第四章 - 前兆 -

 翌日。

 シュトとタイカは、レイシとライレンの親子と朝食を摂っていた。

 麦粥へ混ぜた、タイカの持参した乾燥魚の粉末にライレンが大層喜び、川魚でも出来るかと聞いている。

 海の魚でなくてはこの味を出すには難しい、海とは何だと会話している最中、村人のひとりが飛び込んできた。

 灌漑用の水路の一部が崩れ、畑が水浸しになっているというのだ。


「ちょっと行ってきます」


 レイシは朝食の麦粥を搔き込むと水路へと走り出した。

 いつの間にか食事を終えていたタイカも立ち上がる。


「私も見て来ます。ライレンさん、この子をお願いします」

 と言い、家を出ようとする。


 シュトがライレンと目を合わせる。ライレンの視線がシュトの髪と瞳の辺りをさ迷っているように感じる。

 赤い髪と瞳。水の精霊を奉じるライレンにとっては、あまり印象の良いものではないだろう。

 そう感じると、シュトは居心地の悪さを感じた。


「私も行く」


 粥を喉に流しこみ、タイカの袖を掴む。


「そうだの。爺と一緒に居ろというても、お嬢さんも困るだろうて」

「すみません、では連れていきます」


 シュトとタイカも、レイシの後を追った。




 水路の崩れは、それほど大きなものではなかった。

 土砂で水量を調整する水門代わりの木板が倒れ、周囲が泥だらけになっていた。

 とりあえず水を堰き止めようと、レイシや村人が泥の中に入って土を盛っている。

 腕まくりしたタイカも泥に入った。土壁を作り木戸を立て直して修繕が終わったのは、正午前であった。


「ありがとうございます」


 村人を帰した後、レイシがタイカに礼を言った。ふたりとも泥まみれだった。

 シュトがタイカに手ぬぐいを渡す。

 ありがとう、と受け取ろうとするタイカの手が一瞬止まったが、すぐに手ぬぐいを取る。

 どうしたんだろう。そう思ったシュトだが、不意に視線を感じて振り向く。


 ライレンだった。


 水路から少し離れた堤の上からこちらを見ている。

 昨日とも、今朝とも違う。にこりともしていない。何かを抑え込んでいるような顔。

 シュトは朝の、居心地の悪さを思い出した。

 むしろ、より深まった。

 タイカは、あの視線に気づいたのだろうか。だから手が止まった。

 だが、今はレイシと話し合っている。

 他の水路を見て回った方がいいのではないか、そんな会話だ。

 そんなタイカの近くに、気配を感じた。

 不気味なものではない。暖かい気配だ。見えないが、それでも意識をタイカに向けているのを感じる。

 視線を向けているのだろうか。だがライレンのそれと違い、きっと穏やかなのだろう。

 そう感じさせる気配だった。

 きっとあれは。




「どうして、土地の精霊にお願いしないの?」


 村長と別れ、池の畔で体と衣服を洗うタイカにシュトが尋ねた。

 そう。あれはこの土地の精霊だ。別の精霊の《はふり》であるシュトには見えず、意志を交わすことも出来ないが、気配は感じた。

 タイカはちらりとシュトを見た。シュトを見つつ周囲を見回したのだろう。

 水の精霊を特別に崇めているこの村で、他の精霊の話をしていることに危惧を感じているのだろうか。

 先ほど見たライレンの様子を思い出すと、警戒しすぎているとも言い切れない。


「精霊の力はそうそう借りるものじゃない」

「私の精霊は、私を助けてくれる」

「彼の御仁だって、君が傷つけられようとした時しか出て来ないだろう」


 彼の御仁。タイカはシュトの火の精霊をそう呼ぶ。


「それに、精霊の力で直して貰ったとして次はどうするんだい?」

「次って」

「私が村を去れば、精霊と直接交流出来る者は居なくなる。頼みようがなくなる。人は、自分たちの及ぶ範囲で事を成すべきなんだよ」


 そこまで言って、私が言っても説得力がないかもしれないけど、と苦笑した。

 そんなことはない。シュトは思った。

 確かに、タイカは旅の中で精霊と交渉したこともあった。

 しかも自分の伴侶ではない精霊たちと。

はふり》たるシュト自身も、精霊を見聞きすることの出来ない人から見れば異常だろう。だが複数の精霊と意志を交わし協力を得ているタイカは、さらに異常だ。

 本人は、その力の理由を語らない。自分にも分からない、とだけしか言わない。

 それが時折、少しだけ怖い時もある。


 知らない、知ることの出来ない恐ろしさ。


 だがタイカはその力を、自身の為に使ったことはほとんどなかった。大抵の場合は、旅先で困った誰かの為、あるいはシュトの為にしか使うことがなかった。


「だから、頼まない。力を貸すとしても《物語り》として知識と、この手の及ぶ範囲でだよ。もっとも、大した力ではないけれども」

「そんなことない」


 シュトは、タイカの言葉を否定した。冗談でもタイカ自身を卑下して欲しくなかった。


「そうか」


 タイカは微笑んだ。悪かったね、と笑って言う。

 笑うような話なんてしていないのに。

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