第二章 - 水霊の霊験 -

 村長は他界しました。


 タイカは一瞬、目を見開き、顔を伏せた。

 シュトが下から見上げたタイカの顔は、どういう顔をしていいか戸惑っているように見えた。

 珍しい。一瞬、迷うことあってもすぐに取り繕い、対処してきたタイカしか見たことがない。それはシュトが、初めて見る表情だった。

 村長の甥で、タイカとも知己らしい壮年の男性、今の村長であるレイシに悔みを告げる。そのタイカの言葉も、戸惑いの色の濃い心細い声音だった。


「ともあれ、良く来て下さいました。あとで会いに行ってやってください。伯父も喜ぶと思いますから」


 今夜は泊まって行ってください、というレイシの言葉にタイカは無言で頷いた。


「ところで、そちらのお嬢さんは」

「シュト」


 名乗った。レイシが驚いた顔をしている。何か間違ったのだろうか。


「名前だけ名乗るものでないよ。すみません、この子は自分で名乗った通り、シュトといいます。旅の仲間のようなものです」

「そうですか」と、レイシは言い再びシュトに尋ねる。

「その、お嬢さんは《はふり》なのかい」


 タイカの方を見る。タイカが頷いたので、シュトも首肯した。


「そうかい。それは凄い。その髪の色だと、火の《はふり》なのかな」


 再度、シュトが頷いた。余り恐れている風でもないが、困惑しているようには感じられた。


「なるほど。まあ喧嘩しているという訳でもないだろうし、問題ないか」


 後半は、つぶやくような小声だった。


「ところで、池の畔に見ない建物がありました。あれは何ですか?」


 タイカが尋ねる。少し調子を取り戻したようだ。


「あれが伯父の墓です。伯父が亡くなった時、皆が建ててくれたのですよ。池が出来て洪水の心配もほとんどなくなって、灌漑も出来たので村で作物も育てやすくなった。それを皆が感謝してくれたんです」

「それは、良かった」


 タイカが、いつもの機嫌良さげな表情になった。ただ少し違う。はかなげだった。年上の、自分よりも随分体の大きな大人の男に向かっていうのも変だが、そう感じたのだ。


「そういえば、何故青色に」

「それは兄と、水の精霊様を祀っているからだ」


 不意に、背後から声がした。大きな声だった。振り返ると小柄な老人が、声と同じような大きな歩幅で入って来たところだった。


「父さん」


 レイシが息を吐いた。声に困惑の色が濃い。


「タイカさん、久しいの」

「お久しぶりです、ライレンさん。相変わらず声が大きいですね」

「おぬしは相変わらずの若い見た目だのう」


 ライレンが笑う。甲高い、大きな笑いに、シュトは耳を塞ぎたくなった。我慢したのは、流石に失礼だと思ったからだ。


「水の精霊様ですか」

「おうよ。あの池には、水の精霊様が住まわれておる。村を何度も助けてくれておる」


 水の精霊。

 初めて聞く存在だ、とシュトは首を傾げた。火やその土地、そして氷の精霊はシュト自身が身近に感じたり、タイカから教えて貰っていたが、経験や話の中に水の精霊は登場しない。


「嬢ちゃんは、水の精霊様を知らんようだの。他所の村は知らんが、この村は水の精霊様がお守り下さっている」


 例えば、とライレンは語り始める。


 曰く、池でおぼれた幼子を救いあげてくれた。文字通り掬い上げ、池の畔へ運んでくれた。

 作物が病気で萎れてしまった時、清らかな水を巡らせ復活させてくれた。

 嵐で崩れそうになった堤を直してくれた。


「ところで。土地の精霊は祀らないのですか」


 放っておくと何時までも話していそうなライレンの語りに、タイカが差し込んだ。


「そうさなあ。土地の精霊様は《はふり》がおらんと、何を考えているか分からんし、それなら霊験あらたかな水の精霊様の方がよかろうて」

「なるほど。水の精霊様には《はふり》がいるのですか」

「いんや、おらん。だがこうやって何度もお助け頂いている。有難いことだ」

「そうなんですか」


 タイカは反論しない。ちらりとレイシの方を見ると、何とも申し訳なさそうな顔をしている。


「兄の作った池が、水の精霊様から歓心を頂いたのだろう」

「池が完成した時には、社はまだなかったですよね」

「おうさ。精霊様の恩恵は、兄が亡くなった後から分かり始めたからのう。兄と精霊様が、この村を見守ってくれている」


 有難い、とライレンが手を重ね、拝むように頭を下げる。池の方、恐らく社がある方角だろう。


「父さん、もういいだろう。タイカさんはこの村に来たばかりで疲れているだろうし」


 レイシが、まだ話したそうなライレンを中へと促す。半ば押されながらも、ライレンは最後に声を掛けた来た。


「是非明日にでも社に来て下され。社を世話を任せてもらっている身でしてな。霊験があった場所にもご案内しよう」




「水の精霊なんて本当にいるの?」


 その日の夜。案内された部屋でタイカと二人きりになったところで、シュトは質問した。


「分からないな。私は見たことがない」


 だけど、とタイカは続ける。


「私が見たことがないからと言って、水の精霊が存在しない証明にはならないよ。私は世界の全てを知っている訳じゃない。それに《はふり》ではない人にとって、精霊は感じることも見ることも出来ない。そういう人にとっては、火も氷も、土地に根付く精霊も、水の精霊に対して私たちが今感じているように、いるかどうか分からない存在だろう」


 そういうものか。

 だけど、もし水の精霊なんてものがいるのなら別の心配がある。

 水といえば火の天敵だ。伴侶たる己が火の精霊を、水の精霊がどんな風に扱うのか。


「何も、いきなり消しにかかりはしないと思うよ。それに油燈ランタンの明り取りをしっかり閉めておけば水も入らない」


 はずだ、と少し不安になる語尾だった。


「だけど、気になるな。先代は《はふり》ではなかったものの、土地の精霊を蔑ろにするような人ではなかった。土地の精霊の社は昔の場所にあったけど」


 そう。ふたりはあの後、村長に許可をもらい、先に土地の精霊の社には足を運んでいた。

 タイカの話によると、社自体は昔のまま手入れもされているようだけど、以前来た時よりも寂れている感じで、奉納されている花なども少なくなっていたとのことだった。

 これも水の精霊の影響だろうか。


「まあ明日、案内してもらえば分かるだろう」

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