第二話 祝り

第一章 - 祝福 -

 アガネは《はふり》である。


 アガネが《はふり》としての能力を自覚したのは、八歳の頃だった。

 森と村の境界に、女の人が立っている。八歳のアガネはそう認識した。

 綺麗な、しかし不思議な女性だった。ほっそりとした長い髪の女性。薄ぼんやりとした光に包まれていた。

 誰も女性に気づいた様子はない。異常ではあったが、アガネは恐れよりも魅力を感じた。

 女性に話しかけると、その女性は微笑んでアガネの頭を撫でてくれた。そして足元の地面を指さした。


 アガネは女の人の話を伝えようと村へ戻った。


 村人たちはアガネを見て驚いた。彼の髪の色、そして瞳が黄色く変わっていたからだ。

 アガネの変化は村中に知らされた。村人たちが女性の周りに集まったが、アガネ以外には女性は見えない。

 村の長老の指示で、村人たちは女性が指さした土地を耕してみた。

 鍬を入れた村人は、その土地の土が柔らく耕しやすいことに驚いた。


 翌年、その土地で育てた麦や野菜は豊作になった。


 女性は時々消えてしまうこともあるが、多くの時間をアガネの傍らで過ごした。

 それがアガネには単純に嬉しかった。女性の側にいると、太陽の光をたっぷりと吸った干し草のような温かさを感じることが出来た。


「お主は《はふり》となったのだ」


 村の長老はアガネの髪、元の黒色から稲穂のように明るい黄色に変わった髪を撫でながら伝えた。


「精霊の伴侶となり、その言葉を伝える者。火の精霊なら、その種火を守り続ける者。氷の精霊なら、精霊の宿る氷片、氷塊を守る者。地の精霊なら」


 アガネは横にいる、他の村人には見えない女性の方を見た。目が合い、女性が微笑む。アガネもうれしくなって笑みを浮かべた。


「精霊の宿る土地で共に生きる者。地を見守り、その豊かさを守る者。お主が成ったのは、そのような存在なのだ」


 村にとって、それは大きな恵みになる。ようやった、と村の長老がアガネを褒めたたえた。

 以来、村は豊作に恵まれない年はあっても、大きな凶作はなく、村人たちは地の精霊を讃えた。

 元々あった社を、吉祥の地としてアガネが最初に精霊を見つけた場所に移した。

 社の周りの、地味豊かな畑はアガネのものとなった。社を守りつつ畑を耕し、精霊と共にこの場所で生きる。

 アガネは幸せだった。満ち足りていた。


 はずだった。




 その日、アガネは村の子供たちに文字を教えていた。


 子供たちの教育は、社を守り祭祀を務めるアガネの役割のひとつであった。

 豊かな畑を得た代わりの役割といっていい。

 この役割を、アガネは気に入っていた。

 隣に立つ精霊が、子供たちの元気な姿を見て喜んでいることを感じるから。

 木の枝を筆替わりにして、地面に文字を書いて皆で音読する。紙は貴重品だから滅多なことでは使えないし、練習の度に木版の表皮を削っていても手間だ。

 文字ひとつひとつを読んだ後は文章だ。歌のことも多い。子供たちも子供たちで仕事があるのだから、学びに来れる子らも数人が良いところだが、今日は多い。村の空に響く子供たちの歌声が、空気を一層澄んだものにしてくれるような気がした。


 授業がひと段落し、子供たちがそれぞれの仕事に戻る中、ひとり残った女の子がいた。

 今日は仕事がないので、もっと文字を教えて欲しいと、その子は言った。

 エキという名のその子が、アガネの裾をつかんでねだる。隣に居た精霊と一瞬重なるが、精霊がそっと間を開ける。精霊を見ることが出来れば、まるで子供を挟んだ夫婦のように見えるだろう。

 そう、見える者。アガネがそうだった。そんな連想をしてしまい、何故か気恥ずかしくなる。

 気を取り直し、エキと二人して地面にしゃがみこみ、文字を描く。エキに教えるのは、絵のようにやや複雑な、難しい文字だ。エキは勉強熱心な子で簡単な文字は習得済である。エキだけに教えるなら、こうした難しい文字が良い。エキも新しい文字に目を輝かせていた。

 生徒が熱心なら授業にも熱が入る。


「エキ」


 声に二人して顔を上げた。気付けば日も大分傾いてた。

 声をかけてきたのは、ややふくよかな、優しい面差しの女性だった。

 エキの母である。そして寡婦であった。


 エキの父は数年前に死んでいた。村の家畜を狙って入りこんだ狼たちを追い払おうとして怪我を負い、その傷が死因となった。勇敢な男だった。傷を負ったのも村の仲間を庇ってのことだった。

 元々の蓄えもあり、また村の財産を守って死んだ男の家族なのだ。エキもエキの母も村で守ろうと、エキの父の墓前で、皆が誓いを立てた。

 無論アガネも同じ思いなのだが、エキはともかく、エキの母はどうにも苦手だった。

 エキの父も母も、アガネにとって知らない仲ではない。幼馴染で、兄と姉のようなものだった。

 子供の頃は畑仕事でも家畜の世話でも一緒だった三人だったが、アガネが《はふり》となると会う機会はめっきり減った。自分の後継にしたいと長老がアガネを養子に望み、長老の子として家を移したのだ。

 それから関係が復活したのは、エキの父母が結婚し、アガネも自分の畑を貰い、長老の子というより補佐役としての立場を確立してからだった。

 エキの父とはすぐに旧来の関係を取り戻し、俺、お前と呼び合えるようになった。しかしエキの母は、アガネの知る少女ではなくなっていた。アガネはその変化に戸惑い、以来距離感を掴めずにいた。


「この娘は、遊んで回るよりこうして学ぶ方が好きなのね」

「昔の君とはまったく違う」

「そうだったかしら。まあ、あの人には似ていないわよね」


 エキの母の言うあの人、とはエキの父のことだろう。


「そうだな。あいつなら暇さえあれば棒切れを振り回していた」

「それが豚の尻に当たって、豚が暴れて大騒ぎになったこともあったわよね。全く、私やあなたまで怒られて、とんでもない迷惑だったわ」


 楽しそうに笑う。思い出話に気持ちが少しくだけたが、その横顔を見てるとまた気持ちがざわついた。


「さあ、お母さんがお迎えにきたぞ」


 まだ教えて欲しい、とねだるエキを立ち上がらせ、エキの母に押しつける。


「ありがとう、アガネ。またね」


 手を繋いで帰る母子に、つい手を伸ばしかける。そんな自分に気づく。

 何をやっているんだ。

 自身の行動に戸惑うアガネを、精霊が見つめていた。アガネ以外は見ることの出来ない、精霊のその顔には、眉をひそめるような、微笑んでいるような、奇妙な表情が浮かんでいた。

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