25話 亀島、上陸
「タルタロスーッ!」
岬の先端から名を呼ぶと、しばらくしてザバァと海面が盛り上がり、巨大な亀が顔を見せた。
「お、元気になったみたいだな!」
「ッキュ」
「そっかあ。良かった! ほら、グリモア連れてきたぞ~」
「キュウウ」
「うん。俺はもう大丈夫だ。心配してくれてありがとな」
タルタロスとの挨拶を済ませて背後を振り返ると、
「え? どした?」
「いやその、普通に会話しているなと……」
「すごいですぅ~」
「え。そうかな」
あんまり何も考えてないだけ、とも言う。
「ごほん。ふたりとも見送り、ありがとな」
「いえ」
「無事のお戻りを!」
「うん。失敗したら、ごめんな」
ライナルトが、見たこともない険しい顔で言った。
「シンのせいではない。また一緒に別の方法を探すだけだ」
エミーも、体の前で両拳を作って熱弁する。
「そうです! ずっと祈ってます! 応援していますからねっ!」
「はは!」
仲間って良いものだなと素直に思えたのは、ふたりが『御子だから』ではなく『俺だから』と言ってくれるからだ。
「ソルの餌やり、頼むよ」
「任された」
ライナルトには、大量の魔獣肉入りジップバックを渡してある。
グリモアが戻らなければ、どう扱えば良いかもわからないだろうから、もしどこかへ行きたがったら止めないで、とお願いもしてある。
デスホースの存在は人々にとって脅威だからだ。捕らえて悪用しようとする者も出てくるだろう。
「よし。じゃ、行こうかグリモア、タルタロス」
「ああ」
「キュッ」
タルタロスの首を伝って、甲羅の上に乗せてもらう。
木の枝を掴み、甲羅の溝に足を引っかけながら、傾斜のキツイ山肌を登る要領で行くと、グリモアに感心された。
「慣れてるな」
「へへ」
つくづく、トレッキングブーツがあってよかったと思う。今は念のため、ポケットがたくさんの防水カーゴパンツ(尻尾穴は、砦にいる雑用係の人が
調味料や道具、着替えやテントもそうだけれど、キャンプの前日に召喚されたのは、運命かもしれないと思っている。
「いってくるー!」
甲羅の上から、岬のふたりに手を振る。
ライナルトは騎士礼を、エミーは祈りの姿勢をしてくれた。
ふたりに見送られるのは、二度目だ。
グリモアを迎えに行った後は、半死半生でぐったりした俺を抱えたグリモアが、物見の檻から連れ出したと聞いていた。つまり、ただいまを言えていなかった。
「次こそ、ただいまって言いたいな」
ぼそりと呟いたら、グリモアに不思議そうな顔をされた。
「言えた時に、教えるよ」
「……そうか」
海風が、真っ暗な空を駆け抜けていく。
ビョオオオオ。
ザバーン。
タルタロスが、迷いなく向かう先に見えるのは、亀の甲羅のような形状をした『
海岸から見ると近そうに見えて、遠い。
船ではたどり着けない海流の中にあって、地元の漁師でも遠くから拝むだけなのだと聞いた。
人が入れない自然の中だからこそ、神様が引きこもるには最適な場所だったのかな、と勝手に想像する。
ザバババババ。
順調に進んでいくタルタロスの上で、俺はだんだん腹が立ってくる。
「人の命を犠牲にしようとしてまで、何考えてるんだろうな」
「わからん」
「俺を異世界から召喚させるし、グリモアは呼びつけるし」
「うむ」
「引きこもったの自分のくせに、勝手すぎるだろ!」
「その通りだ」
グリモアに、わしわしと後ろから頭を撫でられる。
「でもわたしは、嬉しい」
「え」
「シンに会えた」
心臓が、ドギュンて跳ねた。
俺に会えて嬉しいとか、人生で初めて言われた。どう反応したら良いのか、分からない。
「お、おう」
「すまない」
「う、うん」
「シン? どうした。具合悪いか」
「え!? 平気!」
「回復魔法をされたとはいえ、本当の回復ではない。無理はするな」
グリモアはそう言うと、後ろからぎゅうっと抱きしめてくる。
死神のスパダリムーブは、まじで心臓に悪い。そしてそういうのは可愛いヒロインにやってあげて欲しい。
正直言って、フツメンのくせに狐耳と尻尾がある男は、かなり痛い存在だ。
「ええと、うん」
「騙したら、命を取れと言っただろう」
「んあ!? あー、そだな! 最初そう約束したな!」
「理由を、聞かせろ。無理しないと言ったのに無理をした」
「……そりゃあ、グリモアを助けたかったからなあ」
びし、と死神の腕にますます力が入る。
「命、取れない。ずるいぞシン」
「えぇ……」
すると、いつのまにか島の断崖絶壁に寄り添うように、タルタロスが止まっていた。
この距離なら飛び移れるかなと下を見たら――やはり無理だった。
「ええとほら、着いたみたいぞ。ひえええ高いぃ怖いぃ」
「ふん」
ぼん! とグリモアがあっという間にグリスラになって、俺の首根っこを噛んだ。
それからパタパタと翼をはためかせると、空を飛べた。
「うわ~そうだね、らくちんだあ」
とん、と島の土に両足が着くと、再びグリモアへ戻る。
きょろきょろと周りを見回すが、不思議な果物がなっている木や、背の低いツツジのような木などがある他は、特に何もなさそうだ。
「どこ行けばいいのかな。建物とか見えないなあ」
「ふむ。結界だな。わたしの闇の城と似たようなものだ」
「えぇ」
開錠の魔法がないと、永遠に道に迷うのを思い出した。ライナルトは二日ぐらい
とことん引きこもっているということか。
太陽神のくせに、根暗なのか?
「ってことは、入れない?」
「呼びつけたくせに、入れないだと?」
質問に質問を返すのはよくないぞ……とは言えなくなった。
「ふざけるなよ、リルラ」
グリモアが、めちゃくちゃ怒り出したからだ。
赤い目からは真っ赤な光が漏れ出しているし、ギザギザの歯をむき出しにしているし、なにより体の周りをどす黒いオーラが覆っている。
「げげ」
終末、来たれり! って思わず心の中で叫んだのは許していただきたい。
「さっさと結界を解け。でないと、島ごと滅ぼすぞ」
「ちょ、グリモア!?」
「三十数える」
「ひええええ滅亡カウントダウン! おい、リルラ! さっさとしろ! 島どころか世界滅ぶぞ!?」
ザパーン、と遠くでひと際大きな波音が立ったかと思うと、のほほんとした声が島のどこかから鳴り響いてきた。
『んも~すぐキレるんだからぁ~。わかったよぉ~』
ぱん! と乾いた音の後、いきなり視界が切り替わった。
「えっ!?」
動揺する俺が慌てて周囲に目を向けると、ドーム型の青空の下、むせかえる花の香りが漂っていた。白い小さな神殿のような建物がある。
それから――輝きに身を包んだ人影が現れた。
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