第18話 レッド・アイ

 彼女は涙を流さなかった。

 いや、ここに来るまでにすべての涙を流してしまい、流す涙をなくしてしまったのだろう。

 僕は知っている。

 彼女が愛してしまった男性には付き合っている女性がいた。


 彼女が愛してしまった男性と出会ったきっかけは、ちょっとしたパーティのゲームでペアを組んだ事だった。

 彼女は遊び半分、彼氏探し半分。


 男性はパーティを主催した友達から人数合わせのために参加するように頼まれてやって来た。

 そういう訳で、男性は『どうせ人数あわせの参加』だと、軽くジャケットを羽織るだけで参加した。しかし、パーティに参加している男女は、みなおしゃれな有名ブランドの服を着ていた。いかにもパーティ慣れしている事が一目瞭然だった。

 でも、男性にとっては関係ない事だった。自分の服装は気にしなかった。ただ、隅に座ってビールを飲んでいれば良い事だ。

 パーティが始まった頃は男女別々に座っていたが、時間も経てば席なんかなくなり、ちょっとしたグループやペアができてしまう。

 それでも、男性はそれでもフロアの隅のほうでビールを飲んでいた。

 ステージではいろいろな催しが行われているが、男性は他人事のようにただ見ているだけだった。

 ふと、司会者が番号を探している。今から始まるゲームの参加者のようだ。

まさかと思った男性は、入口でもらった番号札を取り出してみると、男性が手に持つ番号だった。そして、彼女も同じく呼ばれていた。

 男性は彼女とペアを組んだ。

 ゲームはどこでもやっているようなありきたりのゲーム。しかし、パーティ慣れしていない男性にとっては初めてのゲームだった。

 彼女の方はというと、今までに何度かパーティには参加した事があり、このゲームは以前一度やった事があった。

 男性は彼女に教わりながら頑張った。しかし、結果は2位。

 男性はゲームをやりに来たわけではない。あくまでも人数あわせだ。だから結果など、どうでも良かった。しかし、隣にいる彼女はどうだったのだろうか。男性は心の中で考え、彼女の様子を伺ったが、彼女は悔しい顔などせずにニコニコしていた。

