第3話 メルミナ

「もう、もう! なんで受け止めないのよ! 美少女が殴られて飛んできてるのよ!? 普通受け止めるでしょう!?」

「……うん?」


 真っ赤な髪の少女がコノエに叫ぶ。

 頬を膨らませて、少し涙目でコノエに駆け寄ってくる。


 それにコノエは困惑しつつ、首をひねる。

 そして、何と言えばいいか少し考えて。


「……いや」

「なに!?」

「……触られるのは嫌かと」

「……え? 頭から岩山に突っ込んでるときに触られて嫌とかある?」


 少女は一転して首を捻り、怪訝な顔をする。

 対するコノエも瞬きしつつ首を捻る。


 ……あれ、嫌じゃないんだろうか、と思う。

 だって、別に怪我する危険があったわけでも、命の危険があるわけでもなかった。それなのにわざわざ体に触れるようなことはしないほうがいいとコノエは思う。セクハラみたいだし。


 もちろん、コノエだって飛んでくるのが普通の人間なら当然受け止めた。

 死ぬかもしれないからだ。しかし、目の前の少女は決して普通の人間ではない訳で。超越者アデプトの一人な訳で。


「……もう! とにかく、受け止めるべきだったでしょ!? 私の可愛い顔に傷がついたらどうするの!」

「……」


 いや、君があの程度で怪我をするわけがないだろう。というかあれで怪我するなら教官に殴られた時点で死んでいるのでは? と思い──しかし、コノエは口を噤む。怒っている相手には無言で返すような人生を送ってきたからだ。


 もう、もう、とコノエの胸を両手で叩く赤髪の少女。

 手加減されているので痛くはないが、距離が近くて困る。逃げたくなる。目の前の少女は自分で言っているように顔が整っているのでなおさらだ。


 テルネリカとの一件が終わっても、コノエのコミュ障はそう簡単に改善しない。

 だからコノエはいつものように困って……そんなとき。


「メルミナ、コノエに絡んで逃げようとしてもダメだよ?」

「……うっ」


 教官の声。近づいてくる。

 それに赤髪の少女、メルミナはびくりと体を跳ねさせて――その声から逃げるようにコノエの陰に回る。


 ……あれ、なんで教官から隠れるんだろう? とコノエは思いつつ。


「……」


 ――メルミナ。コノエは彼女のことを知っていた。

 二十五年前、ほぼ同じ時期に学舎に入った同期だ。そのため、なんだかんだと共に訓練や魔物討伐をすることが多かった。とは言っても、十年前にコノエより早くアデプトになったので、それからは偶に彼女が学舎に来た時に会うくらいだったけれど。


 外見的には真っ赤な髪に褐色の肌の小柄な少女で、コノエより一回り小さい教官の、さらにもう二回りくらい小さい。たしかドワーフの血を継いでいると聞いた記憶があった。性格的には明るくて、笑顔をよく見る印象で――。


 ──なにより、コノエにとって印象的なのが、自分のことをいつも美少女とか可愛いとか言ってることだった。間違ってはいないとコノエも思いつつ、しかし記憶に残る同期だなと。

 まあ、アデプトなんて誰も彼も特徴的なものではあるけれど。あまり目立たないのは自分くらいだとコノエは思っている。


「コノエ、そこ退けてくれる? 今、私はメルミナの再教育中だから」

「……再教育?」


 穏やかでない単語に、コノエは首を傾げる。訓練生ではなく、アデプトのメルミナに?

 コノエが不思議に思っていると教官は、まあメルミナが君を巻き込んだ以上説明するけど、と呟いて。


「コノエも知ってる先日の大規模氾濫の件だよ。メルミナは瘴気核の破壊任務に就いてたんだけど、死にかけで帰ってきたの」

「……ぅ」

「それも瘴気核発見時の調査で災害級が五匹以上巣くってるのがわかってたのに、単独で迷宮に踏み込んだ結果。メルミナ、君、サポート向きだって自分でも分かってるよね? 時間がかかるとしても、応援を待つべきだったよ?」


