第2話 金
この世界──魔法があって神様が居るファンタジー世界と日本の違いは何かと問われれば、コノエは何もかもが違うと言うだろう。
まず周囲を見渡しただけで建物の構造が違うし、歩く人の服も違う。店に入って食事をすれば日本には無かった食材だらけで、コノエも最初のうちは慣れるのが大変だった。
昨今は転移者からの文化の流入もあって、探せば地球のモノも散見されるが、それだってまだ一部に過ぎない。広がりこそすれ根付いてはおらず、お客様のようなものだ。
地球ではない、異なる世界。魔法があり、エルフのような異種族がいる世界。
魔物がいて、ダンジョンがあって、邪神が地下に巣食っていて……人の命が地球と比べて遥かに安い世界。
──では、そんな世界において金とはなにか。
それは己を守るための道具であると、コノエは思う。
日本のように最低限度の生活が保障されていたりはしない。
日本のように大体どんな場所でも治安が良かったりはしない。
貧富の差は大きくて、その日を生きるだけでやっとの者も大勢いる。
理不尽に遭い、奪われ、命や尊厳を失う者も多くいる。
――そうだ。学舎にこもりっきりで世間知らずのコノエでも知っている。
この国の首都、神様のお膝元である都でさえ、スラムは存在する。
迷宮氾濫によって故郷を失った者。魔物によって、瘴気によって家族を失った者。
家を、財産を、全てを失って命からがら都に辿り着いた者達。そんな彼らの大半が行き着く先がスラムだった。
神様からの支援はあっても、それは全ての民を救えはしない。
食料にも物資にも限りがある。そして、たとえ食を、物を満たしても、それだけで人は生きる訳ではない。居住可能な場所が都市を覆う結界に縛られたこの世界では、スラムの民一人一人に住居を与えることは出来ない。
結果、小さな区画に莫大な人数が詰め込まれることになる。異常なまでの人口密度の中の生活は苦しく、人の心は荒んでいく。貧しさの末に、心は鈍っていく。治安は悪化し、人の命の価値はますます安くなる。
そんな場所から抜け出すために己の権利を売り払って奴隷になるものも多く、ある意味それこそが本当に最後のセーフティーネットになっている。だからこそ、神様も奴隷というものを禁止できずにいた。
……コノエが生きるこの世界は、そんな世界だった。
◆
「…………」
……やっぱり、テルネリカのためにも金は必要だよな、と。
学舎へと続く長い階段を上がりながらコノエはそう思う。
己の身は己で守らなければいけないのがこの世界だ。
そんな場所で普通に安全に暮らそうと思ったら、やはり金が要る。
家を買うのなら治安が良くて衛兵が巡回している一等地に買うべきだし、そういう場所は当然値段が高い。その上で、護身用の魔道具も買っておきたいし、家にも警備用のゴーレムや避難用のシェルターが欲しい。
テルネリカは元は貴族で鍛えているので、加護を失った今でも
(……安全のための金を惜しむようなことは、したくない)
そもそもが人間不信のため、コノエは決して人の悪意を侮るようなことをしない。たとえシルメニアで知った人々がどれだけ善き人々であっても、それはそれ、これはこれだ。
過ちは必ずあって、悪意は決して消えはしない。それが人間だとコノエは思う。
今泊まっている宿も高級宿で、防犯に気を使っている場所を選んでいる。……まあその分、宿泊費は高額で、毎日金貨が消えてはいるけれど。財布の中身は日々軽くなっているけれど。
「……」
――ということで、それらを解決する金策のため、本日のコノエは学舎へ向かっていた。
現状の生活を続けても十日やそこらで金が無くなることはないが、底は見えてきた。
テルネリカの身を守れる環境を作るためにも、コノエは学舎で誰かに相談してアドバイスを貰おうと思っている。
「……やはり、教官がいいだろうか」
──なお、コノエが仕事を自分一人で探さないのは、先日の一件で反省したからだった。
心臓とか売体とか。己の常識が色々足りていないことを自覚したから。
◆
階段を上り切ったコノエは学舎の入り口を潜る。
そして、受付に教官と話ができるか問いかけると、少しの待ち時間の後に地下の第一訓練場へ向かうように伝えられた。
(……地下第一訓練場か。誰かの訓練中だったか?)
