第六章 - 決断 -
「座りますか」
坂を上り、堤を少し歩いたところで、タイカが提案した。
そのまま座り込む。風の音が強く、肌寒い。
シュトが倣い、レイシも座った。
空を見上げる。相変わらず雲の動きが早い。暗くてよく見えないが遊水池の水面も大きく波立っているようだ。
「こんな雲の多い日でなかったら、星も良く見えたでしょうね」
タイカが空を見上げる。
そもそも、こんな夜中に外に出たりしない。
いや、一度だけある。あれは何時だったろうか。
『甥っ子と、一晩中星を数えたことがある』
そんな話を聞きましたよ、とタイカが笑いかけた。
そうだ、あれは子供の頃。父母と喧嘩をして家を飛び出した時。探しに来てくれた伯父は、自分を連れ戻さず隣で話を聞いてくれた。
何を話したかも覚えてない。喧嘩の原因も忘れてしまった。だが、伯父が横でずっと耳を傾けてくれていたことを覚えている。
伯父が寝転がった。
星を見て大地の声を聞いてみろ。途方もなく巨大な、天と地の間にいる。そんな気分になれる。
伯父はそんなことを言っていた。
場面が変わる。
それから数十年後。この遊水池が完成に近づいた頃だ。
老齢の伯父に誘われ、こうして堤に寝転がったことがあった。
その時、ありがとう、と礼を言われた。
驚いた。
伯父はいつも零落で怒る時も笑う時も大声で、火のように明るかった。
だが、その時の声は小さく、聞いたこともないほど穏やかった。
この事業は失敗するのではないか。堤にどこか致命的な欠陥があり、崩壊するのではないか。
内心、心配していたと言った。
だが、村の皆とお前が助けてくれたから成し遂げられた。
そう伯父は笑った。
確かに子の居ない伯父の代理として造成を監督した。堤には伯父の次に詳しいと自負もある。だから伯父の死後、次代の村長に推された。
だが、そこまで頼りにされていると思いもしなかった。
忘れていた。
伯父とて、人間だったのだ。自分と同じ、心に弱さがある人間だったのだ。
「正直、助かっていたんです」
気付けば、口にしていた。
「伯父は精霊の加護がある特別な存在で、だから同じようにやれるはずがない。そう思うことが出来たから」
村の誰もが伯父を誉めそやす。直接ではなくても先代と比べられている。
レイシは常に感じていた。だが、そんな特別な存在なら敵わなくても仕方ない。
そう思うことが出来た。
「父だけを責めることなど出来ない。だから」
「待ってください」
タイカが止めた。暗い中でも何か真剣な様子が読み取れた。
ふと、レイシも違和感を覚えた。振動。頭の向きを変え、地面に耳を当てる。
水が大きく流れる音がする。
立ち上がり、遊水池を見る。暗いが明らかに強い流れが生まれ、渦巻いている。
流れは川の方から来ているようだった。
「行きましょう。水門で何かあったのかもしれない」
タイカの言葉に、レイシが頷いた。
水が轟いていた。
川からの水が波打ち、押しつぶすような勢いで遊水池に流れこんで来ていた。
レイシは青ざめた。自分の血の気が引く音が聞こえるようであった。
もし勢いのまま遊水池の水が溢れたら。堤が崩れたら。
村は甚大な水害を被ることになる。
どうすればいい。混乱する頭で、それでも何か策はないかと考える。
が、目の前の水のうねりと轟々とした音が焦りを誘う。
水の精霊様は助けてくれないのか。
「くそ」
舌打ちするレイシの肩に何かが触れる。人の手のようだった。
苛つきながらも振り返ると、タイカの顔が見えた。
「貴方なら、大丈夫だ」
タイカが穏やかに言う。微笑むこともなく言われたその言葉が、何故か伯父と重なった。
そうだ。自分は今や誰よりもこの堤に詳しい。精霊の奇跡にすがる前に、出来ることがあるはずだ。
周囲を見回す。
川と遊水池。そして周囲を囲む森。川と森の間には自然に出来た土手がある。そして森の先に村。木々に隠れて見えないが、森の中にも高低差がある。
そうか。
「タイカさん、協力して欲しい。今から村の皆を起こさなくてはならない。分担して家々を回って欲しい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます