8話 さあ、出発だ
翌朝。それぞれ客室を借りて適当に休んだ後、ダイニングルームに集合することになっていた。
部屋の端でバックパック内の荷物を床に広げていると、背後からライナルトが覗きこんでくる。
「なるほど、野営の道具だったのか」
「うん。趣味で」
「シン殿の世界では、趣味で野営をするのか?」
「そそ。この世界と違って、人間が多いからさ」
見上げると、わかったようなわからないような顔をされた。
「まあとにかく、便利な道具だから、なるべく持っていきたい」
「ふむ。問題は馬だな。一頭は私が乗ってきたから良いが。もう一頭あれば……」
「いる」
テーブルで朝飯にと作った、鳥ガラで出汁を取ったものにレンズ豆とライムギを入れたスープを食べているグリモアが、けろりと言う。
「え? 馬小屋あったっけ?」
「いや。呼べば来る」
「……へえ」
するとどこからか、「わあああああああん!」とエミーの泣き声が聞こえた。
俺とライナルトが脊髄反射で廊下に走り出ると、髪の毛もローブもぐしゃぐしゃのエミーが、泣いている。胸が収まりきらずにどうにかなっている。直視したら犯罪なので、意識的に目線を上にずらしてから、声を掛けた。
「あー……どうしたんだ!?」
俺が声を掛ける一方で、ライナルトは周辺の気配を探っている。さすが騎士だなと感心していると、エミーはずびずび鼻をすすりながら言った。
「みじたく、できないいいぃ」
「「は?」」
男ふたり、ぽかんだ。
十八にもなって、身支度ができないだと? と俺にはちょっと意味が分からない。
「じぶんで、したことないいいいぃ」
お前なんで来た!? と言いたいところをぐっとこらえて、言ってみる。
「俺で良ければ、手伝うけど」
「殿方には、肌を見せられないぃ~~~~」
――めんどくせえ。
「わたしなら良いだろう」
いつの間にか廊下に出て来ていた黒い死神が、淡々と言う。
「人間じゃないからな」
「ひ!」
俺は、ひきつるエミーにやれやれと肩を落とす。お前がいるのは死神の城だぞ、と言いたいのも我慢する。
「じゃあ服だけ整えてやって。髪は俺がなんとかするから。エミー、いいか?」
「は、はいいいいい」
養護施設で、小さい女の子の髪をよく結ってやった経験が活きるとは、思わなかった。
人間、なんでも経験だな。
「……私は、何の役にも立たないのだな」
ぽつりとライナルトが呟いたのが、気になった。
◇
城の外に出るや、グリモアが「ソル」と名を呼ぶと、ヒーイイイイン! とどこからか大きな黒い馬が走って来た。目が赤い。
「うおおおグリモアの馬って感じ!」
感動する俺と、固まるライナルト、恐怖でその背後に隠れるエミー。三人三様の反応を横目で見てから、グリモアがソルに向かって放った言葉は、衝撃だった。
「ソル。シンとライナルト、それからエミーは喰うな。いいな」
「ヒンッ」
喰うなって言った!? っていうか、言葉通じる!?
「よ、よろしくな、ソル。俺、シンって言うんだ」
俺が恐る恐る近づいて、首の辺りをゆっくりと手のひらで撫でると、目を細めてくれた。
「あのさ、グリモアは人参が嫌いみたいなんだけど、ソルは好き?」
「ブルッ」
むき、と歯をむき出しにして返事をした。好きっぽい。
「ははは! 良かった!」
笑ったら、頬ずりされた。仲良くなれたかな。
「シン殿は、すごいな……あっという間に他人の懐に入ってしまう」
「そうかな?」
ライナルトは感心するけれど、俺自身そうは思わない。グリモアやソルは恐ろしいけれど、正直な生き物だと思っているだけだ。動物は好きだが、人間は嫌い。
だって、人は平気で噓を吐く。だからあっちの世界での俺は、心を閉ざして生きてきた。
「……シン。ソルはお前なら乗ってもいいと言った」
「ほんとか! ありがとう、ソル」
「ブルルルル」
「ならばエミー殿は私の馬へ」
ライナルトが
「ああああの」
わたわたする魔法使いに、俺は言った。言うなら今だろう。
「なあエミー、無理するなよ。ライナルトを追いかけてきたんなら、この通り無事だった、で良いだろ? これからの旅は、どうなるか分からない。帰るなら、今のうちだぞ」
「シン殿。それは私も言おうと思っていた。エミー殿、聖魔導士には簡単になれるものではない。今ならまだ戻れば」
唇をぎゅっと噛みしめ、何かを言いだそうとしているエミーに対して、グリモアが容赦ない言葉を放つ。
「着替えも料理も旅支度もできない。覚悟もできない。この男を助けたいと言いつつ、何も手伝っていない。何しに来た」
「っ!」
「役立たずだ。帰れ」
エミーは涙をいっぱい溜めた目で俺とライナルトの様子を窺うが、当然、それを否定する言葉は出てこない――事実だからだ。
「そ、んな! ひどいっ」
「……なら」
「あー、エミー?」
俺は何かを言いかけたグリモアを
「エミーは、何をしたいんだ? もっかい、気持ち聞かせて」
「ライナルト様を、助けたいのです」
「ふむ。その気持ちは、変わらない? 命の危険もあると思うけど」
こくり、と頷かれた。
「途中で俺が様子を見て『限界だから、帰れ』って言ったら、帰るって約束できる?」
こくこく、と頷く。
「んじゃ、一人で身支度をできるようになることが最低条件だな。あと魔法使えるんだろ? ライナルトを助けてやって。ふたりも、それでいい?」
最悪は、俺の服を貸すか、と考える。
今着ているのもパーカーとデニムで、着るのは難しくない。
「シン殿……」
眉尻を下げるライナルトの一方で、ふうっとグリモアが大きく息を吐いた。
「命拾いしたな、お前。めんどくさいからもう命を」
「だーーーーーーっと、もうほら、乗ろうぜ! 馬! 俺乗ったことない! 楽しみだなーーーーーーっ」
この死神、やっぱりヤバイ。めんどくさくなったら、殺す気だっ!
扱い方、間違ったら即死――俺の背中に、冷たい汗が流れた。
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