしていた。
木の棒を組み合わせた即席の台を作り松明を立てかける。その松明の光の下、レイシたちは土手を掘り返していた。
激しく鳴り響く水音に、焦りが増す。
皆の汗が蒸気になって煙り、空気も白くなりそうだったが、そうやって体を動かして続けても堤を削りきるにはまだ時間がかかりそうだった。
水を通さぬよう、勢いに負けぬよう強く固めているのだ。鋤も鍬も深くは食い込まない。
間に合わないのか。陰る思いを振り払い、レイシが鍬を振るう。地面に食い込む。
だが、浅い。
陰りが強くなる。その時、すぐ横を別の鍬が抉った。隣りを見る。
ライレンだった。
「堤は壊す。今はな。その後、もっと立派で頑強な遊水池を作るのだぞ。お前たちが」
ライレンの参加に、村人たちにもほっとした空気が流れる。水の精霊や先代の霊の機嫌を多少は気にしていたのだろう。だが最も熱心な信者であるライレンが同意したなら、その心配もなさそうだと安心したのだ。
レイシは頷いた。
鍬を再度振るう。気持ちが軽くなったのか、先ほどよりも深く食い込むような気がした。
シュトが少し驚いたような顔でレイシを見、次いでタイカを見つめた。
表情が少ないこの少女の、驚いた顔を初めて見た気がする。
だが今はそんなことを気にしている場合ではない。
周囲に声を掛け、作業を続けた。
夜明け前に、作業は終わった。
削られた堤から水が滝のように流れ、森の中へと消えていく。
晴れ渡った空から指す朝日によって、水流が煌めいた。
見た限りでは、水が村まで流れ出るような心配もなさそうだった。
そしてさらに数日後。
タイカたちは村を出た。
前日の夜は、送別の宴が開かれた。
村の危機を救った同士として、多くの村人たちがタイカに感謝を示してくれた。
その席で、レイシが村外れにあった土地の精霊の社を移築し、水の精霊や先代村長の霊と一緒に祀ることを提案した。
堤での作業で何か感じるところがあったのか、村人たちの多くは賛成しライレンも何も言わなかった。
「夜逃げにならなくて良かったね」
「夜逃げって。まあ、そうだね」
村から出た数日後。森の中の道中、シュトの言葉にタイカが苦笑した。
あの時。堤を壊そうしとした時、土地の精霊に助けをお願いしたのか。
シュトはタイカにそう尋ねた。シュトの目には、ライレンが参加した直後から土が急に柔らかくなったように見えたのだ。
何か超常の存在が介在したように。土を統べる、その土地の精霊しか出来ないように思えた。
「私は何もしていないよ」
精霊が自分から助けたのではないかな。
それがタイカの答えである。
「精霊が見えなくても、村の皆も何か感じるところだあったのではないかな」
そして感謝の意を込めて、社を立て直した。同じく感謝の対象である、水の精霊や先代村長の祖霊と同じ場所に。
「うん。良かったよ。人は結局、自分たち自身で決断して動かなければ、結局助からないのだろうから」
タイカが言う。
その横顔は、いつもの穏やかさだけではない。少し、嬉し気に見える。
タイカが嬉しそうで、私も嬉しい。
そんな風に感じる一方で、不安にも思う。
シュト自身は、自分で動けているのだろうか。今回、タイカが村から退散しようとした原因はシュトにあると思っている。
タイカに頼ってばかりだ。自分で決断していない。
なら、自分は何がしたいのか。
「私は」
自然に口に出てしまった。
「タイカの役に立ちたい。自分の力で」
言ってから、怯えに背筋が冷えた。奴隷の頃の記憶が蘇る。余計なことをするな、言われたことだけをしろ。そんな言葉が頭の中に響く。
「そうか」
タイカは微笑んだ。穏やかさの中に喜びがこもっているように見えた。
タイカが喜んでくれている。シュトは胸を撫でおろした。
そうだ、タイカはそんなひとではない。
「君が健やかに色々なことを学び、自分に良かれと思う選択を出来る。それが私の望みだよ」
その答えに、シュトは少しだけ不満を感じる。
タイカの為に。シュトの決断は、はぐらかされてしまった。だけど決断したという行い自体は受け入れて貰えた。
それだけでも。それだけでも、シュトは心が重なった気がした。
胸が暖かい。
空を見上げる。
木々の合間から見える空は遠く、晴れやかに感じた。
── 第七話 了 ──
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