終章 - 少女の名は -

 南方諸王国は火を信奉していた。


 豊かな地味は、土地の精霊に頼ることなく、大きな実りをもたらしてくれる。

 その分、多くの人を養えた。

 だが人の数だけ、欲望の数もある。そしてより豊かな土地を巡って争いも増える。

 火は鉄器武器を鋳造し、身を温める暖炉や料理にも利用出来る。


 豊かな恵みで増えた人の生活を支える為にも、火は何よりも重要であった。

 火を操る、といよりも火そのものである精霊を伴侶として力を借りることの出来る火の《はふり》は貴重な存在であり、国の有力者、貴族たちは独占を試みてきた。


 火の精霊は、火に宿る。


 それは暖炉の火や松明の火、およそ火であれば何でも可能性があった。

 有力者や貴族たちは、火の精霊が生まれたと知ればその火種を奪った。

 そして精霊を囲い込み、自分たちの血族の子女にしか会わせず、その中から《はふり》が選ばれるのを待つ。

 そうして《はふり》をも囲って来たのだ。


 だが、生まれたばかりの火の精霊が出会い、そして選んでしまったのは、奴隷の少女だった。


 火の精霊が宿った暖炉の世話をしていた、ただそれだけの少女だった。

 かくして少女は《はふり》となった。髪と瞳は赤く染まり、その証は明らかになった。

 精霊の伴侶の血族たるを誇りとする、一部の貴族たちは激高した。それは我らの役割であると、認められないと。そうして少女を都から追い、汚れ仕事を専らとするコレサのような男たちに命じたのである。少女を殺し、精霊を奪えと。わざわざ大森林に追放したのは《はふり》になった少女を生きたまま利用しようと考えた、別の貴族からの介入を防ぐ為だった。




 外套の男、タイカは黙って聞いていた。

 コレサがまくしたてる様に語る話を黙って聞き、最後につぶやいた。


「貴方たちには貴方たちの道理と考えがあるのだろう」


 静かな語りに、コレサは逃がしてくれるかもしれないと、痛みを忘れ安堵を息をついた。


「しかし、その道理に私たちが従う謂れもない」


 背中から、肋骨の隙間から胸へ何かが差し込まれた。

 痛い。熱い。口から何かが吐き出た。血だった。そして急に寒くなった。


「ここには誰も来なかった。貴方たちは不用意に大森林を侵し、獣に食われた。そういうことだ」


 ああ、俺は死ぬのか。まったく、ついていない。

 それを最期に、コレサの意識は途絶えた。




 少女は目を覚ました。池の近くだからだろう、湿り気を含んだ空気が気持ち冷たい。


 空を見上げる。まだ暗い部分もあったが、空が明るくなりつつあった。

 朝だった。疲れはすっかり取れていた。足もほとんど痛くない。

 寝る前にタイカが煎じてくれた薬湯が効いたのかもしれない。


「おはよう」


 タイカが焚火に火をくべていた。ずっと火の番をしてくれていたかと思うと申し訳ない気になってくる。


 私の火なのに。


「おはよう、ございます」

「食事をしたら、村へ向かおうか。そこで君の服と靴を整えよう」

 服を。どういうことだろう。

「どうしたんだい。驚いた顔をして」

「何で、助けてくれるの」


 今さらだけど、訊かずにはいられなかった。タイカは驚いた顔したが、頬をさすり、頷いた。


「これも縁というものだ」


 それ以上は言わなかった。どこか遠くを見るタイカの表情に、少女はそれ以上訊けなかった。

 タイカは会話を続けた。


「私は旅人だからこの森、大森林を歩き続けることになる。定住したいなら、もう少し北にある村で聞いてみよう。ここはまだ、南方諸国に近すぎる」

「一緒に、行きたい」


 前のめりに、言ってしまった。自分でも何故か分からない。


「そうか」


 タイカは照れたように笑った。


「そうか。なら一緒に行こう。君の火とも一緒にね」


 黒い油燈ランタンの覆いを開くと、焚火の一部が、するりと伸びて入っていった。焚火の勢いが弱くなる。


「君、とばかり言うのも不便だな。どう呼んだらいいだろう」


 タイカが尋ねてきた。少女は首を振る。

 名前はない。昨日、名前を聞かれた時に答えた。


「なんでも。好きに呼んで」

「そうか。なら」


 タイカが空を見上げる。まだ明けきってない、暗い方の空を一点を指さした。


「シュト。あのあかい星の名だ」


 どうだろう、とタイカが聞いてくる。少し不安そうな顔が、何故かおかしかった。


「シュト。シュト」


 少女はつぶやいた。


「私の名前、シュト。分かった」

「良かった。これからよろしく、シュト」


 少女、シュトはタイカの差し出した手に、自分の掌を乗せた。


 暖かい。


 火ではない暖かさを。温もりと言える暖かさをシュトは感じた。




 ── 第三話 了 ──

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