第二章 - 不器用なひと -

「こちらが麦畑。右の奥の方が冬野菜を植えています。今は土を休めているから何も植えていません」


 キサカイの家を出て、最初に会った辺りの場所から案内を始めた。

 タイカは土を手で堀り、感触や匂いを確かめている。


「君は。いや、イムナだったね。何歳なんだい」

「十歳と少しだと思います。ちゃんとは知りません」

「そうなのか。しっかりしているね」

「そんなことないです。でも、村長のお世話になっているし迷惑をかけないよう努めているつもりです」

「努めている、か。君くらいの年だとあまり使わない言葉だね。何か学んでいるのかい」

「父母が残してくれた書き物は読んでいます」


 紙は貴重だ。書き物のほとんどは木の皮を削り紐で結んだ木簡で、それらはイムナの部屋に山積みになっている。


「奥の畑も見に行きますか」

「うん。お願いするよ。でも」


 私が何者なのか、訊かないのだね、とタイカは言った。


「君くらいの年なら、余所者や村の外にもっと興味があるものだと思ったよ」


 興味はあるけど、それ以上に忌避感が強いのだ、あなたに。

 とは言えない。


「私は《物語り》なんだ」


 勝手に話し始めた。


「《物語り》とはなんですか」


 そして、つい聞き返してしまった。興味が勝ってしまった。


「ああ。土地を巡り、知識を交換する。形のないもの、形のあるもの。例えば種は形のある知識かな」

「種が、知識なんですか」

「そう。ここの土地が、大きな森の中にあることは知っているかな」

「はい。大森林って言うんですよね」

「そのままの名前だけどね。とても広い。そして人が暮らすには何かと厳しい。土地も元々は人が食べるような穀物や野菜を育てるには栄養が少ない。森には獣たちもいるし、何より草木が深すぎて人が暮らせる場所じゃない」


 森の危険は分かる。少しでも奥に踏み込むと迷ってしまいそうだし、キサカイら大人たちにも深入りは厳禁されている。せいぜいが山菜を採るため村が見える範囲をうろつく程度だ。

 だけどこの土地が瘦せているかどうかなんて分からない。他の土地を知らないから、比較しようがない。


「そうだね。比較というなら大森林を超えた南の土地は開けていて、ずっと豊かだ。人も多い。石造りの街が幾つもあり、千人とか万人単位の人が暮らしている」

 信じられない数だ。村にそんな人間がいたら、一日とかからず飢えてしまう。

「反対に、北へ行くほど寒さが厳しくなる。大森林の北の先には、果てがない氷原が広がっている」

 永久氷原、とタイカは呼んだ。


 いずれにせよ、イムナには想像の埒外だ。イムナが見ることの出来る世界はこの村と、村を囲む木々と、木々の頭越しに見える黒々と連なる山脈だけだ。


「どうして貴方は、そんな色々な場所をご存じなんですか」

「貴方に、ご存じか。難しい言葉を知っているね」

「すみません、子供らしくないですか」

「いや、こちらこそ済まない。別に悪い意味で言った訳じゃないんだ。そうだな、私は実際に行ってるんだ。南の街々、南方諸王国にも永久氷原にも」

「大森林の中を」

 信じられない、と言いかけたが、そうだ。この謎めいたひとは、大森林を抜けてこの村へ来たのだ。


「ああ。それが《物語り》だ。大森林の村々を巡り、お互いに蓄えている知恵や知識を繋げ、交え広げ、そうして大森林の住人たちの役に立つことを生業としている。森を渡る術も《物語り》の知識のひとつなんだ」

「そういえば、書き物にも書いてありました。そうした仕事をしているひとのことを」

 父母の残してくれた木簡。その中に書いてあったのは、あの男の話だ。背の高い、穏やかな口調で様々な農法を知っていたという。


「父の書に書いてあったのは、貴方のことかもしれない」

「君のお父さんのことはよく覚えているよ。お母さんのこともね」


 君にも会ってるんだよ、覚えていないだろうけど。とタイカは言った。

 七、八年前となると自分はまだ三歳か四歳だ。確かに覚えてない。

 その数年後、土砂崩れに巻き込まれて父母を亡くしたこと、土の中から見つかった父母の青白い顔より昔のことは、思い出せない。


「君のご両親にご挨拶もしたい。案内してもらえるだろうか」



 村外れの共同墓地。その中の、父母の墓の傍に座り、イムナはタイカから父母の話を聞いた。


 村を豊かにしたいと、熱心に麦種のことを研究していた。村で使っている作物の肥料の幾つかは、イムナの父が提案したものでもあり、それは父の残してくれた本や村人たちの話から、イムナも知っていた。

 だが、研究熱心なあまり母を何度も怒らせていたことや、それでも最後には母が許してしまっていたこと。夫の熱心さに絆され、結局自分も一緒になって研究に打ち込んでしまったことなど、木簡からは読み取れない、活き活きとした人としての話は、青白い両親の死に顔しか残っていないイムナの記憶に、僅かながらの色彩を与えてくれた。

 タイカの呉れた干し果実も驚くほど甘かった。タイカが腰の小袋から取り出したその食べ物を、最初イムナは遠慮したが、両親の話で警戒心も緩んでしまったのか、つい受け取ってしまった。


「ふたりは、君のことをとても大切にしていたよ。土地の精霊に君のことをお願いしていた」

「そうで、しょうか」

「ああ、そこの」

 と、墓地に入口にある社を見やる。


 黄色い丸木で組まれたその社は、大人が屈んで潜れる程度に小さく古びていたが、手入れは欠かしてないのだろう、汚れはなかった。


「社に、君のことを願ってお参りしていたのを覚えている」

「そんなに熱心にお参りしていたのなら、僕ではなく両親を守ってほしかった」


 罰当たりなことを言ってると思う。

 でも言わずにはいられない。よりによって土砂崩れなんて。土地の精霊。土に宿る精霊なら、土砂も何とかならなかったのか。

 それに、何で自分を置いて二人して亡くなったのだとも言いたい。すっと一緒に居たのなら、自分も死んでいたはずなのだ。

 土砂が崩れるような危険な場所には連れていけない、そう思ったのかもしれない。頭では理解しようとしている。だけど、気持ちが納得できていない。


「精霊も万能ではないんだよ」

「こんな風に祭られているのに。せめてそこは危ないよ、とか教えてくれてもよかったのに」


 村の大人には決して言えないことを、村の大人よりも恐ろしく感じていたこのひとに何故か言えてしまった。不思議とすっきりしていた。

 タイカは黙っていた。堪えるような、難しい顔をしていた。

 これは怒られるかな、と身構えたが。


「他の村の話でもしようか。この村でも祭りはあるだろうけど、他の村では、また変わった祭りをやっていてね。変わった、といっても本人たちにはそれが当たり前で、そんなこと言えば私が変な顔をされるのだけど」

「聞かせて下さい」


 やや強引に話題を変えてきた。イムナは乗った。不器用な人だな、と思った。

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