第三章 - 失踪 -

 翌日も、タイカは砦に留まることになった。


 砦内の菜園を見たタイカが、菜園の種を貰う代わりにこの場所に合った農法を教えてくれるというのだ。

 砦の守り人の多くは農耕の経験者だが、それだけにタイカの話には興味を持って聞いていた。

 役割の終えて村へ戻った後、利用できる知識もあるだろう。

 そのような訳で、一部の守り人と一緒に砦の近くから土や落ち葉を運んだり、菜園の土を掘り返したりしていた。

 少し離れた位置で、シュトがその様子を見ている。男所帯の中で、多少変わった外見をしていても容姿の整った少女ということで、シュトは声を掛けられたり、もてはやされていたが、反応は薄いものだった。

 シュトが瞳まで赤いこと、そしてタイカの瞳も片方が黄色、もう片方が黒と驚いた守り人もいたが、生まれつきだとタイカは説明していた。

 シュトはタイカの話に、何か言いたげな風だったが、他の守り人は気付いていないようであるし、マシノも気にしないことにした。


「そういえば」


 城壁での見張りの役を交代し降りてきたマシノが、独り立っていたシュトに話しかけた。

 周りに人はいない。シュトの反応が薄く、またそれぞれ役割があるので長居もしなかったのだろう。


「あんたたちは大森林を通ってきたのだろう。普通の獣もだが《狂える獣》は襲ってこなかったのか?」

「《狂える獣》?」

「知らないってことないだろう。亡霊が憑いておかしくなっちまった獣だよ。飲まず食わず、ただ人を殺すだけの化け物だよ」


 数年前、前回の守り番での記憶が蘇る。体毛の一部が白くなった大猪で、矢が刺さっても槍で突いてもほとんど血が流れず、死ぬまで動きが鈍ることがなかった。

 もう何年も前だが、思い出すと身震いがする。


「亡霊がとり憑いているんだ」

「だから人間しか襲わないんだろう。生きている人が羨ましくて襲い掛かってくるんだ」

「そう、なんだ」


 そう伝わっているんだ。シュトのつぶやきが気になったが、タイカがこちらを見つめていることに気づき、退散することにした。

 宴の席でも、中年男と自分がシュトと話してたところに割って入って来た。

 娘を守る過保護な父親のようで、少し辟易した。シュトは幼過ぎて異性としての興味はない。外の話は聞きたかったが、それは今夜にでもタイカから聞こう。シュトが絡まなければ、タイカは人好きのする、話が上手く料理も旨い男なのだから。




 その日の料理もタイカが担当した。料理の仕方を幾人かの守り人が教わっていた。酒も入らず、昨晩の宴程でないが、和やかな刻を過ごした。


 その夜。マシノは再び城壁の上に立っていた。本来なら夜番は日中は寝ていて昼番から連続することはないのだが、ちょっとした賭けに負けてしまい、連勤する羽目になったのだ。

 夜番だが、松明は数本を各所に挿しているだけで暗い場所が多い。勿体ないし《狂える獣》はどれも大きく、唸り声を上げて突っ込んで来る。音が聞こえればそこに明かりを掲げればいい、という考えだった。

 槍を抱えて座り込み、森を眺める。静かなものだ。眠くなる。首を振って眠気を飛ばし、何か考えて眠くならないようにしようと思う。


 そう伝わっているんだ。


 シュトは確かにそうつぶやいた。シュトやタイカは《狂える獣》は別の存在として聞いているのか。

 タイカたちは明日、砦を出ると言う。その前に聞けないか。

 そんなことを考えていると、何か黒いものが森の端を動いた気がして、腰を浮かした。

 だが、その後は静かだ。唸り声もしない。何もいなかったか、いたとしても《狂える獣》ではない別の動物が姿を見せただけだろう。

 腰を戻したマシノは、今度は村に戻った時のことを考えた。戻って家族の畑を耕す。タイカが教えてくれた肥料の作り方は、村でも使える。先に交代で戻る誰かに言伝を頼もうか。そんなことを考えて過ごした。


 数刻後。月がほぼ天頂に上った頃。

「マシノ」と背後から声がかかった。細い声。シュトの声だった。

 振り返ると、シュトが立っていた。腰に下げた油燈の光に浮き上がった顔は、青白かった。


「タイカがいない」


 マシノは困惑した。いない。どういうことだ。先ほど見た影を思い出す。


「こんなことなかった。森の中でも」


 シュトを砦に捨てて去ったか。タイカは常にシュトを気遣っていた。そんなことはないと思う。

 何か事情があって、一時的に砦を出たか。朝まで待つか。

 そんなことを考えていると、シュトが城壁から身を乗り出していた。

 城壁の壁は厚いが、高さはそれほどでもない。大人の身長よりもやや高い程度だ。身軽な者なら、怪我することなく飛び降りることも出来るだろうし、足を引っかける凹凸も多い。

 だが明かりがあるとはいえ、夜の森を子供独りでは危険すぎる。大人であっても危険なのだ。昼でも暗く歩くのもひと苦労であり、獣も徘徊している。


「待て」


 マシノがシュトの肩を抑える。


「離して。探しに行く」

「俺も行くよ」


 シュトが振り返る。驚いていた。初めて見る、大きな感情の発露だった。

 他の守り人を呼びに行きかけて、止める。騒ぎが大きくなる。

 一、二刻。空が明るみ始める前までだ。それを過ぎたら、無理矢理でもシュトを連れて戻る。


「さっき、影を見た。あちらの方だ」


 マシノが指差す。シュトがうなづいた。


「うん。あちらにいる感じがする」


 臭いを嗅ぎ取れるのか、と聞こうとしたが、今は冗談を言える雰囲気でもない。

 普通ではない外見をもつ少女だ。何かしら超常の感覚があってもおかしくない。


「よし。城壁を降りられるか。明かりは、それがあるか」


 シュトの油燈ランタンを指差す。


「森に入るまで明かりは絞ってくれ。お互いに死角になっているから大丈夫だと思うが、仲間に明かりが見つかって騒ぎになるとまずい」


 シュトが油燈ランタンの蓋をひねる。油燈ランタンの覆いが下がり、周囲が暗くなった。


「いくぞ」


 シュトが頷いた。

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