邪魔をしたら申し訳ないなと思いながら、コノエは中央の階段を今度は下っていく。
学舎の真ん中にあるその階段は長く、広く、その両側に数多くの通路と扉が並んでいる。
アデプトの育成のために作られた学舎は、内部で生活が完結するように一つの街のようになっている。そのため施設は地上にある物だけでなく、地下深くにこそ大きく広がっていた。
そして、そんな学舎の中でも、最下層にあるのが第一訓練場だ。
都の中心近くにある丘の地下深くをくりぬいて作られたそれは、アデプトの戦いにも耐えられるように作られた特別製で、空間魔法で数十キロ四方にまで拡張されている。コノエも数年前からは外部に遠征に出るとき以外はそこで訓練を積んでいた。
(……この気配は、教官と──)
歩くうちに地下からの魔力を感じて訓練しているのが誰なのかを悟りつつ、コノエは全身の強化を高めていく。巻き込まれ防止のためだ。
ここ数年では一番長い時間を過ごした場所だ。
そこのルールはよく知っている。全て自己責任。痛い目を見たくなければ、自分の身は自分で守る必要があった。
アデプトになってまだ一月とはいえ、その物騒さが少し懐かしいなとコノエは思いながら、コノエは階段を下り切る。
そして、扉を潜って──。
「──」
──ズドン、という轟音が周囲に響く。
次いで、空が神威によって焼ける微かな音。
コノエは魔力で強化された耳でそれを聞く。
そして見る。岩山が乱立する訓練場を飛ぶ無数の影。小さな円の大群。
覚えのある形──レンズだ。縁が赤く染まったレンズ。コノエはこの神威武装の
「……はぁっ、はぁっ」
訓練場の中へ歩を進めていく。すると一人の少女の姿が現れる。
走る赤色。小さな体に、真っ赤な長い髪。
赤髪の少女が、レンズ達を率いながら走っている。一心不乱に。何かから逃げるように。
「──廻れ!」
そして、少女が叫ぶ。同時に空域を支配するように飛び交う数千のレンズが幾何学模様を空に描く。
円を描くように、角を切り抜くように、空を切り裂くように。次の瞬間、その全てのレンズが一瞬赤く輝き──。
「──ぁぁあッ!」
──裂帛の声。赤光が訓練場を染め上げる。
レンズから放たれたレーザー状の神威が全方位から地上へと降り注ぐ。コノエはその光線を身に受けたことがある。あれらは一つ一つが高位の魔物を容易く滅ぼせるだけの力を持っている
そしてそんな光線が狙う中心にいるのは──。
「──うーん、ちょっと甘いかなぁ?」
銀色の女性。教官だった。教官はふわふわとした銀色の髪を少し揺らしながら赤い光線の海をまるで散歩でもするように歩いてくる。
その神威武装は両腕両足を覆う鎧型。銀色の手甲で撫でるように光線を弾きながら、するりするりと搔い潜り少女の後を追いかけてくる。
そんな教官に顔を歪め、また走り出す少女と、滑るように歩く教官。それは何故か物理法則を無視するように距離を瞬く間に縮め──。
「──もう少し火力に濃淡を付けるべきじゃないかな? 全部同じだと緊張感がなくなるよー?」
「──っぎ!」
──ズドン、と音がする。最初と同じ音だ。
人が殴られる音。それと同時に少女がコノエのいる方角へと吹き飛ばされる。
「……」
赤い髪の少女が飛んでくる。それを見る。
コノエの近くを通る軌道を描きながら、頭から突っ込んでくる。
それにコノエは。
「──」
──特に何もせずに見送る。
少女はそのままコノエの横を勢いよく通過する。地面を何度かバウンドしていく。
そして最終的に岩山に頭から突き刺さってその動きを止めた。
「……」
「……」
沈黙。それまでの派手な音が途切れた静かな時間があった。
教官もコノエも少女も誰も動かない時間があって……。
「…………………………………………」
……数秒後、岩に頭が埋まった少女の手が動き出す。
そして岩山に手を当てて。
「……」
ボコリ、と岩山から頭を抜く。
そして、ゆっくりとコノエの方へと振り返り──
「──受け止めなさいよっ!!」
──手の中の岩山の破片を地面に叩きつけながら、そう叫んだ。
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