第二章 - 気付けば -

 気付けば、森の中だった。


 少女は、まぶたを開いた。

 身体が揺れていた。何かに乗せられている。

 見上げた先には木々。枝葉の隙間から日の光が落ちてきているが、僅かなもので薄暗い。

 荷台に乗っているようだ。痛む首をひねると男が曳いている。荷台には自分の他、鉄製の盆が置かれていた。その上で木片が焚べられ、火が燃えていた。盆は中央にあり、荷車の端に転がされている自分などよりも、余程丁重に扱われていた。


 良かった。


 火の中に揺らぐ、何よりも親しい存在を感じ取り、安堵した。

 身を起こそうとするが、手首が縛られていて思うように動けない。荷車の揺れも激しい。

 なんとか身を起こしたが、荷車の後ろを歩いていた男と目が合ってしまう。


「こいつ、起きやがったぞ」


 荷車が止まる。男が近寄ってくる。


 その時。盆の上の火が爆ぜた。

 男の伸ばした手に、蛇のようにからみつく。


「おい、やめさせろ」


 前から戻ってきた男の鉈が、少女の喉元に突きつけられる。この男が首領格のようだった。

 それで、火勢が戻った。時間が巻き戻ったかのようだった。


「もういいじゃねえか。ここで」


 荷車を曳いていた男が疲れた声で言う。


「仕方ないか」


 首領の男が、鉈を喉に突き付けたまま、少女の身体を引っ張り上げようとする。


「言葉は分かりますかね。暴れるのは勘弁してくだせえよ。でないと、あんたの大事な嬢ちゃんが傷つくことになる」


 少女は動かない。

 おい、立てよ、と男が低い声でささやく。声音だけで人を殺せそうな、威圧感がこもっていた。


「大人しくしてくれりゃあ、この嬢ちゃんには何もしやしませんよ。村に引き取らせます。あんたとは離れるけど、お互い幸せになれるってもんだ」


 男が、火に向かって話しかける。まるで人に向かって話すように。だが、火に変化はない。

 人ではない、反応のない存在に話しかけている自分か、動こうとしない少女か。あるいは両方にいらついたのか、男は乱暴に少女の髪をひっぱり、引きずり出そうとした。

 が、少女がすり抜けた。

 身体をひねり、男の鉈に自分の髪を絡ませたのだ。髪が切れる。幾房かは引きちぎれるが、構わず火をの方で飛び込み、火のついた木片のひとつをつかみ取る。

 炎が踊り、少女の手首の枷を焼き切る。

 そのまま荷台から転がり落ちた少女だが、すぐに立ち上がり木片を構える。

 荷台越しに、首領格の男が鉈を構える。


「おまえら、囲め」


 荷台の後ろから来た男、荷台を曳いていた男に命令する。荷台の左右から男たちが迫る。

 少女が木片の火を突き付ける度、男たちはひるむが、段々と火勢が弱まっていく。


「仕方ない。火も消しちまうしかないか」


 首領格の男がつぶやいた。


 駄目だ。少女は恐怖した。

 消させなんてしない。


 少女が木片の先端に灯る火を木の枝に近づける。

 葉に火がつく。水分を含んだ枝葉は激しく燃え上がることはなく、少しずつ燃えながら煙が巻き上がる。

 男たちは焦った。このまま森が火事になってしまえば自分たちも生き残ることが出来るか分からず、逃げ出したとしても、もし自分たちが火事の原因と分かれば、森の民か、あるいは自分たちの雇い主の追及も免れない。


「くそ、火を消せ」


 慌てる男たちの隙を突き、少女は森の奥へと逃げ出した。




 本当に、ついていない。


 コレサは再び毒づいた。心の中でだ。口に出して言ってしまったら、横で怒り狂っている首領に殴られかねない。

 火は小さなものですぐに消すことが出来たが、煙が酷かった。煙で視界を遮られ、少女を逃してしまった。


「この森の中だ。そんなに離れていないはずだ。火は土でも掛けて消してしまえ」


 全くだ。あの気味悪い火の化け物が、取り憑いた子供から離れるはずがなかったのだ。馬鹿な雇い主の報酬に目がくらんだ。俺たちも馬鹿者だ。

 少女が去ったと思われる方へ進む。草木が邪魔だ。いらつく。それは同行する二人も同じようで、獣が徘徊する森の中でなければ怒号を上げていたかもしれない。


 音がした。何かが動く音だ。


 三人は足を止めた。音は多くない。首領にうながされ、コレサが先行する。

 損な役回りだ。木陰からそっと奥を覗き見る。

 男がしゃがんでいた。

 継ぎ接ぎだらけの外套をはおり、木の根の間に生えていた茸を摘んでいた。


 不意に、こちらを振り向いた。


 頭巾から見えたその瞳は、黒と黄色。左右の瞳の色が違った。

 不気味さに後ずさる。


「逃げないでください。そちらから何かしなければ、私も何もしない」


 男は立ち上がった。背は高い。肩まで上げた両手には摘んだ茸以外、何も持っていない。

「あんた、何者だ」

「私ですか。商人のようなものです。いや、学者といった方がいいのかな」


 男は、言葉を選んでいるようだった。森の民のようだったが、警戒した様子はない。


「あんたのことはいい。それより、子供を見なかったか。逃げ出した奴隷なんだ」


 気付けば、首領格が姿を見せていた。相手が独りで無手だと分かったからだろう。


「いえ。見ていませんが」

「そうか。ならいい」


 コレサを促し、首領が立ち去る。

 二人の姿が消えたのを見届けると、男も森の奥へと姿を消した。

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