終章- 彼は何者だったのか -


 エキが帰ってこない。


 昼の、山菜採りからか。


「山菜採りなら、他の子も一緒だったはず。他の子はどうしたんだ」

「夕刻、エキ以外の子は帰ってきた。森の獣に追われて逃げて来たって」


 アガネは血の気が引いた。狼に殺されたエキの父の、死に際の姿が脳裏に浮かぶ。


「他の村の衆が、森に探しに行ってくれている。アガネも呼んできてほしいと」

「わかった」


 ここで休んでいくと良い、と諭すアガネにエキの母がすがりつく。


「私も連れて行って。あの子が」


 咳き込む。困惑したが、アガネは手を差し出した。


「そうだな。一緒に探そう」

「私も手伝います」


 タイカが申し出た。有難い。もし森の奥までエキが入りこんでしまったのなら、森を抜けてきたタイカの経験は助けになる。

 遠くを見れば、光る点が幾つか見える。村の周辺の森の中を探す、村の衆の松明の光だろう。


 お願いします。エキを助けてください。


 傍らの精霊に、アガネが念じる。だが、ただ困惑したような精霊の表情にアガネは不安を感じた。




 松明を掲げる。


 星明りが枝葉で遮られる森の中。松明の明かりを、闇が押し包んでくるようだ。

 濃い霧のような、息苦しさを覚える闇だった。

 遠く背後に見える幾つかの光点。村と森の周囲を探し回る村の衆の松明だ。

 森の奥、それも夜の森の奥など大人でも入れない。故に村人たちを責める訳にはいかない。


 エキを探しに行こうとするエキの母を、押し留めることなど出来ないと判断したアガネが一緒に行くと言い、タイカも引き続き同行を申し出てくれた。

 タイカの提案は有難かった。精霊の加護がある自分なら、森で迷っても村へ戻ることだけなら出来ただろうが、暗闇の中、小さな子供を探し当てる自信などなかった。


 先頭にタイカが立ち、手にした剣で枝や草葉を払いながら進む。アガネとエキの母はそれぞれ松明を掲げて周囲を照らす。

 タイカ自身は腰にぶら下げた油燈ランタンに火を着け、明かりを確保している。

 時折、枝や葉に火をつけないようタイカが注意してくる。まるで後ろに目があるようだった。

 奥へ奥へと進みながら、アガネは精霊に、エキの場所を尋ねる。しかし精霊からの返事はない。不安が増す。

 エキが危険な状態にあるということ以上に、それは。


「俺のせい、なのか」


 言葉が、あふれる様に出てしまった。タイカと、エキの母が振り返る。


「俺が、このひと以外を好きになってしまったから。このひとは助けてくれないのか」


 膝から力が抜けるようだった。隣のエキの母が寄り添い、支えてくれる。その手の暖かさこそが厭わしい。

 お互いに目が合う。数舜、そしてエキの母が目を開き、口を抑えるような仕草をした。


 気付かれた。


 暗い周囲が、さらに暗く闇に包まれたように感じた。光を求め、精霊の方を振り向く。その表情は見たこともない悔しさにまみれていて。


「違う」


 タイカが言った。鋭い、終始温厚だったこの男から出たとも思えない声だった。


「ちゃんと見るんだ。このひとの顔を」


 アガネはタイカの、左右の色が異なる瞳から目を逸らそうとした。が、タイカは許さなかった。肩を掴み、アガネを引き寄せる。


「自分の感情だけに目を曇らせずに」


 このひとを。アガネの地の精霊を。


 恐ろしい。その声の厳しさに背中を打たれるような思いで、それでも精霊を見直した。


 精霊の表情は悔しさ、いやそれは嘆きだった。


 そうだ、自分もこのような表情をしていたことがある。エキの父を助けられず、自分の無力を嘆いた時。


「このひとはただ、貴方の幸せだけを願っている。精霊は、自分の領域以外には干渉も、知覚も出来ない」


 精霊がタイカの方を見た。タイカも精霊を見つめ返した。タイカが微笑む。


 やはり、見えるのか。


 疑問を問い質す前に、視界が開けた。

 川辺だった。水面が、月と星の光を反射して揺らめている。遠くから、水が叩きつけられる激しい音が聞こえる。滝でもあるのだろうか。

 タイカが立ち止まった。口を開き、何かをつぶやいている。

 聞き取ろうと、近づこうとしたが、動けなった。


 何かがいる。


 見えないが、何かがいる。それにむかって、タイカは話しかけているのだ。

 タイカの母は、その気配すら感じていないようだった。

 精霊に問いかけようと振り向くが、いつも傍らにいるはずの精霊がいない。精霊は、森から出て来なかった。

 森の端で立ち止まり、こちらを見ている。安堵しているような表情だが、同時に哀しみも伝わってきた。

 領域。たしかタイカはそう言った。つまりここからは精霊の領域の外なのか。

