第一話 物語り

第一章 - 怖いひと -

 雨が降っていた。

 

 細く、冷たい雨。

 目の前には、崩れた土砂。周囲では、大人たちが鋤や鍬を振り上げ土を掘り起こしている。汗が蒸気となって吹き上がる様が必死さを物語っていた。

 しかし幼い少年にはその汗は煙のようで、煙に包まれた大人たちが影法師のように見えた。

 少年はひざまづき、土砂の端を見つめていた。

 土砂から伸びた手。良く知っている手の形。

 だけど、あんなに白くない。

 あの手は──。




 少年は目を覚ました。

 木戸の隙間からは光が差し込んできている。

 朝だった。


 また、あの夢か。


 胸の奥が冷える。あの時、雨に打たれていた時のように。

 だけど、それだけだ。

 何年も前の話だ。


 「イムナ、もう起きたか」

 

 朝食の用意が出来てるぞ。自分を呼ぶ声が、居間の方から聞こえた。

 遅い起床を咎める風ではない。そんな家主ではないことは、イムナも承知している。とはいえ、居候の身だ。

 はい、と返事しイムナは身を起こした。

 今日も畑の世話がある。




 イムナがそのひとを見かけたのは、畑での雑草刈りに疲れ、腰を持ち上げた時だった。


 くたびれた継ぎ接ぎの多い外套を羽織り、長身で猫背のそのひとは、興味深げに畑を見まわしていた。

 イムナの視線に気づいたそのひとが、外套の頭巾を取った。

 黄色と黒の斑色。

 黒はともかく、黄色い髪など見たことがなかった。ましてや混じった色など。そして瞳。黄と黒。左右の瞳の色が違っていた。

 顔立ちは多分、整っているのだろうが、その髪と瞳の色の印象が強すぎて、驚きすぎて、良くわからなかった。

 そのひとが、イムナに近づいてきた。

 怖い、とイムナは感じた。近くで畑仕事をしている大人、居候先の家主でもある村長を呼ぼうかと思ったが、迷惑をかけたくないとも思い、迷った。迷っているうちに目の前まで来ていた。


「やあ。良い畑だね」


 そのひとが挨拶した。穏やかな声で、いくぶん安心した。


「よく手入れされて、良い。穂の色も良いし太っている。この土地と相性が良いんだろうね」


 良い、をやたら使うな、とイムナは思った。


「ああ、すまない。私ばかり話して。キサカイさんを知っているかな。私は彼に会いに来たんだ」


 知っている。先ほど助けを求めようとしたイムナの家主、この村の村長だ。

 村長なら、と口にしかけてイムナは止めた。どんな相手かも分からないのだ。

 外套の端からちらりと見えた腰元には、剣を佩いていた。それも二振り。片方は剣というより短刀といった短さだが、それでも人を傷つけるには十分だ。


「そういえば、名前も言ってなかったね。私はタイカという。キサカイさんの知り合いなんだ。向こうの道で」

 と、タイカと名乗ったそのひとは、元来た道を指さした。


「待っているので、もしキサカイさんを知っているか、知っていそうな人に聞いてもらえないかな」


 そう言うと、道へ戻って畑見物を再開した。

 呑気な様子だが、自分が警戒していたのを感じたので距離を取ったのかもしれない、とイムナは思った。

 村長のことも知っていると分かったのかな。見透かされているようで気に入らない。

 そう思いながらも、村長には余所者の来訪を伝えに行かなくてはならない。




 タイカの来訪を伝えたキサカイの態度は、イムナの予想を超えるものだった。

 元々人好きのする男である。交友関係はあるかもしれない、程度には思っていたが、キサカイは転がるように、体形も丸みのあるので文字通り転がるようにタイカのもとへと駆けていった。

 タイカを見つけると、その手を取り、キサカイは大袈裟に手を振った。付いて行ったイムナと目が合うと、タイカは気恥ずかしさそうに笑った。キサカイが素直に歓迎しているだろうことは、キサカイの同居人であるイムナも察しているし、タイカも同じ気持ちなのであろう。

 何となく、少しだけ心が通じ合った気がした。

 しかし、夜にはそんな感情も崩れてしまった。




 その日の晩、タイカはキサカイの家に泊まることになった。

 村長であるキサカイの家は、他の村人の家よりも一回り大きく、キサカイが独身なこともあって空き部屋が何部屋かあった。居候であるイムナにも自分の部屋が与えられていた。

 広間も他の家に比べて大きい。村人の中の、タイカの昔馴染みと思われる男女が集まっていた。

 食べ物は村人たちが持ち寄り、厨房を使って各々が調理した。イムナは配膳役である。とはいえ、配膳中に多少食べ物を摘まんでも怒られることもない。

 役得を堪能しながら、しかし村人たちの会話の内容に、イムナは気分が覚めていくのを感じていた。

 曰く、タイカは七、八年前に村に来た時、ある種を村にもたらしてくれた。その種は元々植えていた麦よりも大きな穂を実らせ、村を豊かにしてくれたという。


「あの種が、村の土地と相性の良かっただけです。私が何かした訳ではありませんよ。私は運んだだけです」


 種をくれた。有り難い話だけど、本当にそれだけなのか。

 違和感があった。だけど、理由が分からない。喧噪が急に疎ましくなった。

 別に村の皆のことは嫌っていない。皆、親を亡くした自分に良くしてくれている。

 だけど今この時、誰の顔も見たくなかった。

 イムナは「疲れたので先に休みたい」とキサカイに伝え、部屋へと去った。

 その後ろ姿をキサカイと、騒がしい村人たちに囲まれたタイカがそっと見つめた。




 翌日の朝食は、キサカイとイムナ、そしてタイカの三人で摂った。

 なんだかんだで働き者ばかりの村人たちは、騒ぎで酔いつぶれることもなく各々帰宅して、朝から畑仕事に出ているようだ。

 麦粥を啜りながら、イムナはタイカを横目で見た。長身であることは変わりないが、外套を脱いだタイカは思ったよりも細身だった。外套の下に背嚢を背負っていた為、猫背に、そして大きく見えたのだ。

 斑の髪も左右の色違いの瞳も初対面の時の怖さは薄れたが、それでも隔意を感じてしまう。タイカはそんな様子もないので自分が一方的に感じているだけなのだろうと思うと、なんだか自分だけ空回りしているようで気が滅入る。


「このひとに、村の畑を案内してあげて欲しい」


 キサカイが言った。イムナは戸惑った。正直、タイカと関わりたくなかった。


「でも、畑仕事があります」

「今日はいいんだ。このひとに畑を見てもらいたい」


 村にとって、その方が大事だ。そう言われると、イムナは断れない。耕法の専門家か何かなのだろうか。

 父母の記憶と重なる。ますます気が滅入るが、村の畑を調べてもらい、何かしら助言を得たいとキサカイが考えるのも道理だ。


「……わかりました」


 キサカイには心配を掛けたくない。努めて明るく返事をしたつもりだが、キサカイはともかく、タイカには見透かされている気がして、気分が悪くなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る