 男性はその笑顔を見て、ほっとした。

 男性はゲームでせっかくペアを組んだのに、このまま分かれてしまうのも悪いし、空いている席に一緒に座る事にした。

 男性はビールを頼んだ。

 そして、彼女はトマトジュース頼んだ。

 二人は何を話してよいのかわからず、黙っていた。男性はやはりここは僕から話しかけようと考えていたが、何を話してよいのかわからない。

 テーブルにビールと赤いトマトジュースが運ばれてきた。

 「どちらから、いらっしゃたんですか」

 声をかけたのは女性だった。

 「市内の南区の方からですからです」

 男性は先に声をかけられて、そんな答えしかできなった。

 「私は西区の方からなんです」

 「一人暮らしですか」

 「ええ、短大が西区のほうで、就職してからも短大時代に住んでいたアパートに住み続けているんです」

 「へー。僕は地元が福岡だから、いまだに親元なんですけどね。何かスポーツをされていたんですか」

 「中学、高校は水泳をしていたんです。でも短大には水泳部がなくて、それで水泳をやめてしまったんです」

 それから、彼女は短大時代の話をした。

 授業の事、アルバイトの事、趣味、そして、短大時代にスペイン語を勉強して、卒業旅行にスペインに行った事。

 彼女はスペインのどこを回ったか、どんな食事を取ったか、日本との違い、面白いスペイン語を説明した。

 男性は彼女の話しを聞くのが楽しかった。

 彼女は話し上手で、声がとても優しかった。いや、それよりも彼女がスペイン旅行の話をする時の目がきらきら輝いて、男性は彼女のそばにいると心地よくなった。

 そんな話しをしているうちにパーティは終わりを迎えようとしていた。彼女とはゲームが終わってからずっと一緒だった。

 男性は聞いてはいけないと思ったが、彼女の『LINE』と『メールアドレス』を聞いてしまった。

 もちろん男性自身も教えた。

 そして、パーティは終った。

 「楽しかったわ」

 「ああ」

 彼女は一緒に来た女友達に呼ばれてテーブルを離れた。

 男性はこれで終わりと思った。これ以上の事はなくてよい。忘れてしまおう。

 しかし、彼女がスペイン旅行の話をする時の輝いた目は忘れる事はできなかった。

 男性はこのまま、どこか近くのバーで、独りで一杯引っ掛けて帰ろうと考えていた。


 ふと、見知らぬ男に肩をたたかれた。

 男性はびっくりして後ろを振り向くと、髪の長い男が笑顔でこちらを見ている。

 「さっき彼女とペアを組んいでたよね。彼女達のグループと飲みに行くんだ、一緒に行こうよ」

 肩をたたいた男が目を向ける方を見ると、さっきペアを組んだ彼女が友達と楽しそうに話をしている。

 男性は断る事ができなかった。いや、断る事はできたはずなのに、軽く笑顔を見せてついて行ってしまった。

 飲みに行くといっても、カラオケボックス。パーティよりたちが悪い。それは、男性はカラオケボッックスなんてめったに行かないからだ。

 男性の隣にはペアを組んだ彼女が座った。

 「歌わないんですか」

 「ああ。カラオケはあまり行かないんで。それに邦楽はあまり聴かないし」 

 「何を聞くんですか」

 「仕事柄、相手しているお客様が僕より年上の方が多いから、古い洋楽が多いのかな」

 「へぇー。どんなの」

 「そうだな、『イーグルスト』か『エリック・クラプトン』なんかね」

 「『エリック・クラプトン』は知っているわ。眼鏡をかけてギターを弾く人でしょう」

 「ああ、最近はそうだね。」

 彼女は男性が聞いていた音楽を知っていた事がうれしかったのか、目を大きくして輝かせた。男性は彼女がそんな目をするとは思わなかった。

 「ねぇ。歌えないの『エリック・クラプトン』」

 対面の男は彼女の声が聞こえたのか、『歌えよ』って顔をした。

 「じゃ。一曲だけだよ」

 男性は、『Blue Eyes Blue』を選んだ。

 曲の前奏で気が付く者もいたが、ほとんど者はそれが洋楽とは気がつかなかった。

いきなり、出た"I"(アイ)という英語の発音にみんなは男性の方を振り返った。

 男性は恥ずかしかった。知らない人の前では歌たった事がない。友達の家で、仲間達と飲んだ時に、ギターを抱えて歌う程度だった。

 男性は悲しいギターの音が流れる間奏のところで、隣に座る彼女を見た。男性は自分の心がまずいところに行っている事がわかった。

 男性はその一曲だけで、もう歌わなかった。その後は、みんなの歌にあわせて手拍子をし、隣の彼女と顔を見合わせて笑うだけだった。

 カラオケボックスから出ると、すでに翌日になっていた。

 同じ方向に帰る者で集まり、タクシーに乗り帰った。

 男性は彼女がタクシーに乗り込むと、笑顔で手をあげて別れを告げた。そして、男性もタクシーに乗った。

 男性の頭の中にはスペイン旅行の話をする時の彼女のきらきら輝く目が浮かんだ。

 『まずい』

 男性は彼女から『LINE』と『メールアドレス』を聞いた事を後悔した。