 ……それは、また。どうしてそんなことを。

 背中をメルミナに押さえられているのでコノエが首だけで振り向くと、メルミナはバツが悪そうに明後日の方を向いている。


 大規模氾濫の瘴気核、と言えばコノエにも無関係じゃない。シルメニアでの最後の一日はまだ記憶に新しい。

 色々と思うところや感謝するべきところもあって……しかし随分無茶をしたなと思う。


「メルミナー? 何か言うことは?」

「ふ、ふん……お、応援なんて来たら、報奨金の額が減るじゃないですか」

「……また君はそんなことを言って」


 はぁ、と教官が溜息を吐く。

 コノエの背中でメルミナはビクリと肩を震わせて。


 ――報奨金。そういえば、メルミナは以前から金について色々言ってたなと思い出す。

 魔物討伐訓練で一緒になった時も、この魔物はあの素材が高く売れるとか、この部位が要らないからそこを狙って倒せといつも言っていた。


 言っていることは真っ当だったし、メルミナのおかげで金を稼げたのも事実なので、コノエとしては助かる話だったが……。


「……?」


 しかし、少し疑問に思う。以前の彼女は身の安全を無視してまで金のために行動したりはしてなかったような。

 何か事情でもあったんだろうか、それともこの十年で変わったのだろうか、とコノエはメルミナを見る。


 それに少女は小さく呻き、居心地が悪そうな顔をする。

 コノエの視線から逃げるように身を捩らせて、しばらく目を泳がせて……。


「…………ぅ…………むぅ」

「……?」


 ……でもそのうち、ふと、拗ねたような顔になる。

 頬を膨らませて、唇を尖らせて。顔も背けて、そっぽを向いた。


 そして、ちらりと目だけでコノエを見た後、腕を組んで――。


「──ふ、ふん! でも、無事だったんだからいいじゃないですか!」

「──うん?」

「そもそも、私もアデプトです! 己の行動を決める権利はあるはずですし、ちょ、ちょっとくらい無茶しても私の勝手のはずです!」


 そう、ヤケクソっぽくメルミナは叫ぶ。

 すると教官は少し目を細め――。


 ――コマ送りのように、世界が切り替わる感覚。


「……そうだね、それは正しい」

「……ぇ……ひっ」


 気が付くと、教官の姿が消えている。

 そして、背後から声と悲鳴が聞こえてくる。コノエが振り向くと教官はメルミナの背後に立ち、両手を肩に置いていた。


 ――コノエには動きが全く見えなかった。おそらく固有魔法。


「確かに、そうだ。アデプトには権利がある。それは間違いない。……なので、今回一番駄目なのは応援を待たなかったことではなく、災害級数匹ごときを相手に死にかけたこと。これは師として教え子がもっと強くなれるように鍛え直してあげないとね?」

「……ぁ、いや」


 ダラダラと汗を流し始めるメルミナの耳元で囁く教官。

 ニコニコと少し怖い感じで笑っている。

 

 ――アデプトを育てる学舎、その教官。

 我の強いアデプトや候補生たちは、己より弱い人間の言うことは聞かないという者もそれなりにいる。その中で教官と呼ばれる立場にあるということは、すなわちその教官こそが他の誰よりも強いと言うことを示していた。


「知っての通り、我らが生命神の加護の力の一つは、人の。才を越え、人を越え、生命の限界まで強化することを許してくれる力。でも君はまだまだ生命の限界それまでは遠い」

「いや、その……」


 あわあわとメルミナが狼狽えている。

 そして、救いを求めるようにコノエを見る。しかし、コノエに出来ることは何もない。


 というか聞いている限りメルミナに問題があるし、大人しく訓練を受けた方が良いとコノエは思う。

 アデプトは鍛えれば鍛えただけ強くなれるから損にはならないはずだ。それに教官の元で鍛えて貰ったら普通に鍛えるよりもずっと早く強くなれるし。まあ死ぬほど過酷ではあるけれど。二十五年頑張ったコノエの基礎能力が他の一般アデプトより高いのもそれが理由だった。


「……」

「――!?」


 なので、コノエは目を逸らし――メルミナは絶望したような顔をする。

 教官はそんなメルミナの服の襟を片手で掴み。


「──じゃあ、訓練の続きといこうか、っと!」

「え、あ、ひゃああぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 ――そしてそのまま振りかぶって、教官がメルミナを投げ飛ばす。赤髪の少女が凄まじい勢いで訓練場の奥へと遠ざかっていく。

 教官はそんなメルミナに、ほら距離をとって、一撃でも当てたら今回は勘弁してあげるよー、とそんな言葉を投げて。


「……まったく、あの子は」

「……」


 困った子だ、とまた溜息を吐く。

 まあ、アデプトなんて皆、大なり小なり問題児だけど、とも呟きつつ。


「で、それはそうと、コノエ。今日はどうしたのかな? 何か私に用? それともメルミナの方だった?」

「……いえ、教官に話がありまして」


 最初の要件を思い出し、コノエは教官に金策の話をする。

 金を稼ぎたいが、己の知識がいろいろ足りていない自覚があること。そして、知恵を貸してもらえないかと。そう簡潔に説明して。


「あぁ、知識不足か……確かにね。これは君にちゃんと教育できていなかった私達の落ち度だとも思うけれど」

「……」

「実は今、先日の君の件もあって、召喚した異世界人への教育の見直しをしようって話になってるんだよ。もしかしたら常識的なことがいくつも抜けてたんじゃないかって」


 一から全部確認している最中なんだ、と教官が言う。

 でもそれには時間もかかるから、君の申し出は正直ありがたいよ、とも。


「うーん、でも君向けの仕事か……それもすぐ稼げて、確実に金がもらえるやつとなると」

「……」

「……ああでも、ちょうどよかったかも!」


 ふと、教官が胸の前でポンと手を合わせる。

 そしてコノエに笑いかけて。


「コノエ、また明日学舎に来てくれる? それまでに話を通しておくから」

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