第42話 旅立ち、それは粛々と
「そうか、シャベル君もとうとう旅立つのか。まぁシャベル君ならどこに行っても立派に務まるとは思うけど、少し寂しくなるね」
ヘイゼル男爵領リンデル、その街の一角にある様々な雑貨を扱う商店で、店主アルマがここ最近のお得意様でもある銀級冒険者にして調薬師の青年に言葉を掛ける。
「アルマさんには本当に色々お世話になりました。俺の生活が格段に向上したのは全てアルマさんのお陰ですよ。それに幌馬車の生活空間を整えるのにも何かとご助言をいただいちゃって。
これまで本当にありがとうございました」
そう言い頭を下げる若者に、うんうんと頷きを返すアルマ。若者は何時か旅立つ、その旅先で多くの経験を積み、人生の伴侶を見つけ、居を見つけ家族を育む。
アルマ自身がそうであった様に、この若者もきっと自身にふさわしい居場所を見つける事だろう。
「うん、そうか。でもあえて別れは言わないよ?この世界は広い、でもきっとどこかで繋がっている。いつかどこかでシャベル君と出会える様に、シャベル君が健やかに実りある旅路を送れるように。
シャベル君、またいつか」
スッとアルマから差し出される手、若者はその手を握り言葉を返す。
「はい、またいつか。それまでアルマさんもお元気で」
“ガチャガチャガチャガチャ”
店の前に止めてあった幌馬車が音を立てて動き出す。アルマは去り行く幌馬車の姿を見詰めながらぽつりと呟く。
「今時珍しい程の気持ちのいい若者だったな。
シャベル君、いつか君が本当に穏やかに暮らせる場所が見つかる事を、心から祈っているよ」
この街はテイマーに厳しい。ヘイゼル男爵領では、どこに行ってもテイマーである彼が穏やかに暮らす事は出来ないであろう。
それに彼は<魔物の友>と言う所謂外れスキルの持ち主、ビッグワームとスライムしかテイム出来ない彼の事を認めてくれる者は少ないだろう。
「シャベル君の道は険しい、でも負けないでくれ。私もいつか君と再会したとき、胸を張れるよう頑張るよ」
アルマは小さくなる幌馬車から視線を切ると、商品の整理のために店の奥へと向かう。自身に出来る事、それはジローナ商会の行商を待つ人たちの下に喜ばれる商品を届ける事。
アルマは両の頬を叩くと“よしっ”と気合を入れ、仕事に取り掛かるのであった。
スコッピー男爵領マルセリオ、その街の一角で建物の修繕作業を行う職人の一団。
「頭領、お客さんです」
「あん?誰だっておい、シャベルじゃないか、久しぶりだな、元気だったか?
何か街の連中や冒険者どもが碌でもない噂を立てているみたいだったから心配してたんだ。
まぁ見た感じ元気そうって言うより前より顔色良くないか?身体も引き締まっていると言うか、前はもっとひょろっとしてただろう?
よく分からねえがしっかり食べれてたって事は分かったよ。
で、今日は一体どうしたってんだ、何か一端の冒険者がこれから旅にでも出る様な格好でよ」
頭領と呼ばれた者は、久しぶりに見る若者の顔に嬉しさと安堵の籠った目を向ける。
若者はたまたま冒険者ギルドに出した作業依頼を受注してやって来た新人冒険者であった。決して身体が大きい訳でもなく、体格が確りしている訳でもない。
どこにでもいる様な成り立ての新人、それが若者に対する印象であった。
だが若者は冒険者にしてはやけに礼儀正しく、何より真面目であった。
こちらからの指示を的確に熟すだけでなく、分からない事は何度も確認し間違いを極力なくそうとする努力の者であった。
一度なぜそこまで懸命に働くのかを聞いたことがあった。すると若者は“自分は不器用である、他の人が一聞いて理解する事も、十聞いて漸く理解出来るか出来ないかといった調子である。だから人より頑張るくらいで漸く人並なんだ”と言って照れ臭そうに頭を掻いた。
石工の現場は単純作業の繰り返しだ。だから一見誰にでも出来る様に見えるし、実際必要な作業の大半は何も知らない素人でも手伝う事が出来る。
だが、だからこそ丁寧さが求められるし、いい加減な仕事と心の籠った仕事とではその仕上がりに雲泥の差が出る。
頭領はこの不器用でまじめで、自身の欠点に真摯に向き合う若者を気に入り、何かと気に掛ける様になっていった。
