第6話 ルナ

相変わらず僕の荷物は少ない。

メルゲンさんに買ってもらった鉛筆と余白に絵を描いた紙、それから買ってもらった服と下着。それらを抱き抱えて急いでギルランドさんの元へ走る。

そこにはメルゲンさんもいた。


「お待たせしました!」

「おう、パンツ持ったか?」

「うん、忘れず持って来てるよ」

「……そうか」


何だかそっけなかった。


「すまないなメルゲン、開店前と言うのに、人手を取ってしまって」

「いえいえ!滅相もないです、それより本当にあんなにいただいて良いんですか?」

「なに、あとで返せなんて言わないよ。店と、ロイへの投資だと思っているからな」

「分かりました……ここは甘えさせていただきます」

「うむ。さて、ロイ、ワシの工房はここよりもずっと北にある。メルゲンにはしばらく会えなくなるから、挨拶をしておきなさい」

「あ、はい……」


そっか、しばらく会えないんだ。毎日一緒にいたから、あまり実感が湧かない。


「あの、えっと、メルゲンさん、本当に今までありがとう、お世話になりました」

「はっ、浮浪児だったお前がここまで成長するとはな。見違えるほど背が伸びたじゃねぇか」

「美味しいご飯のおかげだよ」

「また適当なこと言いやがって。ま、なんだ、お前のおかげでとんでもない収入があったからな。感謝してるぜ」

「もう、現金な人だな」

「だが忘れるな。お前にはそれだけの価値があると、この国1番の技術者が言ったんだ。その信頼に見合うだけの努力はしろよ」

「うん……正直何ができるのか全く分からないんだけど……頑張る」

「おう、達者でな」

「うん、ばいばい」


初めてメルゲンさんは、僕の頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。親父にもされたことなかったからか、とても嬉しかった。


「それじゃメルゲン、達者でな。また近くに来ることがあれば、ロイを連れて来るよ」

「はい!いつでもお待ちしてます!」

「店、頑張れよ〜」


ゆらゆらと手を振りながらギルランドさんは歩き出した。僕もメルゲンさんに向かって大きく頭を下げ、遅れないようギルランドさんの背中を追って走った。


「少し先に馬車を止めてある、それに乗って北の工房まで帰るぞ」

「あ、はい!」

「うむ。ところでロイ、お前は幾つなんだ?」

「歳ですか?えーと、11歳です」

「な!?11!?」


みんな年齢を聞いて驚いて来る。そんなに僕は背が高いんだろうか?それとも、大人びて見えるのか……?


「……メルゲンにお金を渡したことは内緒にするんだぞ?」

「え?だ、誰に?」

「誰にも、だ。15〜6ならまだしも、11歳を金と交換したなんて、奴隷売買だと思われる」

「あ、あぁ、はい、分かりました」


途中でギルランドさんは露店のりんごと、焼き鳥串を買って行った。あれだけ食べたのに、まだ食べるんだろうか?と、僕の分として買ってくれた串を食べながら思う。うん………美味しい………!

大通りから少し離れた宿屋に付き、『ここで待ってろ』と言われたので、僕だけは宿屋に入らず待っていた。

ぼーっと空を見上げる。

いつぶりだろう、空を見上げたのは。

今頃お店は開店してるんだろうな、ヒューズさんが来た頃かな。どうせ鹿肉とインゲンの料理頼むんだろうな。そういえば奥さんとの喧嘩は仲直りできたんだろうか。

そんな考え事をしているうちに、ギルランドさんが出て来た。


「待たせたな、ロイ」

「あっ、いえ」


そう答えた時、ギルランドさんの背後に、小さな女の子がついて来ていた。

可愛らしい顔立ちの子だった。黒く長い髪を後ろで束ね、淡いピンクのワンピースに身を包み、とても女の子らしさを感じる。


「紹介する、ロイにとっては一番近い兄弟子……いや、姉弟子、か?まぁ、そんな感じのルナだ」

「ロイね、私はルナ」

「ルナ、ちゃん?さん?の方がいいですか…?」


幼い見た目に、どう呼ぶのが正解かわからずそう問いかける。

すると返答は意外なものだった。

視界がぐらっと揺らいだかと思えば、ルナさんはは僕の顎をがっしりと掴んで引き寄せ、鋭い目つきで睨みつける。


「今度ちゃん付けしたら、目に指突っ込むわよ?」

「ふ………ふぁい………しゅみましぇん」


うまく喋れないのは、顎を掴まれているからなのか、突然顎を掴まれた恐怖からなのか分からなかった。可愛いらしい女の子、なんて思ってたのがずっと遠く昔のようで、何がそんなに怒らせたのかも分かっていないために、困惑も同時に押し寄せる。


「言っとくけど、私は師匠ものとで4年は学んでるの。あんたが何歳かは知らないけど、年上だからって、工房では腕が物を言うんだから。調子に乗らないでね」

「ご、ごめんなさい……ロイです、よろしくお願いします……」

「ははは!まぁそう脅すなルナ。ロイはまだ11歳なんだぞ」

「そうは言っても師匠、上下関係は…………え?11歳?」

「11歳です……はい……」

「………サバ読んでんの?」

「何で誤魔化す必要が……」

「いやワシも驚いたよ、とてもそんな歳には見えん。15〜6かと」

「いやいや師匠、これは18は行ってるでしょ!」

「18?それはないだろう、ルナ」

「いやいやいや!」


歳なんてどうでもいいだろう……女の子でもないのに……。そんな僕の気持ちを他所にルナは快活に叫ぶ。


「あんた本当に11歳なのね?なら話は別だわ、少しキツく当たりすぎたみたい。でも私は14歳、歳上なんだから。その辺ちゃんと弁えてよね」

「え?14歳?ちっ…」

「なに??」

「あぐっ………なんでもないれしゅ!」


また顎を掴まれた。華奢なのに、どこからそんな力が出てるんだろう。

『ふんっ!』と顎をつき払い、思い出したかのようにギルランドさんへとご飯をねだっていた。ギルランドさんは持っていた紙袋からさっき買っていたりんごと焼き鳥串を渡し、ルナさんはそれを美味しそうに食べていた。

