10話 元聖騎士団長は、サイコパス


 村の入り口に着いた頃、ライナルトが必死で剣をふるいながら村の住民たちに退避を促していた。

 その後方で、エミーは杖を持ったままガタガタ震えている。

 

 耳と尻尾をグリモアの魔法で隠してもらった俺は、素人なりに遠くから状況を見て、魔獣をこちらに引き寄せるぐらいならできるか、と懸命に覚悟を決める。

 

 知っているよりも二回り以上大きな犬や狼、イノシシが、鋭い牙や爪でもって目の前で人間を襲う光景は――グラフィック画面なら平気だが、生身で見るととにかく凄惨せいさんで直視できない。悲鳴や怒号をはじめとしたさまざまな音はもちろん、風に乗ってくる鉄臭い血の匂いも焼け焦げた匂いも、そして亡骸なきがらの残酷さも、ゲームじゃ体感できないものだ。

 

 怖い。足も手も震える。馬から飛び降りたものの、うまく走れない。だから俺は、エミーを怒鳴った。


「エミー! なにやってんだよ!」

「だ、だ、だって」

「ライナルトを助けろって! 言っただろ!」

「っ」

「見ろ! お前まで庇ってんだぞ! 足手まといだ!」


 自分より弱い。自分より役に立ってない。そうやって他人を叱ることで自分を奮い立たせる俺は、卑怯者の最低野郎だ。


「魔法使えるんだろ! 何しに来たんだよ!」

「うううううう」

「聖魔導士だろ! 人を! 救え!!!!!!」

「!!」


 目に涙を溜めたエミーは、ハッとした後思い切った様子でライナルトの横に飛び出ると、杖を構えて何かを唱え始めた。


「ファイア・ストーム!!」


 ば! と前方に掲げた杖から、膨大な量の炎が噴き出る。


「うわ! すっげえ!」


 炎に恐れをなしたのか、イノシシや犬の魔獣が動きを止めた。


「っし! 今の内だ! にげろおおおおおおおおおおっ!!」


 俺は、腹から声を出す。出しながら、村人たちを鼓舞こぶする。

 新入社員になった時に受けた『避難誘導訓練』を脳内で思い出しながら、声を掛けて、立ち上がらせて、励ます。


「っく、だが、数が多いっ」

 

 全身返り血まみれのライナルトが、次々目の前の魔獣を切っていくが、到底追いつかない。

 

 小型の魔獣は剣の一振りだけでも倒せるが、大型はそうもいかない。倒すために何手も必要になっている。小型を倒すにつれて、出てくる奴らの強さも中型、大型、と上がっていく。手下からボスへ、の流れだ。


「ソル。魔獣なら喰っていい。シン。この場の人間を……排除しろ」

「!!」


 俺はグリモアの意図を汲んで、急いで村中を駆け回った。逃げ遅れた人たちを、安全と思われる場所へ誘導する。

 

 必死に走り回るうち、自分でもびっくりするぐらいに足が速いことに気が付いた。耳が人の悲鳴や呼吸音を聞き分ける。それから、ジャンプも高い。


 足が速い。耳が異常に良い。跳べる。


「これって、もしかして……」

 

 ――やっぱり俺は、妖狐ってやつなのか。


 だが今そんなことを考えている余裕はない。

 

「逃げろ! 風下へ!」


 魔獣が姿かたちのまま犬やイノシシの特徴を持っているのなら、匂いを察知されにくい風下へ誘導するのがセオリーだろう。

 実際、人の声や気配を追っているように見える。


「あ、あ……」

 

 逃げ遅れたのか、道端で一人の女性がへたり込んでいた。目が合うなり必死の形相で、俺がやってきたのとは逆の方角を指をさす。小さな男の子が、転んだのか、膝から血を流してわんわん泣きじゃくっているのが見えた。

 

 その背後に、狼の魔獣が迫っている。明らかに、子どもめがけて。

 

「やっべ、どうしよう」


 俺は思考を巡らせた。拳で戦うか? いや、とても敵わないだろう。ならば――必死で走る。


 走って、走って、子どもの脇に手を差し入れ、腕の中に抱くようにして身をひねった。

 

 コイツ、飛んできたのか。速いなあ、とのんびりと考える俺の眼前を大きな口吻こうふんがかすめていく。首など一瞬で噛み切られるだろう巨大で鋭い牙と、飛び散るヨダレが、スローモーションに見えた。


 ガッチン!


 くうを噛んだ狼の魔獣は、地面に足裏を付けるや、苛立った様子ですぐにこちらを振り返り、目標を俺に修正した。


 子どもを抱えて、走り出す。


 もちろん、速くは走れない。

 


 ガアアアオンッ!

 


 背後から、生臭い、独特の獣の臭いがする。

 あー、もうダメかな……

 


 ッキャイン!


 

「あ?」


 悲鳴に驚いて振り向くと、狼の首根っこに黒馬がかぶりついていた。


「ソル!!」


 目を見開く俺に、横目でドヤってみせる馬なんて、面白すぎるだろ。あとでめいっぱい、水と人参をやろう。

 

「ブルルルヒンッ」

 

 ――ぶしゃあ。


 どさり。


 大量の血を流し、狼が横倒しになった。


「あああ……助かった……ありがとう」

「ブルルル」


 目を細めて首を振るソルの首元を、ぽんぽん叩いてねぎらう。来た道を警戒しつつ歩いて戻り、母親に子どもを引き渡しながら逃げるよう促すと、顔面ぐしゃぐしゃでペコペコお辞儀をしながら走っていった。その背中を見送ってから、再びソルへ寄り添うと、はるか前方に異様な気配を感じた。


「グリモア!?」


 村の入り口付近で、グリモアがその体中から黒いオーラを発している。

 それからゆっくりと歩き始めると、頭に手をかざした魔物たちが、なすすべなく次々どさり、どさりと倒れていく。


「命を……取ってるのか」

「ブルル」

 

 赤い目が対象を見やる。無表情で淡々と歩いていき、去った後に残るのは死体しかない。


「はは。ほんとに、死神だ」


 この世の終わりのような光景に、俺は思わず身震いをする。


 すると、最も大きなイノシシの前でグリモアが足を止め、首を傾げ、手首の裏を見て――嫌そうな顔をした。


「やべ!」


 数字分の命を取り返してしまったのだろう。

 

 反射的に駆け寄っていくと、グリモアがライナルトに淡々と言っているのが聞こえた。


「わたしを殺せ、ライナルト」

「!」

 

 ライナルトはその言葉に従って、躊躇ためらいなくグリモアを一刀両断する。

 

「うわっ……」


 元聖騎士団長は、鬱陶うっとうしそうにぶんっと血糊ちのりのこびりついた剣を宙で払い、イノシシの巨大な魔獣へ向かって構え直している。

 

 相手は異様な雰囲気を察知したのか、こちらの様子を窺いつつ、鼻息荒く前足で地面をかいている。

 

 ライナルトは胴が真っ二つになって倒れたグリモアを一瞥いちべつもせず、冷たく言い放った。


「さっさと起きろ、死神」

「くくく。本性はそれか。聖騎士団長が笑わせる」

「元、だ」

「あと六十、数えろ」

「ちっ、長い!」


 ブホホホホーーーーーンッ!


 巨大イノシシが雄叫びを上げ、ライナルトへ猪突猛進してくる。


「ライナルトッ! くっそ、てか、エミーどこだよ!?」


 必死で首を巡らせると、怪我人に魔法をかけているのが見えた。とても手が離せる状況ではない。


「ぐあっ」


 ガキン、と鈍い音が鳴って、ライナルトがなんとかイノシシの牙をいなしたのが分かった。ドドドド、と走り抜けていく巨体が、地面を揺らす。

 

 ホッとする暇もなく、魔獣は通り過ぎた先で方向転換をして、また地面を前足でかき始めている。鼻息が、ここまで聞こえてくる激しさだ。


「うぐ」

「ライナルトッ!?」


 剣を持つ腕が、ここからでも分かるぐらいにブルブル震えている。疲労か、怪我か。


「ヤバい、どうしようっ」


 最悪は俺が担いで逃げるか、と脳内でシミュレーションを始めると、ずる、と目の端で黒いモノが動いた。

 

 グリモアがゾンビのような様子でだらり、がくりと起き上がり、手だけイノシシにかざすと――白目を剥いた後でどさり、と横倒しになった。


「ふう、しのいだか。恐ろしいな、死神」

「恐ろしいのは貴様の方だろう。わたしを躊躇ためらいなく殺したな」

「聖騎士の役目を覚えていただけだ」

「なるほどな」


 一瞬で命を取るグリモアより、顔見知りを即ぶった斬ったライナルトの方が、恐ろしく感じるのはなぜだろう。

 

 そんな血みどろのライナルトを見たエミーが「素敵……」と目をハートにしていて、もっと怖かったけど。

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