「はい、季節も大分寒くなって来て魔物の活動も大人しくなって来ましたんで、俺も旅に出ようかと。頭領には本当にお世話になったんで一言ご挨拶に。
それとこれ、リンデルで買った蒸留酒です。頭領からいただいた恩に報いるにはいささか物足りないでしょうが、俺からの礼の気持ちです、どうか受け取ってください」
そう言い若者が手渡したもの、それは街の酒場でも酒精が強いと噂の人気の酒。
「おいおいいいのかよ、これ結構いい値段する奴じゃないか。これから旅に出ようって人間が変なところで無駄使いしてるんじゃねえよ」
慌てて言葉を返す頭領。そんな彼に若者は首を振って返事をする。
「無駄なんかじゃありませんよ。俺が街の者にまったく相手にされなくなった時、頭領とこの現場の皆は全く変わらずに接してくれた、それがどれほどありがたかったか。それに頭領には魔の森の小屋を作る際の材料も提供してもらっちゃって。
それなのに俺は頭領に何にも恩を返せていない。
本当はこんなお酒程度じゃすまないのに、俺にはこれが精いっぱいで。
そうだ、頭領、ポーション要りませんか?俺、こう見えても薬師ギルドの正規会員なんです。
“石工の現場は常に事故の危険がある、気を引き締めて行けよ”
頭領が朝の訓示で必ず言う言葉じゃないですか」
そう言い腰のポーチから十本のポーション瓶を取り出す若者。
「おいおい、それこそ大事に取って置けよ。ポーションは旅の必需品だろうが」
頭領は慌ててそれを返そうとするが、若者は笑顔で首を横に振る。
「大丈夫ですよ、念の為ポーションは百本以上作っておきましたから。その内の十本です、頭領のお役に立てるんならむしろ嬉しいくらいです。
それじゃ頭領、お元気で」
「あぁ、シャベルもな。いつでもいい、落ち着いたら手紙の一つでも寄こしてくれ」
若者は“はい、必ず”と言葉を残し去って行った。
謂れのない誹謗中傷を受け、街の多くの者から忌み嫌われ、それでも決して腐らず真面目に真っすぐ自分を貫いた若者。
頭領は街並みに消えて行くその後姿を、何か眩しいものを見るかの様に目を細めながら唯々見詰め続けるのであった。
「店長、裏にお客さんです」
マルセリオの街で古くから親しまれる老舗の肉屋バルザン精肉店。その顧客は多岐に渡り、宿屋から食堂、領主であるスコッピー男爵様のお屋敷と、マルセリオの街の台所を支えていると言っても過言ではない大手商会である。
そんなバルザン精肉店では冒険者ギルドからの仕入れはもちろん、冒険者や猟師などからの持ち込みも受け付けており、店の裏手にはそうした持ち込み客専用の受付窓口も完備している。
店主は従業員の話ぶりを訝しみながらも、客が待つと言う裏の受付へと顔を出した。
「あっ、店長さん、お久しぶりです。以前お世話になりましたシャベルです」
それはかつて店の食品廃棄物の処分を冒険者ギルドに依頼した際に訪れた若者であった。彼は一見いたって普通の若者であった。物腰が柔らかくきちんと仕事を熟す、そんな者であった。
だが彼の言うきちんとした仕事とは、これまでこの依頼の為に訪れた多くの冒険者の中でも頭一つ抜きに出ているものであった。
「廃棄物の処分が終了しました。依頼完了のサインをお願いします」
そう言い若者が返却してきた荷車は、廃棄の際に零れ出るであろう魔物の血液汚れがきちんと洗い流されており、廃棄物が詰まっていた樽も、中まで確りと水洗いされていたのである。
「お借りしたものですから、川で洗ってきたんですが、まずかったですか?」
さも心配そうに聞き返す若者に、店主はすぐさま彼と共に冒険者ギルドへと赴き、特例と言う形で実質的な指名依頼である優先依頼を勝ち取ったのである。
この事はこれまで食品廃棄物の処分を終えた樽や汚れた荷車を手洗いしていた従業員からも喜ばれ、若者はバルザン精肉店に欠かせない戦力となって行った。
「久しぶりだなシャベル、お前さんからこっちに顔を出してくれるとは思わなかったよ。あれだけ一生懸命働いてくれたのにも関わらず、お前を切り捨てるような真似をした俺のところにな」
だがその関係は、シャベルが“溝浚い”の蔑称で蔑まれる様になる事で脆くも崩れてしまう。