こうしてると可愛いのに、なんだか勿体無いな………と一人思っていた。


それから宿屋に隣接する馬小屋に向かい、ギルランドさんが手綱を持って出発した。

馬車なんて初めて乗るから、とてもワクワクしていた。大通りの真ん中は基本的に馬車の通り道で、人は歩けない。大抵は貴族って人達や、そのお抱えの商人達が通る道だから、馬車の動きを妨げるようなことになれば罪にもなるらしい。そんな場所を今はこうして、馬車に乗りながら通れている。ルナさんは小さな口で未だリンゴをもしゃもしゃするのに夢中だったけど、僕はあちこち顔を覗かせて見ていた。


やがて、自分の足でも来たことのないところまで馬車は進んだ。大きな砦を抜けて、舗装もされてない道をガタガタと揺られながらも、久しぶりに見る自然の景色に懐かしさを感じていた。お兄ちゃんたち、元気かな。お母さんも………。


「あんた、飽きないの?外ばかり見て」


問いかけとは裏腹に、全く持って興味なさげなトーンで声をかけて来た。


「まぁ、初めて乗るから」

「敬語、忘れないでよね」

「あ、ごめんなさい」


前の方から『ふわぁあ』と、ギルランドさんのあくびが聞こえる。のどかな時間だ。


「うわっ、何これ!」

「え?」


緩やかな時の流れに浸っていると、またルナさんが声を上げる。

振り返ると、指で布を持ち上げていた。


「それ、僕のパンツだよ?」

「はぁっ!?いやっ!」


そう言って僕にパンツを投げつけて来た。


「何でパンツ剥き出しで持って来てんの!?信じらんない!」

「何でって言われても。生活に必要でしょ?」

「これだから男は。普通袋に入れるなりして、目につかないようにするでしょ?」

「何で?汚くないよ、ほら、真っ白」


汚い服を着ていた僕を見かねたメルゲンさんが、新しい服と共に買ってくれたパンツだ。とても履き心地が良く、毎日手洗いしていた。汚れひとつついていない。

ルナさんに掲げて見せるとキャーだのヤーだの騒いでいる。


「そんな物見せつけないで!私の近くにおかないでよ!」

「ルナさんが勝手に僕の物探ったんじゃん……」

「うるさい!言い訳はいいの!」

「そんな理不尽な……」

「はぁ、嫌なもの触っちゃった………。ところで、あんた絵を描けるんだってね」

「え?」

「師匠が言ってたわよ。見せなさいよ」

「嫌だよ、恥ずかしい」

「はぁ?あんたこれから絵描きになろうってんでしょ?」

「まぁ、そうだけど……」

「人に絵を見せるのが恥ずかしいって、子供ね」


そんなに歳変わらないじゃん、と言いたかったが、また顎を掴まれそうなので言葉には出さない。


「いい?これから貴方は沢山の絵描きや彫刻家たち、師匠の弟子に囲まれて過ごすのよ?そうして自分の作品を見てもらって、評価してもらって、もっと上手くなっていくの。恥ずかしがっていたらいつまで経っても成長しないわ。あなたがどうなろうと構わないけど、師匠の顔に泥を塗るようなことはして欲しくないの」

「………分かった……。はいどうぞ」


渋々、服の一番下に置いていた紙を抜き出し、ルナさんに渡した。


「あんたいつも新聞紙の余白に描いてるの?広告の裏とか………。どんな生活してたのよ」

「お金が無いんだ、紙って高いんでしょ?」

「まぁそうだけど、質を選ばなければ手に入らないものでも無いじゃない……」

「そうなの?」

「はぁ。どれどれ……」


やっぱり、人に自分が書いた絵を見せるのはソワソワする。いつか慣れるんだろうか。


「……これ、あなたが描いたの?この女性は?」

「お店のお客さんとして来た女性だよ。とても綺麗な人だったから」

「気持ち悪い動機ね。でも絵描きとしては正しいわ。それにしても……なかなかやるじゃ無い」

「え、本当?えへ、ありがとう」

「でもまだまだね」

「うぅ……」


正直意外だった、ルナさんの性格的に下手くそだの、全然ダメだの、否定的な意見が来るかと思って覚悟していたが、杞憂だったみたいだ。


「帰ったら私の絵も見せてあげる。差を思い知らせてやるわ」

「絵って、そんな競うものでも無いでしょ?」

「バカね、芸術の世界も勝負の世界よ?自分よりも上手な人に仕事が取られていくんだから」

「そう言うものなの?上手い絵ばかりが良い絵だと僕は思わないんだけどなぁ」

「ふんっ!ヌルい考えね!虫唾が走るわっ」

「こ、怖いよ……」


『ふわぁあ』と、またギルランドさんのあくびが聞こえた。

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