第4話 算数
それから数日は、懸命に働きながら、ピーク前の常連のお客さんや、閉店後のメルゲンさんに文字の読み方について質問をする毎日だった。
中には読み方を聞いても、その単語自体の意味が分からないものもあり、世の中には知らないことが沢山あることを知った。
例えばけいざいという言葉は、常連のおじさん曰く『俺たち街の人間の間でどれだけお金のやり取りが行われてるか』という事を表した言葉らしい。一体それを言葉にして何になるのか?と、閉店後のメルゲンさんに聞いたら、『お前は知らんかもだが、金のやり取りがあればそこに税金が発生する。だから沢山売り買いがあれば、沢山税金が入って、街がより豊かになるんだ』と教えてくれた。その時は分かった様な顔で「なるほど」と言ってみせたが、正直なところ税金とやらの意味が分からないから、メルゲンさんの言っていた事の意味を本当に理解できたのはそれから2日後だった。
何かを学ぶのに必要な言葉を学ぶ、無限にループする様で頭がこんがらがるけど、それでも次第に文字が読める用になり、知らない事を知れる日々が楽しかった。
真夏の猛暑でうだりそうな日に、お店で出す氷の製造が間に合わなくなって、冷氷屋から氷を買ってこいと頼まれた。氷の値段は激しく変わるから、多めにお金を渡されて買いに出かけた。ところが何ぶん最近文字を読める様になったばかりで、勘定は指の数で事足りるほどしかできない。一応出かける前に「メルゲンさん、僕勘定出来ないよ」と伝えたものの、氷がなきゃやってられない様子で、かと言って自分が厨房を離れるわけにもいかない。だから高値でもこのくらいだろうという額を渡され、それで買えるだけ買ってこいと頼まれた。
冷氷屋に着いてすぐ、言われた事をそのまま伝えてみた。この金で買えるだけの氷を買いたい、そう告げると想像していたよりも少ない量を渡された。ここ最近使う量を考えると足りないだろう。とは言っても、これが正規の量なのかどうか、自分では判断できない。余計ないざこざを起こして氷を無駄に溶かせば、それだけ無意に帰すお金も増えてしまう。そう言った事情で諦め、氷を持って走って帰った。結局メルゲンさんには怒られることになった。
「勘定出来ないよって言ったのに……むぅ」
閉店後、メルゲンさんに頼んでお店での勘定に関わる計算を教えてもらった。メルゲンさんも氷の件で痛手を直に抱えたため、必要な事だけを徹底的に教えてくれた。四則演算の練習としてその日の売り上げの計算時にいくつか問題を出してくれた。
各ダルクの合計と総計で足し算、売り上げから経費を引いた純売り上げを求める引き算、5ダルク硬貨が42枚あると何ダルクかと言った掛け算、全員で80人お客さんが来たとして、総売り上げから一人当たり何ダルク使ったかの割り算、と言った具合に、メルゲンさんは日を追うごとにだんだんと難しい計算を出してくれ、最初は沢山時間をかけても間違えたものの、おかげで冬が来る前には並大抵の計算ができる様になっていた。
「ロイ、お前、文字の時も思ったが吸収が早いな。いや、今思えば仕事も覚えるのが早い」
「え、そうかな」
「子供ってのはみんなそうなのか?というかロイはうちに来て3年経たないくらいだが、何歳なんだ?」
「うーん、お父さんと家を出たのが7歳の時だから.......10歳かな?」
「なっ!?お前、あの時1ケタだったのか!?」
突然メルゲンさんは大きな声を出して驚いた。その声に僕も驚いてしまう。
「う、うん、具体的な誕生日とかはあんまり覚えてないんだけど、年に一回、兄妹が多かったからみんなで祝ってた日があって、それで7歳って計算してるけど」
「………驚いた、マジかよ。背高いな、12〜3かと思ってた。ったくクソッタレな親父もいたもんだな。7歳のガキ捨てるなんて。だったらハナから産んでやるなって話だ」
「まぁね……でも置いていかれる最後の日には、初めて食堂で沢山ご飯を食べさせてくれたんだ」
