第7話 ギルランド工房

「ほら、起きなさいよ、ほら!」


体を揺さぶられる。

どうやら寝てしまっていたみたいだ。馬車はもっと激しく揺れるものかと思ったが、サスペンションと言う名前の道具で柔らかく、心地よい揺れに眠気を誘われ、そのまま寝てしまっていたらしい。


「ついたわよ」

「あ、ごめん。ありがとう」


馬車に積まれていた荷物はもうすでに下ろされた後で、残っていたのは僕の身と荷物だけだった。荷下ろしは手伝おうと思ってたのに。

天幕をくぐり外を見渡すと、空はすっかり日が暮れてしまっていた。にも関わらず強烈な眩しさを感じるのは、馬車のある通りに規則正しく並ぶ灯りのおかげで、照らされた街並みはメルゲンさんのお店のあった場所とは全くもって異なっていた。

建物は皆大きく、階層の区切りがない。外見からして何階建てなのか察することもできないのは、表面にどっしりと構えられた柱のせいだろう。対称的な作りで、玄関にあたるフロアや天板の端など、至る所に大きな彫刻が置いてあった。そのどれもが身体を捻り、身の丈ほどある布を抱えていたり、中には棍棒のような物を振りかざすものもあった。特に印象的なのは、それらの像全てがただ一点を見つめている事だった。


「すごい……みんな僕を見てる……」

「はぁ?誰があんたなんか見てんのよ」

「あっ、いや、彫刻が、ほら」

「あぁ、彫刻のこと?まぁここは工房の入り口だからね、そう見えるように配置してるのよ」

「えっ?あれ、狙ってやってるの?」

「当たり前じゃない。芸術にたまたま、なんてものは無いの。みんな意図して狙ってやってる。だからすごいんじゃない」

「へぇ………」


いったいこれだけの彫刻や建築を作るのに、どれだけの歳月がかかったんだろうか。と言うより、これらはギルランドさんが作ったんだろうか。彫刻や建築はもちろん、壁にあしらわれた模様も、巨大な円形の石積みでできた柱も、どうやったらこれを人の手で作れるのか、想像すらできない。どれもが一級品と素人の僕でもわかるくらいに美しかった。


「見惚れるのも分かるけど、早く工房に入りなさいよ。みんな待ってるんだから」

「ん?何かするの?」

「あんた新弟子になるんでしょ?これから皆の世話になるんだから、顔を見せて挨拶するの」

「うっ、緊張するな……」

「いいからほら、早く!」


背中を押されて半ば強引に巨大な門をくぐる。

見えてきた内観に、最初に抱いた感想は違和感だった。どうも縮尺がおかしい。外見からおおよその大きさは想像できたが、いざ室内に入ると想像よりも広く大きく見えた。周りを見渡せばあちらこちらで大小様々な塑像の制作をしていたり、そのモチーフとしてポーズを取る者、あるいは机を取り囲むようにして、いく人かの男たちがペンと定規のような道具を持ち話している。また壁際ではデッサンをする物や、油絵を描く者も居て、姿は見えないものの奥からは様々な楽器の音色が響いて来た。


「な、なんだここ……!」

「ここがギルランド師匠を頭領とするギルランド工房よ。ほら、あそこにはローテルフォン教会の壁画『不浄の愛』を描いたミスケさんがいるし、あっちで図面を書き起こしてるのがナリムさん、キュラティーナ教会の設計者兼、建設指導者よ」

「キュラティーナ教会って、あの大通りにあった大きな教会!?」

「そうよ?今朝ギルランドさんが絵を収めた場所でもあるわね。ま、こんな風に、ここにはすっごい人達がわんさか居るんだから」

「なんでルナさんが偉そうなの……」


『ふんっ』と自慢げに腕を組み、兄弟子達を自慢するルナさん。でも、確かに本当にすごい人達ばかりのようだ。芸術のげの字も分からない僕ですら知っている教会や、名前は知らなくとも、何度も見たことのある絵を書いた人がすぐそこに居る。その事実に、また僕がここにいる違和感に、場違いなもどかしさを感じ始めていた。

