根津巴
「丸く収まって良かったね」
高見と別れた後、俺は根津のいるコンビニを訪れた。
今日は自宅で晩御飯を食べる予定なので冷やし中華はなしだ。
かといってなにも買わずにイートインコーナーを利用するのはためらわれるため、根津と並んでプリンを食べる。
夕暮れ時のコンビニは、今日もやっぱり繁盛していない。
しかしそのおかげで根津の部屋まで行かなくても十分に話ができそうだ。
「いや、まだ解決しておくべきことは残ってるんだ」
これはまったくの蛇足だ。
今回の騒動は根津の言うとおり、過不足なく片付いた。
だけど今後のためには片付けておくべき要素がまだ少しだけ残されている。
「それってなに?」
「根津がなぜタイムマシンを俺に使わせたのか、という疑問についてだよ」
未来と現在を何度も往復したせいか、正確な時系列はつかみにくい。
だけどこの騒動の発端は先月、根津が俺に懐中電灯を見せたことだったはずだ。
「あの頃の根津は少しおかしかった」
「どのあたりが?」
「坂下のいじめを解決しようと熱心だった、というより焦ってるように見えたんだよ。俺にまで相談してきたくらいだからな」
根津はこれまで一人で諸問題に立ち向かってきた。
コンビニで冷やし中華を食べる俺にそれらについて話すことはあっても、明確に協力を求めてきたのはあれが初めてだ。
「そして唐突にタイムマシンが登場した。考えてみればそれも変だ。報酬なら他のものを提案しても良かった。だけど根津はあのときすぐにタイムマシンを出してきた」
「珍しいものが手に入ったから自慢したかったんだよ」
「そういう気持ちはわからなくはないけどさ。決定的な違和感は、根津が自称父親からもらった懐中電灯を、タイムマシンと無条件で信用したことだ」
それがずっと引っかかっていた。
「見知らぬ男から懐中電灯をもらって、それがタイムマシンだと言われたとして、すんなり信用できるもんか?」
「平尾はいったいなにが言いたいの?」
焦れたように根津が言う。
たしかに話が回りくどい。
俺はガラにもなく緊張しているようだ。
人のウソを暴くことがこれほどストレスのかかることだとは思っていなかった。
深呼吸をして、ゆっくりとまばたきをする。
そして根津を見つめて言った。
「お前、先に一度タイムマシンで未来を体験したんじゃないのか?」
それならすべての辻褄が合う。
自称父親と会ったときに一度体験しているとすれば、根津が懐中電灯をタイムマシンだと信じた理由としては十分だ。
「いつに行ったのかも検討がついている。最大限未来に飛ばしてもらったんだろう。だから根津が先に体験していた未来は今日、十二月一日だったはずだ」
根津はタイムマシンの最大射程を四百五十時間くらいだと知っていた。
他の仕様については曖昧なのに、そこだけは具体的な数字を答えたのは違和感がある。
だが自分で体験していたのなら話は別だ。
根津がタイムマシンを手に入れた日付は知らない。
だが俺にそれを見せる前日、十一月十一日に根津が父親と会っていたならば、その四百五十時間後は大体今日になる。
「お前は先に事件を知っていたんだ。高見が刺されて、俺と坂下が学校に来ていない。未来でそういう事態が起こると知った上で、俺を未来に送った。そうなんだろ?」
詳しい事件の背景はわからなかったはずだ。
推測するなら高見が事件の内容を知ったのは学校で、噂話という形だったのだろう。
高見がカッターナイフによって怪我をし、欠席。
そして俺と坂下もまた、不自然に学校を休み続けている。
噂話というのは無責任に膨らむものだ。
高見は病院で生死の境をさまよい、警察に追われた二人は逃亡中。
そんな風に語られていても、おかしくはない。
あるいは俺が夜中の学校で怪我したことも噂の一部に組み込まれていたかもしれない。
とにかく、根津には正確なことがわからなかった。
高見の安否も、俺と坂下がどこでなにをしているのかもわからない。
それを知る方法の一つが、当事者に直接尋ねることだ。
高見、坂下、そして俺。
この三人のうち、根津がもっとも巻き込みやすい相手が俺だったのだろう。
なにせ、週に何度か自らコンビニに立ち寄る。
巻き込むには都合の良すぎるくらいだ。
「すごいね。まさか気づいてるとは思ってなかった」
根津はそんな言葉で俺の推理を肯定した。
「ほとんど平尾の推測どおり、たしかにあたしは一度タイムスリップして、事件が起きることを知ってた」
「本当のことを黙っていた理由は?」
「だって、未来で恐ろしい事件が起こるかもしれないからそれを防いでほしい、なんて言って平尾が素直に協力してくれるとは思えなかったから」
