第二章 - 来訪 -
その日の夜は雨だった。
食事を作る気になれず、アガネは村で唯一の食堂に来ていた。酒場も、雑貨屋も兼ねている。
昼のことを思い出し、麦粥を匙で掬っては落としてる。
どうしたんだい、と台所から食堂を切り盛りしている老婆が声をかけてくる。
「どうもしないよ」
気のない返事を返す。
「そんな様子じゃ、精霊様も心配するんじゃないかい」
「平気だよ。別に病じゃないんだ。俺が本当に病気だったら、気付かないはずがない」
隣の椅子に座っている精霊を上目使いで見る。微笑む精霊に、何故かアガネは視線を落としてしまう。
何だろう、後ろめたい思いなんてないのに。
と、その時。外から水を弾くような音が聞こえてきた。
扉を開けて、男が入ってくる。
継ぎ接ぎだらけの外套をまとった、背の高い男だった。
男が、雨に濡れて重そうな頭巾をめくった。
アガネは驚いた。男の髪が自分と同じ、麦穂のように黄色かったからだ。
いや、違う。
食堂の灯火に黄色い光が反射したが、よく見ると黄色い部分と黒い部分が斑になっていた。
そして瞳。片方は自分と同じ黄色。しかしもう片方は黒い瞳だった。
奇妙な男だった。髪だけなら染めることも出来るだろうが、瞳は色を変えることなど出来ない。
変えることが出来るのは精霊だけだ。
男と、驚いているアガネの目が合う。男は何やら照れたように会釈した。
ここは宿ですか、と老婆へ男が尋ねる。
宿ではないが部屋ならあるよ、と老婆が答える。老婆も最初驚いたようだが、人好きのする男の様子に警戒心を緩めたようだ。
だが、アガネはそうはいかない。見ない顔、つまり余所者でこの容姿だ。
「あんた、どこから来たんだ」
何となく棘のある言い方になってしまったが仕方ない。
「西の村から来ました。とはいえ、そこの生まれではないのですが」
タイカといいます。そう名乗った男は、自身を《物語り》だと言った。
《物語り》
村々を巡り、知識や知恵を交換、伝導する者。
村に時折訪れる商人たちのように物品は扱わず、農耕や薬草、家畜などの知識や知恵を交換するのだという。
「あとは種ですかね。穀物や野菜の」
そういって懐から幾つかの種を取り出して見せる。
「《物語り》さんかい。私が見たのはもう何十年前になるだろうねえ」
「この村に来たのは、初めてですね」
外套を脱ぎ、その下に背負った背嚢を降ろす。大きな体に見えたが、それは背嚢のせいで、思ったよりは細かった。
背嚢に鎖で繋がった、鉄製の黒い
アガネの左隣の席に座り老婆と談笑を始めるタイカを、アガネは胡乱な思いで見つめていた。
《物語り》という存在は聞いたことがある。見せてくれた種も、この辺りにはない種類だ。腰の二振りの剣も旅の自衛の為ということなら納得しよう。
だが、いかにも怪しい。
男は、最初右隣の椅子に座ろうとした。だが、途中で手を引き左隣に座った。
アガネの右隣には精霊が座っていた。この土地の精霊。アガネにしか見えないはずの精霊が。
黄色い髪と瞳は土地の精霊の祝福だ。確かにタイカは、半ばとは言え黄色い髪と瞳をしている。
だが精霊、特に土地の精霊は契りを結んだ《
火の精霊なら宿った炎、氷の精霊なら霜や吹雪によって自らの姿を表現するかもしれない。
だが、土地の精霊はそんなことはしない。土くれを隆起して姿を造るようなことはしない。
アガネが他所の土地に行ったとして、土地に精霊がいたとしても、その精霊は見えないだろう。
だがこの男、タイカは精霊が見えるかのように振舞った。
「あんた、このひとが見えるのか」
「あなたはこの土地の《
質問に質問で返されてしまった。この髪と瞳の色だ。《
「そこの椅子は丁度、人が座っているように引かれていました。そして貴方は《
そこに精霊が居るのは自明の理でしょう、とタイカは答えた。
自明の理とは。村では長老しか使わないような言い回しだ。
「なるほど。頭が回るんだな」
「そんなことは」
「知識が欲しいなら、俺と交換しよう。俺は《
「勿論です。いや、私は運が良い。初めての村で、こんなにすぐに伝手を得るなんて」
疑問が解けると、今度は知識欲が勝った。長老から得た知識は村の役には立っているが、共に語れるような相手は、それこそ師である長老しかおらず、しかも長老も齢には勝てず頭の働きが鈍ってきていた。
「まずは、この村の土の質と育ちの良い作物を教えてくれませんか。着いたのが夜でしかもこの雨です。まともに見ることもできなかった」
老婆が音を上げるまで食堂で話し続けたふたりだが、それでも足りずアガネはタイカを自分の家へ誘った。
長老は血縁の家族と暮らしており、アガネは養子といっても今は独立して自分の家を持っていた。
話を続けたいとアガネは思ったが、夜まで歩き詰めで来たタイカの疲労の色が濃い。遅まきながらアガネは気づき、明日畑を案内する約束をすると、床に就いた。
翌朝、二人は長老の家へ挨拶に行った。タイカの斑髪に驚いた長老だったが、いくらかの知識と持ち込んだ種を披露すると、長老はタイカを歓迎する旨を伝え、同席していたアガネに接待役を命じた。
元よりそのつもりだったアガネは、早速村を案内した。
行き交う村人たちは、見知らぬ旅人が《
「お手数をかけてすみません」
「何、構わないよ。皆、《物語り》が珍しいんだ。商人ではない旅人なぞ、初めて見るだろうし」
「《
「ああ、それは心配ない」
と、アガネは自分自身を指さす。
「前例があるからね」
「助かります」
「しかし、その髪と目。《
「生まれた時からこの見た目なので。多少なりとも精霊のご加護があるのかもしれません」
生来の姿とは、昨晩も聞いた話だ。
なるほどなあ、と嘆息したアガネだが、不意に身を固くする。
何事かとタイカがアガネの視線の先を追うと、そこにはエキと、エキの母が歩いていた。ふたりとも、両手に筵を抱えている。
そしてふたりとも、タイカの姿を見て驚いている。
「アガネ、そのひとは」
「昨日村に来た。村に益のある旅人だ。《物語り》というお役目の人だが、聞いたことはないか」
知らない、とエキの母は首を振る。だが、アガネが身元を保証したことで安心したようだ。
一方、エキはタイカを珍しそうに見ている。
「背の高いひと。髪も変な色ね」
「生まれつきなんだよ」
失礼だとアガネと、エキの母も叱ろうとするが、タイカが笑って止めた。
変と思うことを変だというのは当然だ。そう話すタイカに恐縮し、エキの母は娘を連れて食堂へ向かった。筵を収めにとわざわざ言ってから、そして足早に去るあたり、余所者であるタイカとあまり関わりたくなかったもしれない。
「すまないな。エキが失礼な真似をして」
「気にしてないと言ったじゃないですか」
「悪い子じゃない」
「ええ、分りますとも」
「勉強熱心な子でな」
「大丈夫ですよ」
「だがな」
「ええと、もしかして」
なんだ、とアガネが聞き返す。
タイカが宙に目を泳がせた。傍らに立つ土地の精霊と目があったような気がした。だがタイカには見えないのだ。そんなはずがない。
「いえ。何でもありません」
私が口を出す話でもなし。タイカの呟きが聞こえたような気がしたが、追及する気にはならなかった。
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