第8話 シン
秋になった。
春から半年ほど仕事をこなし、一通り雑用や油絵、素早さの必要なフレスコ画などの制作にも慣れてきて、彫刻の制作も幾度か経験できた。最初はノミをハンマーで打つ力加減が分からず、大きく削りすぎたり、手を打ちつけることもあって、おかげで左手はボロボロ。右手は直接指でインクを馴染ませることもあるから、人の手とは思えない奇怪な色になっていた。これって取れるんだろうか……。
今日はいつもと違って、羽ペンと定規を手に、ルナさんと共に小さな礼拝堂建設を請け負っていたフォルモクという名の兄弟子の元で、図面制作の補佐を行なっていた。
「これが完成予想図の素描だ、まだ最終稿ではないが、ギルランドさんのチェックは2度通ったから今後大きな変更はないだろう。二人には礼拝堂の中に作るエディキュラの正確な図面を書き起こしてほしい」
「分かったわ、縮尺は?」
「20分の1スケールで頼む」
「了解よ。アンタは?分かった?」
「ご、ごめん、まずエディキュラって何……?」
「はぁ!?そこから!?」
「ハッハッハ」
フォルモクさんは楽しそうに笑っていた。てっきり怒られるものかと恐る恐る尋ねたが、ここギルランド工房には優しい人が多い。頭目であるギルランドさんの人柄によるものなのだろうか?
ところで、建築に全く触れてこなかったとはいえ、エディキュラという言葉は二人の口ぶりからするに知っていて当然の常識のようだ。僕もそろそろ絵や彫刻だけでなく、建築に関して調べ始めた方がいいだろう。優しさに甘えて兄弟子達の迷惑になりたくない。
「ルナ、説明してあげな。俺はファサードの図面の制作に取り掛かってるから」
「はーい。もうっ、あんた少しは建築に関しても学びなさいよ?後で図書館連れて行ってあげるから」
「ありがとう……」
「ん。で、エディキュラって言うのはね、彫刻なんかを飾るための祭壇の様なものよ。この工房にも、ほらあそこ」
「おぉ、あれか」
「そう、あんな風に彫刻を置くための整えられた空間のこと。スケールの大小はあれど、基本的な型はそう大きく変わらないから、今回を機に覚えちゃいなさい。きっと今後も何度か同じようなことを頼まれるから」
「わかった!」
ルナさんに基本的な事を何度も質問をしながら、図面を書き起こして行った。数学はすでに工房で補佐をするに連れて自然と学んでいったため、三角比の知識とコンパスを用いて建材の断面や高さ、模様の繰り返すパターン描き出し、実作業で困ることのないよう正確に作業を進める。
何度かフォルモクさんのチェックを終え、修正、加筆しながら無事に作業を終えた。
ルナさんは疲れた様子で肩を回している。
「ルナさん、ありがとう、色々教えてくれて」
「ん?あぁ、まぁ最初だからね。でも、自分で学ぶこともしなきゃダメよ?」
「だよね、みんなの時間奪いたくないし」
「そうだ、さっき言ったように図書館に連れて行ってあげるわよ、おすすめの本があるからそれで勉強すれば良い。今何か別の仕事頼まれてるの?」
「ううん、行けば手伝ってって言われるだろうけど」
「ならギルランドさんに伝えて、図書館に行きましょ、私も肩凝って疲れたから、気分転換に外に出たいし」
うーんっ、なんて言いながら大きく伸びをするルナさん。その反動で着ていたシャツの裾が上がり、おへそが顔を覗かせる。いつも工房内に詰めて働いているからか、肌は一切の日焼けも無しに、絹のような白さで、透明感すら感じる。素直に綺麗だと思った。
とはいえあまりまじまじと見るものでもない、慌てて目を逸らしたことで、なんとかルナさんに気付かれずに済んだ。もしバレていたら、どこか殴られていたろうと思うと怖い……。