「ま、それはたしかに」
あのときの誘い文句でなければ、ウソくさいタイムマシンを試してみようという気にさえならなかっただろう。
「でもそれだけじゃないはずだ」
「平尾はなにが気になってるの?」
「根津が俺を未来に送りつけた目的だよ」
「それは事件を防ぐために、っていうのだと不満?」
「今まではそれで納得してた。でも、今は納得できない」
「どうして?」
「だって、明らかに根津が自分で解決しようとしたほうが効果的だろ。自分で未来を行き来して情報を集めて、事件の発生を防げばいい」
「あのタイムマシンは一人じゃ使えないよ。自分で自分を照らしたら、時間の調整とかができないし」
「なら俺が照らす側でも良かっただろう。それくらいなら、冷やし中華を食べながらでも手伝える」
元々俺を未来に送る必要なんてなかった。
事件について調べるのならば、根津が自分で未来に行きそこで情報を集めたほうがいいに決まっている。
あの時点で未来を変えられないとは根津も知らなかったはずだ。
それなら事件終了後の時間で詳細な情報を集めて、それから対処しようと考えるのが自然だろう。
それなのに根津は俺を積極的に事態へ巻き込み、未来へ送り込んだ。
その動機が今は気になる。
「平尾は、あたしが自分で未来に行かなかった理由をどんな風に考えてるの?」
「それは……」
根津が俺を未来に送った意味。
それは一つしか考えられなかった。
「事件の当事者である俺を観察するためだ」
未来で根津が噂話を収集することはできるだろう。
だけど本当に事件が起きて、それが殺人事件だったとすれば、その関係者である俺や坂下と話ができるようになるまでは、時間がかかる。
また蚊帳の外である根津に、事件について話す義理もない。
根津は、そう考えたのだろう。
だが今回のような関わり方ならどうだろうか。
事件関係者にもっとも近い立ち位置で、詳細に状況を知ることができる。
俺の感情がどう変化するのかも観察できる。
それが根津の狙いだった、と考えるのがもっとも矛盾が少ない。
この推測に自信があったとは言えない。
だが根津は肯定するように微笑んだ。
「意外とあたしのこと、よく見てるんだね」
「当然だろ。俺たちは共犯者なんだから」
今回の騒動において、俺には三人の共犯者がいた。
坂下とは逃避行において。
高見とは月末の暴行事件において。
そして根津とはタイムマシンに関わる一連の出来事において。
それぞれが俺にとって重要な共犯者だが、その中でも根津はもっとも長く時間を共有した相手だ。
違和感に気づかないはずがない。
「実はずっと、ルールを違反することに興味があったの。ルールだから、校則だから、常識だから。そう言ってずっと規律を守ってきたけど、同じくらいそれを破ることにも惹かれてた」
その告白は意外ではあった。
根津は俺の知るかぎり規律に厳しい。
いじめを見て見ぬふり教室の中で唯一声をあげた人間だ。
だけど、人の性格なんて一面的には語れない。
それは、坂下との逃避行で学んだ。
俺だってそうなのだろう。
だから根津にも俺の見えていなかった面があったとしても不思議じゃない。
「誰が決めたのかもわかんないし、どういう経緯で決まったのかも知らない。決まった時代と今ではずいぶん時間が経っている。それをただ、ルールだからって理由だけで盲目的に守り続けることが正しいのか、ずっと不安だった」
その不安の中でも、ルールを守ることを根津は選び続けてきた。
だけどそのことは同時に、ルールを破ることに対する興味も育てたのだろう。
「今回の件で言えば、高見さんは殺されても文句は言えなかったと私は思う。それくらいひどいことを坂下さんにしてきた。平尾が知っている以上にひどいことをしてきたんだよ」
俺が関わったのはほんの一部だ。
坂下と高見の関係はもっと長かっただろうし、その解決に取り組んだ根津のほうがよく知っているだろう。
「たとえばさ、平尾はどうして人を殺してはいけないのかって理由を説明できる?」
「もちろんだ」
「へぇ、即答だね。じゃあ聞かせて」
「人間は、人間だから人を殺さないんだよ。大抵の生き物は生きるために殺し合いと、繁栄のために愛し合うことくらいはする。それ以外のことができるように進化したのが人間だって、そういう話を誰かがしてた」
「伝聞なの?」
「そりゃそうだろ。俺の頭で一から考えるには壮大過ぎる。実感としても、殺し合いはしたくない。俺にとって、人を殺しちゃいけない理由はそれだけで十分だ」
「でも相手が人間だからって話が通じるとは限らないよ」
