第四話 狂える獣
第一章 - 守り人の砦にて -
廃墟のような砦だった。
壁も天井もあちこち崩れ落ち、屋根は用を成していない。
ただ、残っている外壁は厚く堅牢だ。
寝泊りする場所は砦の中ではなく、新しく小屋を建てた。
大森林。この広大な森には、村々が散在している。その多くは自給自足である。嗜好品などの僅かな品物を商人たちが時たま運んでくるだけで交流はほとんどない。
だが、大きな脅威の前には協調することもある。
それが、この砦だった。
「平和なものだ」
城壁の上で、マシノがぼやいた。時折、森の奥から咆哮が聞こえる。最初は身震いしたが、何度か聞いているうちに慣れてきた。
「油断するなよ」
警告の言葉らしくない間延びした言い方。振り返ると、中年の男が笑っていた。マシノとは別の村から派遣された男で、話してみると交換婚で親戚が結婚している、つまり遠い血縁であった。
「いざ奴等が来たら、とんでもないことになるんだからな」
「来たら、だろう。もう何年も来ていない。楽なものさ」
農閑期とはいえ、他の作物だって育てられる。そんな時期に、それも《狂える獣》が出るような恐ろしい場所に行かねばならないなんてと、マシノは心底嫌だった。
だが、この辺りは《狂える獣》が徘徊する領域で、ここで獣どもを防がないと自分たちの村が危ない。
そう心配した近隣の村々が、この砦を修復して防波堤にしているのだ。
そして、村々から交代で守り人を派遣する約束を交わした。
しかしもう何年も出現していない。
「襲われないのにこんな場所で突っ立っているだけなら、もう人を出さなくてもいいんじゃないか」
マシノは軽い口調で言った。《狂える獣》の最後の出現。マシノはその場に居合わせた。その時の記憶を振り払うように、敢えて何でもない風を装い。
それに、どの村だって働き手を出したくないのは事実なのだ。自分とて、畑を家族に任せて出張っている。
「まあ、習慣てやつなんだろ。もしかしたら《狂える獣》もどっかに移動しちまったかもしれん」
「おいおい、なら俺たちはどうしてここにいんだよ?」
「いいじゃねえか。畑仕事から解放される、口実になるんだからよ」
俺はせいぜい楽をさせてもらうさ、と中年男は言い、急に押し黙った。
「どうしたんだ?」
「あれを見ろ」
中年男が顎をしゃくる。偉そうだな、などと思いつつマシノが振り返ると、森から何かが出て来ようとしていた。緊張して目を凝らす。が、肩の力が抜けた。
「子供じゃないか」
森から出てきたのは子供だった。髪の長い少女だった。
だが普通の少女ではなかった。
赤い髪。髪の端はやや色が薄い。白熱した金属のようであった。
マシノの知っている髪の色といえば、黒や茶色、青味や赤味があっても暗い色ばかりである。
あのような明るい髪は見たことがなかった。
そのすぐ後ろから男が現れる。背の高い男だった。継ぎ接ぎだらけの外套を羽織っている。外套の下に背嚢でも背負っているのか、猫背に見える。男の髪も変わっていた。黄色に黒の斑色だった。
マシノたちの視線に気づいたのか、男が手を振った。敵意はないようだ。
少女もこちらを見たが、一瞥しただけで砦そのものを見回している。遠目からも表情の乏しさを感じた。
「何か変わった連中だが、敵意はないみたいだな」
「ああ、そうだな」
中年男の歯切れが悪い。
「どうしたんだよ。噂に聞く、北の蛮人か何かと思ったのか。でもあの男、そんな風には見えないぞ。奴等は集団で叫びながら襲ってくるらしいし、子供連れなんていうのも聞いたことない」
「いや、そういう訳じゃないんだがな。森を渡って来たなんて普通じゃねえだろうし」
言っていることが曖昧過ぎる。中年男も警戒している風ではない。
「なら、他の連中と一緒に話してみるか。流石に子供とふたりだけなら何も出来ないだろうし」
それに、もし商人なら何か面白いものを持っているだろう。銭はないが、何かと交換出来るかもしれない。
まだ何かつぶやいている中年男を置いて、マシノは城壁の階段を降り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます