16話 妖狐、駆けて


 ――ザバアアアアッ

 

「ッキュウウウウウウウウウウウウウウ」

 

 

 その鳴き声は、岬中にとどろいた。

 

「なんだあっ!?」

「っく、調査どころではない! 戦闘態勢っ!」


 ライナルトが、騎士団長らしく怒号を発しながら抜剣すると、背後の騎士たちも慌ててそれにならった。

 

「加護をっ!」


 エミーも、攻撃力と防御力を上げる魔法を唱える。

 王女なのに、ずいぶん戦闘に慣れた、と妙なところに感心してしまう俺の脳内は、どこか麻痺していた。


「亀、かよぉ」


 眼前に、凶暴な牙を見せつけるように大口を開けた、巨大な亀が現れたからだ。


 苔や木が生えている甲羅は、その外観も大きさも島か? と見紛みまがうほど。

 鋭い黄金の目がぎょろりと俺を見下ろすと、背中に電撃が走ったようになり動けなくなった。

 

「!?」


 手足が痺れている。指先すら動かせない。

 

「しまった! 『威嚇いかく』だっ! 全員、さがれえええええええっ」


 ライナルトの怒号が、遠くに聞こえる。


「シンッ!」


 杖を掲げて、エミーが必死に魔法を唱えているが、俺の耳には届かない。まるで透明な膜のようなものに、包まれているようだ。


「? おまえ……なんて、なまえ? おれは、シン」

『タル……タロス』

「たるたろす?」

『……シン……グリモアの匂い、する』

「! 知り合いか!?」

 

 タルタロスは一瞬表情をゆるめたものの、また苦しそうに鳴く。


「ッキュウウウウウウウウウウウウウウ」

「どした!?」

 

 それから頭を左右に振ると、暴れ始めた。


「タルタロスッ!」


 呼びかけても、もう返事はもらえない。


「くそっ」

 

 凶暴になった、というよりは、苦悶くもんの表情だと俺の直感が告げている。


 ところが、背後にいるライナルトとエミーは完全に攻撃態勢だ。


「わたくしの魔法は、水には弱いですっ」

「ならば、物理攻撃主体で行こう」

「はいっ! 我が太陽の神よ……騎士の剣を光らせ……大いなる力を……!」

 

 横目で見るライナルトの剣が、真っ白な光に包まれ輝いている。


「聖魔導士ってすげえな……ってちょっとまっ」



 ――ザバーン!



「シンッ!」

「きゃあっ!」


 戦いを止める前に、高波にさらわれてしまった。


「ぐがぼぼぼぼ」

 

 パーカーとデニムで荒れている海に落ちてみて。すごく重いから。


「うぐん」

 

 せめて体内の空気を漏らさないようにしないと! と慌てて口を閉じる。

 目を開けようと努力する。海水は目に痛くてたまらないけれど、必死で目を凝らす。太陽のない海は真っ暗闇と同じで、上も下も分からない。強い水の力に引っ張られて、自分がどこへ連れていかれるのかも、コントロールできない。

 

(やばい、このままだと、溺れ死ぬ!)


 パニックになって懸命にもがいても、良くない。ええと着衣水泳訓練ではどうしていた? と必死に思い出す。

 波の力に逆らわないように、とりあえず流れのゆるやかな場所になったら、力を抜いて浮き上がることを意識してみる。それでも引きずり込まれたらあきらめるしかないが、幸い少し浮く感覚があった。それから、目の前に何かがあることに気づいた。

 

 泳いで、近づいてみる。全体が見えないぐらいに大きくて、ごつごつした岩肌のような手触りだ。端はどこだ? と片手で触りながら一方向へ泳いでみると――やがてグニグニと左右に動く長い何かが目に入った。

 

 (なんだ?)


 息が苦しくなってくる中、必死で耳を澄ます。

 がぼんごぼん、と動くたびに泡が出ている。

 規則性があるようでいて、ない。

 岩にくっついている方はものすごく太くて、離れるにつれて細くなっていっている。先は暗くて見えないが、水をかいているように見える。


 そしてその途中の部分が、キラリキラリと光っていた。


(……! もしかしてこれ、尻尾か!?)


 タルタロスの尻尾ではないかと思い当たり、必死でそれを目標に泳いでいく。

 幸い海面近くを泳いでいたようで、暗い中でも明るい方へと向かうことができた。


「ぶはっ!」


 荒れる波間。ようやく顔を海面から出すことに成功した俺は、空気をめいいっぱい吸い込む。

 キョロキョロと左右を見渡すと、小島のような大きさのタルタロスの甲羅が見えた。やはり、尻尾だった。


「あの、光ってたのはなんだ!?」


 気になるが、パーカーでもう一度潜るのは危険だ。

 立ち泳ぎをしながらなんとか脱いで、背中に斜めに巻き付け、袖で縛る。それでも、脚にデニムが張り付いて、動きづらい。体力を消耗していて、とてもまた調べに行く余裕はない。

 

「なにか、方法はないか……早くしないと……すっげえ嫌な予感がする」

 

 焦りながら、ひとりごとを吐き出す。


「俺が本当に妖狐ようこの血を引いてるならっ! なにか、ないのかよっ!? なにか、能力っ」


 顔面を波に洗われながら、俺は必死に考える。よくあるのは人に化ける。たぶらかす。精気を吸う――


「精気を、吸う!」


 目の前に、とてつもない魔獣がいるなら、それから魔力を吸ったりはできないのだろうか。


「タルタロス! 少しでもいい、力を、分けてくれ!」

 

 波に飲まれかけながら近づき、甲羅に触れてみる。指先がぞわり、と嫌な感じがした。

 寒気が体全体を駆け抜けていく。

 

「ッキュウウウウウウウウウウウウウウ」


 頭を持ち上げ、より一層甲高く鳴いたタルタロスは、甲羅を海面から出したまま岬の先端に留まっている。

 その行動で、俺たちに何かを訴えたいのではないかと確信した。

 

 自分の体が薄く青い光に包まれていくと同時に、力が満ち溢れていくのを確かめた俺は、また潜る決意をし、大きく息を吸い込む。


「っ、ありがとう!」

 

 大木よりも太い尾が、水の中で左右に動いているのを見ながら、泳ぐ。

 はじめは、下手に近づけばまた引きずりこまれて沈んでしまうと警戒したが、身を包んでいる光が尋常でない力をもたらしてくれていた。


「あの光っているやつ!」


 暗い海の中、黒い光が明滅している場所へと近づいていく。

 不思議と息は苦しくないし、体力が減っていくのも感じない。


「なんだ、これ!」


 やがて、巨大なナイフのようなものが、突き刺さっているのが見えた。黒い刃の一部が尾から出ていて、それが妖しく光っている。

 引き抜こうと思っても、つかの部分がない。刺した後、外したのか、外れたのか。


「柄は、どこだっ」


 そうこうしているうちに、上から戦闘音が聞こえてきた。

 岬の先端に留まっているタルタロスに、騎士たちの剣が届いたのかもしれない。

 

「やべえ、まず止めないとっ」


 俺にはなぜか確信があった。

 このナイフが、タルタロスを狂気におとしいれているに違いない。こいつは守護獣だったと言っていたし、何より名乗ったんだ!


 水の中でゆったりと動く尾の上に乗り、走る。

 海面から出る。

 甲羅に手をかけ、苔で滑るのもいとわず、登る。生えている草花を掴みながら登って、ごつごつした甲羅の隙間や木の枝に足をかけ、また登っていく。


「ライナルトオオオオオオッ!」


 甲羅の上、ブーツの底を滑らせながら俺は懸命に走る。走りながら、叫ぶ。

 

「シン! 無事だったかっ!!」

「攻撃を、やめろおおおおおおおおおおおおおお」

「なっ!?」


 俺は肺いっぱいに空気を吸い込んで、怒鳴った。


「こいつは! 呪われてるだけだああああああああああああっ!!!!!!!!」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る