唖然として辺りをただ見渡していると、何やら図面に対して指示を出しているギルランドさんを見つけた。すぐにギルランドさんも僕に気付き、教えを請う弟子を手で制しながらこちらへ近づいて来た。


「おぉ、ロイ、起きたか」

「ごめんなさい、荷下ろし手伝えなくて」

「ははは、気にするな。さぁすまん!皆手を止めてくれ!」

「ええっ!ギ、ギルランドさん」


急にギルランドさんは振り返り、おおきく手をあげて叫んだ。あまりに突然に行うものだから、まだ自己紹介の心の準備なんてできていない。ギルランドさんの声に振り向く多くの弟子達の視線が僕に突き刺さる。


「紹介しよう、新たな弟子を取った!名はロイ、11歳だ!」


ヒソヒソと『えっ、11?』『ありゃ18だろ』『背高いな』『サバ読んだな小僧』『というかまた弟子とったのか師匠』『本当面倒見のいい人だ』と弟子達が小声で話すのが聞こえる。あとやっぱりみんな歳を気にするのか。芸術家として必要なことなんだろうか?


「さぁ、ロイ。お前からも自己紹介を」

「えぇっ!は、はい……」


ポンと背中を押され前に出る。

こんなに大勢の人に注目されるのは初めてで、どうしていいものかわからなかった。萎縮してしまった喉をなんとかこじ開け、自己紹介を始める。


「ロ、ロイです、絵を描いてました、あと、食堂で働いてました、よ、よろしくお願い、します……」

「もっとお腹から声を出しなさいよ!」


トスッと背中に軽く、ルナさんのパンチが入る。

地味に痛い……もっと見た目に合った女の子らしいことができないのだろうか。

しかしその機転に多くの弟子達が朗らかに笑った。


「おぅルナ、弟が出来たな!」

「うるさいわよ!」

「ずっと欲しいって言ってたじゃねぇか」

「こいつはそういうんじゃ無い!弟子よ弟子!」

「ルナにも弟子ができたか!なんだか俺は寂しいよ」

「本当だな、妹の成長というか、兄離れというかよ」

「あんた達をお兄ちゃんだなんて思った事ないんだけど!?」

「あははっ」


その場の雰囲気に釣られて僕も笑ってしまった。

ギルランドさんも目を細め、楽しそうにしている。

なんだかすごく心地いい。この気持ちはなんだろう、今まで抱いた事のない温かさだ。


「というかほら、もう一回大きな声で!」


ルナさんがまだ僕をこづいてくれた。

少し笑ったおかげで緊張もほぐれていたため、先ほどまでの息苦しさは無かった。今度こそ、ともう一歩前に踏み出し、堂々と叫ぶ。


「ごめんなさい、もう一度言います!ロイです!絵を少し描いてました!食堂で働いてもいました!皆さんの迷惑にならないよう頑張ります!よろしくお願いします!!」


大きな声でそう叫び、勢いに任せて頭を下げる。

先ほどとは打って変わった覇気のある声にギルランドさんも、その弟子達も驚いたようで、しばしの沈黙が流れた。しかしすぐに歓迎の言葉が飛び交う。


「おう!よろしくな!」

「11歳で親元離れるとは、いい根性だ!」

「背高いな!今度モデルになってくれ!」


僕は何度も頭を下げながら、皆の温かい歓迎に気恥ずかしさを抱きつつ、これからの生活に希望を感じていた。


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それからの日々はけたたましく忙しかった。

毎度のことだが、何かを始めれば途端、ゆっくりできる時間など皆無に等しい。メルゲンさんの食堂で働き始めた時も、それまでの生活と一転して目の回る忙しさだったが、当時は抱えていた絶望的な不安と恐怖を忘れられたから良かった。しかし、ここでの忙しさはまた味が違う。