『聞かなければ良かった』

その電話番号を押しそうになる事がわかっていた。

 男性は仕事をしている時は、彼女のことを忘れた。

 スマホはロッカーの上着のポケットの中にある。

 ほんのわずかなタッチで彼女とつながり、彼女と連絡も取れるし、会う事だってできる。しかし、それはできなかった。

 男性はいけない事だと知っていた。

 それは遊びでは済まされなくなくなる事がわかっていた。もちろんほんのわずかなタッチで彼女の『LINE』と『メールアドレス』も消す事はできたのに。

 しかし、それもできなかった。


 そして、その時はやってきた。ポケットの中で震えるスマホ。

 男性が取り出したスマホを見ると、そこには彼女の名前をカモフラージュしたバー名前が出ている。

 『LINE』のメッセージだった。

 『今、お仕事中?』

 『いや、今からだね。俺の場合は今からなんだよ』

 『また、会うことできますか』

 そして、始まってしまった。

 男性と彼女は、約束した日に会った。男性は自分が彼女に惹かれている事はわかっている。そして、どうなるかもわかっているのに。

 最初は単なるデートだった。しかし、デートは繰り返され、取り返しの付かない状態にまで行きそうだった。

 しかし、次第に男性は彼女と会っても、どこか気持ちがはれなかった。それは彼女のせいではなく、自分自身のせいだと言うことはわかっていた。

 男性は付き合っている女性がいる事を、いつ彼女に打ち明けようか迷った。

 このままではみんな不幸になってしまう。みんなが涙を流してしまう。

 そして、昨日だ。男性のスマホに『LINE』でははなく、メールが入っていた。

 彼女からだ。

 「ごめんなさい。あなたに付き合っている女性がいる事はわかっていました。

 だけど、私はあなたに惹かれてしまいました。

 あなたはパーティで私の話を一生懸命聞いて喜んでくれました。あの頃、寂しかった私は、私の話を一生懸命聞いてくれる人なんて今までいなかった気がしていたのです。あなたが私の話を聞いている時のやさしい目が素敵で、ついたくさん話してしまいました。

 カラオケボックスに行って、あなたが歌ってくれた『エリック・クラプトン』も素敵でした。

 あなたのような素敵な男性ならきっと付き合っている女性はいるとは思っていたけれど、連絡をしてみるとあなたは会ってくれました。

 それから、会うたびにあなたの優しさに惹きこまれてしまいました。

 でも、あなたの顔が少しずつ戸惑っていきます。回数を重ねるたびに。

 だって付き合っている女性がいるのに、私と会っているのですもの。

 戸惑うあなたはつらそうで、それを見る私もつらくなってしまいました。

 がんばって、あなたを取ってしまおうかと思ったけど、みんな不幸になってしまうと思って・・・

 最後にもう一度だけ、あなたに会ってもいいですか。

 良かったら、勤めているバーの名前を返信してください」

 震える男性の指はバーの名前だけを入れて返信した。

 『BLUE VELVET』


 そして彼女は今夜、バーにやってきた。

 彼女は涙を流さなかった。

 いや、ここに来るまでにすべての涙を流してしまい、流す涙をなくしてしまったのだろう。


 「本当に来ちゃった」

 僕は何も言えなかった。彼女の顔を見る事なんか、とてもできなかった。

 僕から言い出さなければならない事をすべて彼女に先に言われてしまった。

 「あの。お酒はあまり飲めないんだけど、何か作ってくださる」

 「かしこまりました」

 「プッ!変なの。『かしこまりました』なんて」

 僕は彼女の顔を見なかったけど、彼女が手で口を押さえて苦笑しているのがわかった。

 なんとも言えない気持ちの僕は、何を作ろうか思い浮かばなかった。

 ふと、パーティの時に、彼女が手に赤いトマトジュースを持っていた事を思い出した。そして、その時僕はビールを持っていた。

 僕はタンブラーを用意し、ピルスナータイプのビールとトマトジュースを半分ずつ入れ、彼女の前にすっとそのカクテルを置いた。

 「なんていう名のカクテルなの」

 「『レッド・アイ』アルコール度数も2度から3度で低いから、お酒があまり飲めない君でも大丈夫だよ」

 「優しいのね。ほんとにバーの優しい人バー・テンダー(BarTender)なんだ。それで、カクテルはレッド・アイ。でも歌はBlue Eyes Blueなんだ。変なの」

 彼女は冗談を言って、僕の顔を覗き込むようにして笑顔を見せてくれた。

 僕はその時初めて、彼女の赤くなった目を見た。 


 第十八話 終わり


 レッド・アイ 完

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レッド・アイ Frank Bullitt @Bullitt

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