「そうなのか?まぁ、せめてもの餞別だったんだろうよ」
「うん、でも美味しかったな……もちろんメルゲンさんのご飯のほうがおいしいけど」
「はっ、本当に思ってんのかね」
「本当だよ!すごく幸せだもん」
「そうかい………ま、なんだ、毎回ってわけにはいかねぇが、お前が来てから店の回りも良くなってな。多少売り上げも上がったから、何か欲しいもの買ってやるよ」
「え、欲しいもの?」
「あぁ、ただし贅沢品はなし、1つだけな。本当に微々たる余裕だからよ」
「いいよそんなの、いらないよ」
「遠慮すんな、いや遠慮はして欲しいが、値段的な意味でだ。何か買って与えたほうがお前をもっとこき使えるからな」
「そういう目的……?うーん、あっ」
「お?なんだ、言ってみろ」
「じゃあ、チョークを買ってよ。それか鉛筆。文字を描ける様になりたいんだ」
「はぁ?そんなもんでいいのか?」
「うん、本当は紙も欲しいけど、それは高いでしょ?」
「どの程度の質の紙を言ってるのかは知らんが、大抵は高いな」
「紙は新聞の余白とかがあるから、描くものが欲しいな。だめ?」
「いや、良いぞ。なら鉛筆を買ってやる、チョークは安すぎて買ってやった気にならんからな。鉛筆もさして変わらんが」
「やった!ありがとうメルゲンさん!」
翌日、メルゲンさんは本当に鉛筆を買ってくれた。自分で削れる様に物置小屋に眠っていた彫刻刀も貸してくれ、好きに使って良いとのことだった。
それから毎日、朝と就寝前は文字を沢山書いて過ごした。文字だけじゃなく、計算に使う数字を書いてみたり、やがて新聞の挿絵を真似て絵を描く様にもなった。最初はミミズがのたうちまわった様な弱々しくガタガタな線しか書けなかったが、メルゲンさんから持ち方を教わって、丁寧に挿絵を真似ていくうちにしなやかで伸びのある線を描ける様になっていった。月明かりの乏しい光源の元で、眠たくなるまで何度でも描いてみせた。
僕が思いの外鉛筆を使っていたからか、日に日に短くなる鉛筆を見てメルゲンさんは驚いていた。程なくして使いづらくなるほど短くなった鉛筆に嫌気がさし、なんとなく買ってくれアピールでより一層働く様にすると、たまに鉛筆を買ってくれたりした。
4度目の春の訪れだった。
皿洗いと掃除を終え、開店前の空いた時間に、もはや日課となったお絵描きをしていた。昨日食堂に来ていた綺麗な女性の姿が頭から離れず、記憶を元に書き出していたときだった。
「お邪魔するよ、メルゲン」
まだ開店前なのにも関わらず、恰幅の良い髭の生えたおじさんがお店の玄関の門戸を開き入ってきた。
「あの、すみません。まだ開店前で」
「おや………?君は?」
「僕はメルゲンさんの元で下働きをしているロイです」
「ほぅ、人を雇えるほどに繁盛しているのか、それは何よりだ。ところでメルゲンはどこに?」
「えっと、メルゲンさんはまだ上の自室にいるかと……」
「ふむ……」
しばらくの沈黙の後、おじさんはゆっくりと僕に近づき、テーブルの上に置きっぱなしにしていた紙を拾い上げた。まだ途中ではあったものの、ほとんど描き終えた昨日の女性の絵だ。
「あっ、それは」
「………これは、君が描いたのか?」
「えっと、はい、そうですけど………」
「ふむ………どこかの工房で絵を?」
「え?」
「誰かに師事して学んでいるのか?という意味だ」
「いえ、空いた時間に描いてきただけですけど……」
「ふむ………」
また絵を凝視して黙り込む。
変なおじさんだ、メルゲンさんと親しい人なんだろうけど、初めて見た人だ。見なりからして良い生活をしているんだろうけど、一体何者なんだろう?
そんなふうに考えていると、コツコツと階段を降りながら、大きなあくびをしたメルゲンさんが起きてきた。
「んだロイ、今日は騒がしいな」
「あ、メルゲンさん」
「あぁ……?って!ギルランドさん!?」
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