「ロイ、次この調合メモしといてくれ」

「はい!」

「おーい、高級8のヤスリの在庫が危ねぇ、ロイ発注頼むぞ」

「わ、分かりました!すぐに!」

「手が足りねぇ!ロイ、俺の絵の補佐に来てくれ!」

「えぇ!?」


当初はただ絵の勉強をして過ごすものだと考えていたが、メルゲンさんが教えてくれたように、工房では絵の他にも彫刻や楽器の制作、建築、それに関わる工学や数学の研究も行われ、終いには宴会の舞台演出と美術の仕事も請け負っている様だった。

例えばこの前、ある公爵家令嬢の誕生日パーティーを行うからと、その舞台設営の仕事を手伝った。

主催者である公爵貴族とギルランドさんは古くから繋がりがあり、兄弟子達によるとギルランドさんのパトロンでもあるらしい。故に制作指揮と統括は当然ギルランドさんが舵を握り、使い回しの道具などは一切なし、運搬と加工のしやすさから木材を使用し、そこに絵の具で塗装をすることで大理石やレンガ風の見た目に仕上げ、始原の美である格式高い古代建築を模した舞台の作成を行なった。そこにこの国一番の劇団員を招いて、主役である令嬢をヒロインとした簡単な演目をするらしく、そのための舞台のギミック作成にも携わった。

これが本当に大変だった。

ギミック自体は単純なもので、石柱から紐と板を垂らしたブランコの様な物を制作することとなった。ここには演目のフィナーレとして、ヒロインである公爵家令嬢が座り、幾度か揺られながら幕を閉じる流れになっていた。会場は広いために、皆の目に映る様ブランコは比較的高いところに設営される。故に雑な作りで仕上げよう物なら、壊れて怪我をさせてしまう恐れもある。またフィナーレを飾る最後の舞台装置でもあるため、豪華絢爛なものに仕上げなければならない。凡庸な物ではギルランドさんの名声と公爵家の名誉に関わるからだ。

故にこの制作にはギルランドさんの弟子の中でも最も歴の長いベテラン達が担っていたのだが、なぜかそのチームに僕が配属された。当然、安全に関わる様な極めて重要な箇所については触ることは許されず、装飾に関わる作業の補佐としての役を与えられてはいたが、それだって簡単な物じゃ無い。

最終的にブランコを支える石柱の風化した汚れの塗装を、手取り足取り教えてもらいながら作業したが、ほとんど客の気にする箇所では無いにしても、演目が終わるまで心中穏やかでは無かった。初めて触る道具に初めてやらされる作業で覚えることも沢山あり、また思う様にいかなかった悔しさも残る結果ではあったが、とても沢山の学びを得たのは間違い無かった。しかし、それまでの木材の運搬や何百回にも及ぶ絵の具の調合、急な材料の買い出しなどひっきりなしにやることがあり、できることならもう2度と経験したく無いと思える忙しさだった。


そうした仕事はたまにある程度で、普段は今日の様に、工房で各々自主制作を行ったり、ギルランド工房に依頼された仕事を任された人は、その作品作りを行って過ごす。

忙しない日中の仕事を終え、時刻はちょうど深夜を回った頃。

『真の芸術は良い眠りから』というギルランドさんの教えで、夜通しの作業は禁止されているらしく、23時を回る頃には工房の明かりは全て消され、弟子達は皆各々の自宅や、僕の様に住み込みで過ごす者は工房の上にある自室へと戻ってしまう。

僕はふかふかのベッドに飛び込み、何度か転がりながら肉体の疲労をこすりつけていた。


「あぁ……つかれた………」


言葉とは裏腹に、顔には笑顔を浮かべてた。

とても楽しい。

大変だけど、好きなことを学んで、クタクタになって、こうしていいベッドに寝転がれ、自由に使えるお金ももらえる様になった。こんな夢の様な生活ができるなんて、思っても見なかった。

はやる気持ちを抑えきれず、なかなか眠気はやってこない。


「………寝る前に少しだけ絵を描こっと」


自分のお給金で買ったマッチを手に取る。

こうして今晩もまた、月明かりのもとにひとつ、蝋燭の火が灯った。

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