「そのときはそのときだ。でも基本的には話が通じるって思ってもいいんじゃないか」
「意外とロマンチストなんだ」
「知らなかったか?」
「ううん、知ってた」
根津はすっと席を立ち、俺に背を向ける。
「前に平尾は言ってたよね、人間は正しいと思ったことしかしないって。あたしもそうだと思うよ」
たしかにそんなようなことを口にした記憶はある。
あれはたしか、月末にタイムスリップする直前だっただろうか。
「だからこそ、ルールを違反することを――殺人を正しいと判断した人の考えが知りたかったの。法律よりも、ルールよりも、自分の感覚のほうが正しいと信じられる気持ちが知りたかった。それには、事件の当事者から話が聞きたかったんだよね」
「俺の奮闘は、その参考になったか?」
「どうかな。まだよくわからない」
もしかしたら、と考える。
もしも俺がタイムスリップせず、あるいは高見が刺される事件に対してなんの小細工もしていなかったらどうなっていただろう。
きっと高見は死んでいたはずだ。
そのとき、深夜の学校に俺を呼び出し撲殺していたのは根津だったのかもしれない。
なんらかのきっかけで根津の中にある殺人への興味が爆発しても、その標的が俺になっていたとしても、おかしくはないだろう。
なんて、ただの空想だけど。
今ここにある現在が、俺にとって唯一の未来だ。
仮定を想像しても仕方ないだろう。
「騙して、ごめんね」
「いいさ。根津が頑張ったおかげで俺も高見も生きてる。色んなことがそれなりに丸く収まった。上出来だろ」
俺は根津を糾弾したかったわけではない。
ただ、きちんと明かしておいたほうがお互いに気分がいいと判断したまでだ。
「そうだ、一つ頼みたいことがあるんだ。高校に入学したら、このコンビニでバイトさせてくれないか」
高校生になればバイトができる。
なにをするにも、どこへ逃げるのにも、きっとお金があって困ることはない。
貯金の大半は今回の逃避行で使ってしまったわけだし、進学したらどこかで働こうとは思っていた。
このコンビニなら年中冷やし中華を買いながら働けるだろう。
「わかった、おじいちゃんに話しておく。でも面接はちゃんと受けてね」
「もちろん」
冬でも冷やし中華を置くようなセンスのある御仁なのだから、きっと俺の能力も見抜いてくれるのだろう。
多分大丈夫だ。
緊張はするだろうけど。
「あ、忘れるところだった。これ、平尾に渡そうと思ってたの」
そう言って根津が差し出したのは懐中電灯型のタイムマシンだった。
「約束してたでしょ? この問題を解決したら、タイムマシンをあげるって」
そういえばそんなこと言ってたな。
あのときは本物のタイムマシンの存在も信じていなかったし、時間旅行があんなことになるとも思っていなかった。
「正直、あんまり欲しくない」
今となってはタイムマシンに対して良い印象がまったくない状態だ。
ロマンも魅力も感じない。
「だとしても、約束は約束だから」
「相変わらず強情だなぁ」
「それに、あんなことはそうそう起きないと思うよ。普通に使えば、いい感じになるんじゃないかな。詳しくないけど」
「まぁ、そうかもな。じゃあ一応もらっておくよ」
懐中電灯をズボンのポケットになんとか押し込む。
パンパンになった。
歩く時に邪魔だ。
「ところで、そろそろ帰らなくてもいいの? もうずいぶん暗いけど」
「あ、やばい。急がないと」
根津の言うとおり、窓の外はもうずいぶん暗くなっていた。
降り積もる雪の量も、知らないうちに増えている。
これ以上帰宅が遅れて、親に心配をかけるわけにはいかない。
「じゃあまた学校で会おうぜ」
「うん、学校で」
そんな約束をして、コンビニを出る。
足元に積もった雪を踏んで溶かすと、いよいよ冬だという実感がわいてきた。
「平尾」
見送りに出てきてくれた根津の声に振り向く。
「人間が進化して殺し合うことはやめてもさ、愛し合うことはやめなくてもいいとあたしは思うよ」
それだけ、と言って根津は店内に戻っていった。
タイムマシンによって始まった騒動が、今日でようやく決着した。
少なくとも俺はそう感じている。
けれどこれからも続くことだってあるのだろう。
そして雪が降り止めば、次のなにかが始まる。
俺はどこで誰とどんな風に次の季節を迎えるのか。
少しは気になる。
だけどもう、懐中電灯で未来を覗き見たいとは思わない。
昨日が足りない ~なぜか同級生を殺したクラスメイトと逃亡しています~ 北斗七階 @sayonarabaibai
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