 では、タイカが話している相手は。


「行きましょう。エキはこの先にいます」


 川沿いに歩いたその先には、大きな滝があった。さきほど聞こえてきたのは、滝の流れ落ちる水音だった。

 滝の傍らに洞窟があり、エキはその中で眠っていた。

 エキの母が、エキを抱きしめる。汚れてはいたが、怪我はなかった。


「あんたは、一体何と話していたんだ」

「この場所の、土地の精霊です。彼女を守っていてくれたんです」


 タイカが振り向いた先には、やはり何も見えないが、気配は感じる。


「エキには、同族の匂いを感じたそうです。それも優しい匂い。きっと親しい所縁のある人だろうと」


 だから、助けてくれた。つまりこれは、貴方のおかげなんですよと、タイカは語る。


「だが、それでも俺はあのひとを」

「まだそんなことを」


 タイカは呆れたように言う。


「ならば、戻って直接聞いてみればいいでしょう」




「俺は、あなたと一緒にいて幸せだ」


 森の端に戻り精霊を見た時、アガネは駆け寄り、ひざまづいた。


「今もその気持ちに変わりない。だけど、他の人に惹かれている。好きになってしまったんだ」


 精霊が困惑してる。その感情が伝わってくる。


「これは不誠実なのか。俺は、あなたを裏切ってしまったのか?」


 精霊がアガネの背後を見る。タイカに促され、目覚めたエキと、エキの母が近寄ってきた。

 ふたりの頬を、精霊がそっと撫でる。


「あたたかい」


 エキの母がつぶやいた。優しい気配。


 これは祝福だ。


「言ったでしょう。あなたが幸せなら、このひとは最善なのだと。あとは」


 タイカがアガネと、エキの母を見やる。


「当の本人の気持ちを聞かないと。一方的な思いだったら、押し付けになってしまいますからね」


 全くその通りなのだが、この場でしかもそんな、あからさまな言い方をしなくても。

 だがしかし、このような時でしか言えないかもしれない。

 アガネが、エキの母に向き直る。


「あの、俺。こんな場所で言う話でもないんだが」


 口が乾く。話を続けなければ。しかし、言葉が続かない。


「わたし、お父さんが好きだよ」


 遮るように、エキが言った。視界が昏くなる。そうだ、この子の気持ちも大切だ。この子の前で、自分は何を言おうとしていたのだ。


「でも、アガネも好きだよ。お父さんだって、アガネなら安心する」


 お母さんはどうなの、とエキは問う。

 アガネは、頬が上気するのを感じた。エキの母の頬も赤くなっているように見えた。




 その後数日、タイカは村に滞在した。


 エキを救ったということで、村では改めてタイカを歓迎した。

 タイカの奇異な外見も、黄髪黄瞳の《はふり》がいるこの村では受け入れやすかったらしく、一晩の宴で馴染めてしまったようだった。


 アガネと、エキ親子との関係も変化した。とは言え、以前よりも親しく話したり、アガネとエキの母親が一緒に話す時間が増えたりといった、小さい変化だったが。

 それでも、村人たちは何かを察したらしい。元々、独り身を貫くエキの母を村人たちは心配していたのだ。アガネとは幼馴染だし、ふたりがお互いを憎からず想っていたことは分かっていたので、この変化を歓迎しているようであった。


「あんたは何者なんだ」


 翌日、村を出るというタイカに、アガネが尋ねた。


「《はふり》でも、伴侶となる精霊以外とは意志を交わせない」


 実際、アガネも他の土地の精霊を気配を感じても見ることすら出来なかった。


「それとも《物語り》は、精霊と話すことができるのか」

「《物語り》だからではないですよ」

 《物語り》は知識や知恵の交換を生業にする旅人であり、超常の存在ではない。この力は、生まれついてのものである。

 そうタイカは語った。

「私は《物語り》です。知恵と知識を撒き、伝えることこそが旅の務めです」

 だけど、とタイカは言う。

「自分が何者なのか。なぜ、自分が精霊たちと会話できるのか。それを知りたいとも思っているのですよ」


 旅を続けていれば、いつか知ることも出来るかもしれない。


 そう言い残し翌日、タイカは村を去った。


「まあ、いいさ」


 アガネはつぶやいた。タイカが何者であれ、恩人であることに変わりない。

 次に来た時、心から歓迎しよう。タイカがもたらしてくれる知識や知見と同じ以上に価値のある何かを用意しよう。

 そう決意し、アガネは、手を振るエキと、微笑むエキの母親の許に戻った。


 傍らの精霊と共に。




── 第二話 了 ──

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