「ん?どうしたの?」
「い、いや、なんでもない」
「……?そう。さ、行くわよ」
僕の手を握り、ルナさんはギルランドさんの元へと向かっていった。
意外なほど簡単にギルランドさんの許可が出たため、すぐに街着に着替えて工房を出る。僕も今まで来ていたぼろ布ではなく、ちゃんとした衣服を身に纏っていた。お給金を貰えるまでずっとルナさんに『きったない服ね、お金入ったら真っ先に服買いなさいよ』と言われ続けていたため、街着と、工房で着る安くて汚れても良い服を何着か買いに、付いてきてもらったことがある。この服も、ルナさんに選んでもらったものだ。
ルナさんは白のブラウスに薄いピンクのカーディガンとスカートをはいていた。夜は冷え込むが、お昼はまだ暖かいから比較的薄着にしたのだろう。黒を基調としたブーツ風のサンダルも、とても似合ってる。
「ルナさん、服似合ってるね、とっても可愛い」
「えっ!?あんたそんな気遣いできたの!?」
「え?気遣い?」
「……あ、あぁ、本心からなのね。いや、まぁそれもそれで照れ臭いけど。ありがとっ」
「うん、なんだか隣を歩くのが少し恥ずかしいよ」
「あんたねぇ…多分悪い意味で言ってるんじゃないだろうけど、それ他の女性には言わない方がいいわよ」
ツカツカと歩くルナさんは、面倒くさそうに手をひらひらと振りながら僕に助言した。当の僕と言えば、何で言っちゃダメなのかが全くわかっていない。しかし面倒くさそうにしているので、ここで突っ込んで質問をしたところで良い結果にはならないだろう。故に空気を読み、後で兄弟子の誰かにでも真相を聞こうと、心のメモに書き留めた。
しばらく歩いて、ギルランド工房のある街で一番大きな図書館に入る。工房を出る前にギルランドさんがルナさんに渡していた紋章を受付の人に渡すと、代わりに赤く塗られた木札を渡された。曰く、この赤札を持っていれば本のある部屋よりも奥の版画室に入れるらしい。一般の人はただの木札を渡され、入室することが許可されないらしいから、版画室には貴重なものがおいてあるのだろう。今回入る予定はないらしいが。
書庫の中に入ると、四方八方にある巨大な本棚にいくつもの本が収められている。自然科学から劇の科白までたくさんの種類が蔵書されており、僕はあちこち目を奪われていた。
「あっ、そうだ」
「へ?」
「あんた文字読めるの?」
「文字?あ、うん、読めるよ。食堂にいた時に学んだんだ」
「へぇ、独学で?」
「そうだよ。ルナさんは?」
「私は普通に学校で。本当に退屈でつまらなかったけど、今では頑張ってよかったって思えるわね」
「そうなんだ、学校か……どんな場所なんだろう」
「工房と大して変わらないわよ」
「嘘だぁ」
そんな会話をしながらルナさんの後をついて行くと、ある本棚の前で立ち止まったルナさんが、これ持ってて、と脚立を引っ張り出し、数段登る。
言われるがまま脚立を支えたことを確認し、さらに数段、ルナさんは脚立を登る。かなり高いところにある本を取ろうとしているのか、全て登り切ったルナさんが心配で、顔を上げると、見えたのはルナさんのスカートの中だった。
「うわぁ!」
「えっ!何!」
「あ、あぁ!いや、なんでもないよ!」
「何よもう。急に大きな声出さないでよ、びっくりするじゃない!」
「う、うん、ごめんね……」
なぜかルナさんは僕がスカートの中を見てしまったことに気づかない。普通この状況で気付かないはずないのに、もしかしてすごく抜けてるんだろうか?