バルザン精肉店は多くの顧客を抱える精肉店である。食品を扱う多くの店舗が若者を忌み嫌い避けるようになる中で、そんな街の顧客に肉を卸す精肉店が問題の人物に仕事を任せる訳にはいかない。
それは老舗店舗として、一人の経営者としての当然の決断。店主には守らなければならないものがある、それは店でありそこで働く従業員であり家族であった。
私情を挟むべくもなく、若者との関係は切り捨てられたのである。
「いえ、あれは致し方がなかったかと。店長さんと俺とでは立場も守るべきものも違う。俺が自身の従魔が大切であるように、店長さんにはこのバルザン精肉店が大切であった、それだけのことです。そのことで恨んだりなんてしていませんよ。
それよりも俺は色々と心を砕いてくれた店長さんに感謝しているんです。店長さんですよね、俺の仕事に関する悪い噂を否定してくれたのは。
街の中でも“溝浚い”や“大きなミミズを従えた気持ちの悪いテイマー”と言った言葉は聞こえても、仕事に関する悪い噂は一切なかったんですよ。これだけ嫌われているにも拘らずです。
ありがとうございました。
それと俺、旅に出ようと思いましてそのご挨拶に。ご迷惑でなければくず肉を売っていただけると助かるんですが、ダメですかね?」
若者から返ってきた言葉、それは意外にも感謝であった。確かに自身は彼の仕事ぶりは真面目であったと言っていた。それを否定する事は自身を否定する事になる、いくら世間が若者を否定しようとも噓を重ねる事が良しとされるわけではない。
それは罪悪感からの精一杯の抵抗であった。そんな自己満足の行動のために彼は。
「あぁ、いくらでも売ってやる、どれだけ必要なんだ?」
「ありがとうございます。でしたら面倒かと思いますがこのポーチの口に入るくらいの大きさに小分けにしてもらって、大銀貨一枚分いただけますか?
実はこのポーチ、時間停止機能付きの大容量マジックポーチなんですよ。
頑張って資金を貯めて購入したんです」
若者はそう言うと自慢気に腰のポーチを示す。
街の者すべてから忌み嫌われ街の外に住まざるを得なかった若者は、自身が思うよりも強かに力強く生きていた。
店主の顔に自然笑みが宿る。
“あぁ、シャベルはこんなにも強かったのか。俺なんかが心配するよりも遥かに高いところを、自分の足で歩いていたんだな”
「よし、分かった。だが大銀貨は貰い過ぎだ、大体くず肉にそんな値段はつかん。
それにそんなに量もない、せいぜい銀貨二枚か三枚と言ったところだな」
「それじゃあるだけでお願いします。それとなんか外に食品廃棄物の樽が溜まってたみたいなんですが」
若者は以前自身が通っていた際に見た樽が複数個置かれていた事を訝しみながら話を聞いた。
「あれか、最近は中々廃棄物の処理依頼を受けてもらえなくってな。もう少しすれば森の魔獣も数が減る、そうなれば仕事にあぶれた冒険者が受けてくれると思うんだが」
店主は眉間に皺を寄せ、口を噤む。
「よかったらあれ、どうにかしましょうか?全部で三樽あるみたいですし、くず肉の代金と相殺でどうです?」
「いいのか?いやしかし、シャベルはこれから旅に出るんじゃ」
店主はここに来て若者に負担を強いることに躊躇を示す。
だが若者は全く別の事を心配して口にする。
「あっ、安心してください、俺が荷台に樽を載せて廃棄に行くわけじゃないんで。そんな姿を見られたらあらぬ噂を立てられかねませんからね」
「いや、俺が心配したのはそんな事じゃなくって」
「まぁ見ていてくださいよ。天多、おやつだよ、出ておいで」
若者の掛け声と共に彼の背負い袋から姿を現したもの、それはプルプルと身を震わせるスライムであった。
「天多、あの樽の中身は全部食べていいからね。食べ終わったら樽の中もキレイにしておいて」
“ポヨンポヨンポヨン♪”
飛び跳ねて喜びを表すスライム。スライムは樽の上に飛び乗ったかと思うと、その大きさを広げ三つの樽全てを覆い尽くしてしまうのであった。
「これでもうしばらく待てばきれいさっぱり食べ尽くしてくれると思いますよ。
スライムって本当にすごいですよね」
目の前の光景にあっけにとられる店主をよそに、若者は自身の家族の姿をやさしげに見守るのであった。
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