22話 御子の決意
タルタロスが心を取り戻したのを確認した国王によって、俺たちはグリモアの解放条件をクリアしたと見なされた。
早速やってきた物見台の前で、俺は背後のふたりを振り返る。
「俺だけでいい」
手の中には、獣の魂をこめた身代わり人形。人の形の布にワラを詰めた、手のひらサイズのそれは、顔に不思議な模様が描かれている。
「シンッ」
「ご無事を……」
ライナルトとエミーが本心では止めたがっているのは、知っている。命を取り損なった死神がどんな状況か、誰も知らないし、とてつもなく危険な存在なのは間違いないからだ。
「尻尾触らせる約束だったよな。戻ってくるよ、エミー」
「約束ですっ」
「うん」
ライナルトの眉間のシワが深い。
体の脇でぶるぶる震えるくらい握りこんだ彼の拳を、そっと上から握って持ち上げる。男の握手だ。
「耳、好きなだけ触らせる約束も、忘れてねぇよ」
「シン……っ」
「じゃ、あとでな!」
国王のアンセルミは、危険だからということでこの場にはいない。
代わりに騎士がひとり、手の中に鉄の鍵を握って立っている。
「あんたも、ここまでで良いよ。それで鍵開ければ良いんだろ?」
「し、しかし」
「こんなことに命賭けるなって。な?」
「っっ」
回すと、がっちん、と
「よいしょっと」
体当たりするようにして、扉を押す。
人ひとり分の隙間からは、かび臭い空気が漏れ出る。扉伝いに滑り込むように、中へと入った。
◇
ガシャン。
背中で押すように扉を閉めた後、俺はLEDランタンのスイッチを入れて目の前に掲げる。
真っ暗だろうと念のため持ってきたが、正解だった。
照らされた物見台の中は、捕らえた人間を入れておく檻になっているらしく、窓がなく石壁しか見えない。その壁に、ぽつぽつとロウソクの乗った
奥へ進むと、やがて鉄格子が見えてきた。
しんとして、物音ひとつしない。
「グリモア……?」
気配が、ない。
「グリモア!」
呼ぶ。
「グリモア! そこに、いるんだろ!」
国王の話では、鉄の檻の中に魔法陣を描いて拘束しているということだった。
「グリモア!」
『……ウ』
うぞうぞ、うぞうぞ。
ランタンの光が届かない床を、黒い粘性の何かが這っているように見えた。すかさず光を向けると、ゾワゾワと立ち上がっていく、真っ黒なスライムのような物体がある。
「グリモアか!」
『……』
やがてネバネバの中に、赤く光る一つ目が現れ、何度か瞬いた。
人の形を成していない。
「助けに来たっ」
『……』
「ほら、これ! 命、取らないとなんだろ!?」
バッと身代わり人形を見せると、黒いネバネバの中から今度は大きな口だけが現れた。ギザギザの歯がランタンの光をはね返すように妖しく輝く。
『……くく、クククク』
「グリモア?」
『ニセモノなど、無意味』
「っ」
『うまそうな命ダ』
びよん! と細いネバネバが鉄格子越しに襲ってきた。
「っぶね!」
反射的に後ろへ飛び退くが、まるで透明の壁に阻まれているかのように、一定の場所からここまでは届かない。恐らく、結界が効いているのだろうと推測した。
『うまそう、ウマソウ、寄越せ、ヨコセ』
何重にもエコーしたような声が鳴り響く。
ぱちぱち瞬く、赤い目。
ガバァと開く、ギザギザの歯の光る大きな口。
結界のお陰で、距離を取りさえすれば粘りの手は宙で止まり、こちらへ届くことはない。だが、恐ろしい。ただひたすらに恐ろしい、命を求め彷徨う黒い粘性の、死神――
「グリモア……ごめんな」
俺の頭の上で、楽しいと笑った声と、今とは全然違う。
スープを飲んでびっくりした顔。ニンジンを食べた嫌そうな顔。肉をうまいと頬張る顔。短い間に見つけた死神の意外な表情は、俺の思い出として脳裏に焼き付いている。
『いのち、イノチ、うまい、ウマイ、欲しい、ホシイ』
「一緒に太陽神に会いに行こうって言ったよな……」
太陽のない世界は、真っ暗だ。
徐々に食べ物を失い、理性を失い、後に残る終末はきっと、悲惨なものになるだろう。
エミーに怒りと恨みをぶつける村人たち。
他人を排除せざるを得ない、町の人々。
砦の騎士たちも、不安を抱える漁師たちのために巡回するものの、国が滅ぶのではないかという恐れとも戦っている。
「なあグリモア。俺、ほんとに太陽の御子だったらしいよ」
『御子、ミコ。うまい、ウマソウ』
「うん。多分俺、そのためにこの世界に来たんだ……」
死ぬのは、とてつもなく怖い。
でも、あの時の魔獣たちのように、一瞬で命を取られるならきっと、苦しくない。
「捨て子の俺が、世界の役に立って死ぬんなら、すげぇよな!」
どうせ俺には、
これこそが、俺の役目なんだと、なぜだか
ただのガードマンで孤児だった俺が、王女と聖騎士団長(元だけど)と仲間みたいに旅をして、国王と対等に会話しちゃったよ。
御子様と呼ばれるのは恥ずかしかったけど、大切に扱われるのは悪くなかった。俺、普通の人間なんだけどなって罪悪感みたいな気持ちは、常にあったけど。
「俺の命でグリモアが元に戻って、太陽神に会って、世界が元に戻るなら。十分、お釣りがくる。みんなとの約束破っちゃうのは、ごめんて感じだけどさ」
ぱん、と自分で自分の両頬をたたく。
「グリモア。タルタロスが、太陽神に会わせてくれるからな! もうめんどいとか言うなよ!」
鉄格子の間から、俺は手を差し入れた。
そうして、一瞬で意識を失った――
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