スカートの中身の事などよりも、こんなに無防備なルナさんが少し心配になりつつあった。そんなことを考えていると、狙いの本を取れたのか、カツカツと脚立を降りてくる。
「あったわよ、脚立ありがとう」
「よ、よかった。さっきはごめんね、急に大きな声出して」
「あんたそういう所あるわよね、癖なの?なおしなさいよ」
「本当だよね……耐性付けなきゃ……」
「耐性?意味わかんない」
首を傾げながら呆れた顔で僕を見つめる。
なおすべきはきっとルナさんの無防備な所なんだろうけど………。
そんなことよりも、ルナさんの手元にある赤い装丁の本に話を移した。
「それ?ルナさんおすすめの本」
「そう、これよ。昔師匠がまだ絵を学んでいた頃の級友が書いた本なんだって」
「そうなんだ!すごいね、本を出版するなんて。芸術家って仕事の幅が広いんだ」
「この人が特殊らしいわよ?さ、あっちに行って読みましょ、私が教えてあげる」
「うんっ」
閲覧席に向かおうとした時、ルナさんの後ろから歩いてくる男の子が、声をかけてきた。
「あ!ルナ!」
「げっ」
声に振り返ったルナさんがその男の子の顔を見て出た言葉はそれだった。どうやら知り合いらしい。
「お前、また本読み始めたのか?」
「あんたには関係ないでしょ」
「ちっ、相変わらず生意気な……ってかその本を目当てに俺は今日来たんだ、お前もう何度も読んでるんだから、俺に貸せ!」
「なんでよ、早い者勝ちでしょ?それに私じゃなくて、この子が読むんだから。シンはその辺の絵本でも読んでなさいよ」
「誰が読むか!というか、そいつ誰だ?」
「私の弟子よ」
「いや、ルナさんのじゃないけど」
「私のよ」
「えぇ………」
まぁ、実際ルナさんから一番多く学んでいるし、あながち間違ってもいないか。
「お前の弟子?ずいぶん歳の離れた弟子だな!ははは!」
「言っとくけど、この子まだ11歳だから」
「うそつけ!」
「本当だよぉ………ところでルナさん、彼は?」
「ガキよ」
「雑だな!俺の説明!ならお前もガキだろ!」
『はぁ、騒がしい』と呆れた様子のルナさん。思ったより仲が良さそうだ。彼は自分の明らかに雑な説明を訂正するように、自分から名乗り始めた。
「俺はロッテンハイム師匠のところの弟子、シンだ。ちなみにその女と同い年だぞ」
「ロッテンハイム……?あっ、これはどうも。僕はロイです」
「ルナと一緒にいるってことは、お前はギルランド工房の新たな弟子か?」
「はい、そうです!」
「はい、自己紹介終わり。さ、ロイ。こんなバカ放っておいてあっちで本読みましょ」
「え?いいの?」
「いや、よかねぇよ!?」
と大きな声でツッコみ、僕とルナさんの間に入り込む。本当に騒がしい人だな、と、あったばかりの僕でも流石に思った。元々こういう性格なんだろうけど、でもどこか必死すぎるように思う。
「随分親しげだけど、まさかルナ、こいつに惚れてんのか?」
「はぁ?弟子だって言ってるでしょ?すぐ好きだのなんだのって話に持って行くんだから。男って」
「じゃあなんだ、本当にこれっぽっちも恋愛感情が無いんだな?」
「無いわよ。というかあんたに全く関係ないじゃ無い、ウザいからどっか行ってよ」
「ウザっ……!ま、まぁ、それならいい、俺は他の本を読むから、それはお前たちに読ませてやるよ」
「元々私たちが先に取ったんだけど。なんであんたのみたいな喋り方なのよ」
「うるせぇ、いいって言ってるんだからいいだろ」
「はいはい。さ、ロイ行くわよ」
「う、うん。シンさん、また……」
ルナさんに手を引かれて僕は無理やり連れ去られる。
シンさんはといえば、明らかに僕を睨んでいた。さすがに僕も彼が睨んでくる理由は分かるが、ルナさんはきっと気付いていないんだろうな。
飛び火、嫌だな……。
余計な厄介事に巻き込まれた自分の不運を呪った。
ロイ たかなり @Tknr22
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ロイの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます