第5話 絵描きへ
「おぉメルゲン、早くにすまんな」
メルゲンさんは見るからに驚いていた。
前に僕の年齢を知った時にも驚いていたが、比じゃないほどの取り乱し方だった。勝手にメルゲンさんの知り合いかと思っていたが、親しさよりも恐れ多さを抱いている様だった。
「いやいや、滅相もない!言ってくれればすぐに降りましたのに!」
「構わんよ、大した用事でもないからな」
「すみません、そいつが何かしでかしましたか?」
「ははは、何事もないよ。それよりメルゲン、繁盛している様だな」
「お陰様ですよ、ギルランドさんの助力なしにうちの店はありませんから!」
「それは開店してすぐの頃の話だろう、ここまでの盛況はお前の頑張りによるものだ」
「いやいや、本当に、感謝を忘れた事はありません」
ペコペコするメルゲンさんは初めて見た。いつものお客さんたちに対する口振からは想像もできないほど畏まった喋り方だった。
二人の会話に当惑していると、その様子を察したメルゲンさんがおじさんを紹介してくれた。
「ロイ、この御方はこの国、フィルモンベルト王国で1番と名高い工房の技術者だ」
「工房の技術者?」
「そうだ、あれをみろ」
メルゲンさんが指差したのは、お店の後ろに大きな額縁で飾られてあった壮大で綺麗な絵だった。新聞の挿絵の模写には飽きた頃に、よく真似て描いたこともある。
「あれ?」
「あぁ、あの絵を描かれたのがこの御方だ」
「えぇ!?この絵を描いたの!?」
「あぁそうだ。工房では絵以外にも彫刻や建築、楽器なんかも作ってるんだ。この御方はその工房の頭領、一番の腕の持ち主で、知らない人はいないほどすごい方なんだ」
「ははは、褒めすぎだメルゲン、まだ1番と堂々と言える程ではない」
「ご謙遜を、誰が異論を唱えましょうか」
おじさんは満更でもなさそうに、はははと笑っていた。素直に驚いた、背が伸びた僕よりもずっと大きな板に、これほどまで正確に絵を描ける人がこの人だなんて、信じられなかった。
「すごい……描いた人って本当に居るんだ……」
「なんだその感想は、ったく」
「ははは、素直で良いじゃないか。この子はお前の甥か?」
「いえ、元は浮浪児です。何やら7歳の時に親に捨てられたらしく」
「なんと。災難だったな、ロイ」
「あ、いえ、その……メルゲンさんに良くしてもらってるので」
「それは何よりだ」
「……あっ、いけない、それでギルランドさん、今日は一体……?」
「おぉそうだった。いや、なに、たまたま近くの教会に絵を納めて来たからな、ついでにお前に空いに来ただけだ」
「そんな、わざわざ来ていただいて……そうだ、飯でも食べて行きますか?お代は結構ですから」
「いやいや良いんだメルゲン、気を遣わなくとも」
「そんな!わざわざ恩人に足運んでもらって、何もなしに返すなんて真似できませんよ、すぐ作るんで!時間ありますか?」
「まぁ、仕事を終えたばかりだからな、急ぎで戻らねばならん用は無いが」
「なら遠慮なく、好きな席座っててください!ロイ、お前も飲み物を!」
「え、あっ、うん!」
メルゲンさんは小走りで厨房に向かった。本当は絵の続きを描いていたかったが、とてもそんな状況じゃ無い。描いていた広告の紙も未だギルランドさんの手元にあるし。
僕も急いでグラスを出し、乾いた清潔な布で拭きあげ、形のいい氷をいくつかと、お茶を注いで持って行った。
「お茶です、どうぞ」
「おぉ、すまんな。……ところでロイ、他に君が描いたものはあるか?」
「えっ?えーと、物置小屋に行けばありますけど……」
「そうか、すまんが見せてくれんか?」
「わ、分かりました……」
メルゲンさんに一言告げ、物置小屋にある紙の中からいくつか上手く書けたものを選んで持って行った。
「ごめんなさい、汚い紙で」
「いつもこんな新聞の端や広告の紙面の裏に描いているのか」
「はい、落ちていたものを拾った紙ですので、お食事の後の方がいいかと」
「気にせんよ、犬のクソでも着いてるわけじゃ無いんだろ?」
「それは、まぁ……」
おもむろに僕の手元から紙を取り上げ、そそくさと絵を見始める。人に見せることを前提として描いていたわけでは無いから、なぜだか緊張と気恥ずかしさを感じた。
ギルランドさんは僕の絵を繁々と見つめてまた黙ってしまったから、メルゲンさんの元へ行き、スプーンやフォークの準備をした。程なくして料理を仕上げたメルゲンさんが綺麗にお皿に盛り付け、用意したスプーンとフォークを板に乗せ、自分で運んで行った。
「お待たせしました、ギルランドさん」
「おぉ、すまんな、相変わらず美味そうな飯だ」
「そう言ってもらえて嬉しいです。……ところで、それはなんですか?」
「ん?これか。ロイが描いた絵らしい」
「これをロイが?」
なんだか恥ずかしさが増した気がする。
二人して僕の話をするものだから、どんな表情でそれを聞けばいいのかわからない。早くご飯を食べ始めないかな。
「まぁ、まずはせっかくのご飯が冷めないうちに食べ始めよう」
「えっ?あ、はい、どうぞごゆっくり」
よかった。
開店前の朝食時だからか、溶き卵の漂うスープと、胡椒で味をつけたスクランブルエッグに新鮮な野菜とカリカリのベーコンを焼け目の着いたパンで挟んだもの2品があり、ギルランドさんは大きな口であむりと頬張り、美味い、とこぼしていた。
すぐに食べ終えたギルランドさんは『ふぅ』とため息をつき、それからまた僕の描いた絵を見始めた。
仕事でいつも絵ばかり見ているだろうに、そんなに気になるものだろうか。それとも、そういう人だから1番の腕の持ち主になったのかな。
「ふむ……惜しい」
「ん?ギルランドさん、何かありましたか?」
「メルゲン、美味しかったよ、ありがとう」
「え?あ、あぁ、ありがとうございます、またいつでも」
「ところでこの店でロイは雇われてるんだな?」
「ロイですか?まぁ、雇っているというより、寝る場所と食事を与えてるだけですけど」
二人して僕を見るので、肯定の意味でこくりと頷く。
「ふむ、ということは賃金は払われてないんだな?」
「えぇ、それがこいつと交わした約束ですし、うちにもあまり余裕が無いので……」
「そうか。いや何、責めているのではないさ。ただ率直に言って、ロイには絵の才能がある」
「え!?」
驚いたのは僕だった。
「ロイ、お前は芸術に興味はあるか?」
「え、えーっと………」
「聞き方を変えよう、絵を描くのは好きか?」
「それなら、はい」
「ははは、即答だな。メルゲン、すまないがロイをうちの工房の弟子にしたい」
「え、ほ、本当ですか!?」
「あぁ、工房で使う高価なものでも無いのに、市販の鉛筆でこれだけ描けるのは素晴らしい。ぜひ育てて見せたいと思った。もちろん、これまでロイが食ってきた食事や、急な申し出だ。人でも足りなくなるだろう、その補填として十分にお金は渡す」
「いや、まぁ、元々一人で回してましたからその辺は心配なさらなくても。それにお金なんて……」
「何かと入り用だろう。それに先も言ったが、私のわがままで急なお願いになった、金は受け取ってくれ。30万ダルク渡そう」
「な、30万!?」
30万ダルク……!僕の好きなチーズハンバーグが15ダルク、それが200、いや2000回食べられる!?
スープなら10000回、野菜炒めだと……
そんな計算に気を取られた僕をよそに、メルゲンさん達は話を進めていた。
「たらぬか?」
「いやいや!1万ダルクでも貰いすぎってもんです!そんなにこいつに価値があるんですか!?」
「あくまで私の見立てではあるがな。上手く行けばそれ以上の額をすぐにでも稼げるだろう」
「芸術家って儲かるんですね……俺も何か描こうか……」
「ははは、誰でもそうなれる訳ではないさ、止めはしないが画材も高いぞ、生半可なものだとすぐひび割れてしまうからな」
「ですよね………」
「さて、返事はどうだ。時間が欲しいなら数ヶ月は待てるぞ」
「………ロイ」
「でも野菜炒めだけだと流石に……スープと一緒なら……」
「おい、ロイ!」
「うわっ、な、なに!」
「お前はどうしたいんだ?」
「え?どうしたいって……?」
「工房で絵を学ぶか、ここで働き続けるか、だ。正直言うと30万ダルクはデカい。だが前にお前に言ったろう。7歳のガキ捨てるなんて、クソ親父だ、って」
「あ、うん……」
「ここで問答無用にお前を行かせたら、俺だって同じことしてる気分になっちまう。ギルランドさんはそんなつもり毛頭ないが、俺の気持ちの問題だ」
「………」
「選べ、お前がここで働きたいと言うなら、俺はそれを許す。絵を学びたいなら、それも許す。どっちだ」
「……いいの……?絵を学びに行って……」
「当たり前だ。お前の人生だ。お前が選べ」
「………お店は大丈夫なの……?」
「ここは俺の店だ。元々お前無しで回してたんだ、そりゃ多少忙しくなるが、何とでもなる」
「そっか………」
「………学びたいんだろ?絵を」
「………」
「だったらはっきりと言え!行きたいと!お前の生き方を他人に求めるな!他人の為なんて詭弁で、気持ちに嘘をつくな!」
「……行きたい、僕、絵を学んでみたい」
「よし!よく言った。こう言う訳です、ギルランドさん。ロイの事、任せます」
「ふむ、分かった。しかしこうしてみると親子みたいだな、お前達は」
「全く顔は似てませんがね」
「ははは、そうだな。よし、分かった。ではロイ、これからうちの工房に住んでもらうことになる。荷物を持って来なさい」
「は、はい、分かりました!」
僕は大急ぎで店を出た。
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