23話 死神の涙
真っ暗な闇の中、ゆらりゆらりと漂っている。
体に、力が入らない。
右の人差し指の先から、白いもやのような何かが、ダラダラと漏れ出している。
(死ぬのって、一瞬じゃないのか)
ゆっくりと、漂っている。
暗闇のどろりとした水の中を、
場所も分からず、抵抗する力もない俺は、ただただ流される。
流されながら、自分の記憶を振り返る。
(たった数日間が、二十五年を、上回っちゃったなあ)
ひとり暮らしでキャンプを趣味にした、ただの高卒の男。身寄りがないどころか、存在感もない。容姿も普通で、優れたものは何もなく、体が丈夫なだけの、普通の人間。
それが異世界に来て、追放されて、死神と出会う。
アニメなら、ドラマチックに成り上がったり、可愛い子たちとイチャイチャしたりするんだろうけど……そんなのごく普通の人間からしたら、カロリー高すぎる。
たまに夜勤に日雇いバイトで来るおじさんが、オフィスから退勤していくOLさんたちを、勝手に可愛い系・美人系、体だけならOK系ってカテゴライズして見ていた。そういうの、俺ドン引きしてた方だった。
それに、空手をやってた人間が言うのもなんだけど、強くなるために戦って殺すなんて……相手が魔獣でさえ、実際できない。
誰かを助けるためならまあ、なんとか?
ヒーローとかじゃなくて。関わった人が困ってたら、手を伸ばす。ごくごく普通の感覚でね。
『だから、良いんだよ』
唐突に、誰かの声がした。
「え?」
『優しさはね、それだけで何物にも
「だれだ!?」
『勝手にこっちの世界に連れて来たの、怒らないでよね』
「リルラだな? ……怒ってねーよ」
『ほら、優しい』
クスクスと、どこか遠い場所で明るく笑っている。
「優しくねーよ。しょうがねえなって諦めてるだけで」
『大きな心だよ』
「どうせ俺、取り柄とかないし」
『あの頭の固い聖騎士も、頑固な王様も、シンのこと好きだよ』
「えぇ? ……いやまあそれは、耳とか尻尾のお陰でさあ……」
だんだん、居心地が悪くなってきた。
『褒められるのも、愛されるのも、慣れてない。そんなシンが、良いんだ』
肯定されるのも、慣れてない。
『グリモアを、頼むよ。じゃないとボクほら、顔出すキッカケがさぁ、なくてさぁ。このままだとこの世界、結構ヤバいわけ』
「かっる! 世界滅亡するかもってのに、軽いっ!」
ツッコミ入れたら、一気に体にも力が入った。
指先の白いモヤが、気付けば白くて細い線になり、どこかへと繋がっている。
じわ、と鎖骨のあたりが熱くなった。
「あっつ……」
目の前に、光る黒い石がゆらりと持ち上がったのが見えた。
グリモアから預かったネックレスだ。
何度も明滅を繰り返すそれは、俺を呼んでいるかのようだ。
「……グリモア……?」
『ハハッ。良かった……気持ちがあちらと繋がった。戻らなくちゃ。でしょ?』
「太陽神のくせに、性格悪っ」
『てへっ』
てへじゃねえ!
「会ったら、殴るからな。待っとけよ!」
『えぇ〜やだァ』
クスクス、クスクス。
――待ってるよぉ〜
◇
「シン……シン……」
目の前に、赤く光る目が二つ。
「ん……おはよ」
「……シン」
「うん」
「シン……」
「なん、だよ」
「すまない……命を、取ってしまった……」
どこかの室内。岩をくり抜いたような天井が目に入る。多分砦の中のどこかだな、と見当がつく。
寝転がっている俺は、グリモアの膝に頭を乗せている状態のようだ。感触からいって、ソファだろうか。
「だってグリモア、死神じゃん?」
「っ……」
「それが仕事ってか、決まりなんだろ? 分かってて会いに行ったよ、俺」
起き上がろうとしたけれど、まだ無理だった。
気持ちは繋がったけど、体の方はまだちゃんと繋がってないような感覚だ。太陽神、適当だな? とそちらの方がイラッとする。
「目が覚めたなら、もう大丈夫だ……良かった」
「うん。リルラがさ、会いに来いって」
「ああ……身代わり人形を使ってシンの命を戻したのは、貸しにしておくと言われた」
(あんにゃろう。やっぱ殴る。)
「シンが、それを持ってくれていたから……わたしは、戻ることができた」
赤い目が、俺の鎖骨のあたりを見ている。ネックレスのことだとすぐに分かった。
「そっかあ。良かったなあ」
グリモアが、なんとも言えない顔をしている。
「どした?」
「わたしは、数え切れない命を取ってきた」
「うん」
「なんとも、思わなかった」
「うん」
「でも、シンのは、嫌だった。取ってしまった。もう会えなくなる、と。胸が苦しくなったのだ」
俺は、思わず息を止めた。
「……これは、なんだ?」
グリモアは、静かな目で俺の答えを待っている。
淡々とした表情に見えるが、耳の先がピクピク動いている。
「きっと……悲しい、かな」
「かなしい」
ぱちぱちと、赤い目が瞬いた。
「俺と会えなくなると、悲しいのか。グリモア」
「これが、悲しい……ああ。嫌だった」
「料理、もっと食べたいって言ってたもんな」
「あれは、美味しい」
「俺の耳、触るのは」
「楽しい」
「んじゃ、今俺が生きているのは?」
「……分からない。また胸が苦しい。けれど、悲しいとは違う」
なんか、照れるな。
でも、ちゃんと教えてやろう。
「きっとそれは、嬉しい、だ」
「うれしい……嬉しい、シン」
「はは。俺もまたグリモアと話せて、嬉しいよ」
まだ体を動かせない代わりに、俺は必死で口角を上げた。
「ありがとな」
「な、ぜ、礼を言う」
「なんでだろう? グリモアが、俺を心配してくれたからかな」
「しんぱい」
またグリモアの動きが止まった。
俺は辛抱強く、次の言葉を待つ。
「そうか、心配……感情とは、豊かで忙しいものなのだな」
それから、俺の頬にぽたりと雫が落ちてきた。
「なんだ、目から、水、が」
黒い眼球で赤い目から流れ出る涙は、透明だ。
「シン……これは」
「うん。涙だ」
「っ……」
腕が持ち上げられたら、拭いてやれるのに。
――死神の涙は、温かかった。
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