また逢う日まで

蒼井駿介

また逢う日まで



「お疲れさまです。遅くなりました」

「遅いよ風間君。さあこっち座って」


 風間雄大は会社の飲み会が嫌いだった。ただでさえがむしゃらに働いた後だというのに会社という組織は馴れ合いを求めてくる。中には説教を垂れてくる輩もいる。そんなもの捌ききれるわけがないだろうと思いながら、雄大も十二年目の立派な社会人として社会の歯車になっていた。


 「しかし風間君も今じゃ成績トップだからなあ!これからも期待してるぞ!」


 部長の言う通り雄大は社内営業成績はトップの優秀な社員だ。上司達が贔屓するのも頷ける。


 「ほら、もっと飲みなさい」


 注文が面倒臭いのかピッチャーで頼んだビールをグラスに注がれ、手前形だけでも飲まなければとグラスに口をつける。この時ばかりは贔屓は要らないのだと強く思う雄大であった。


 グラスも十杯めに差し掛かった頃、

「じゃあ今日はそろそろお開きという事で」部長から帰宅の号令が掛かった。

 内心やっと帰れると思うと、安堵した所為か酔いが回るスピードが上がった。


フラフラになりながら社員達と別れ家路に着いた。新年会ということもあり外は冷えきっていて、路面は凍結している。どれだけ気を付けていても何度も転びそうになる。氷に厚みがある所は日中日が当たらず溶けないのだと、酔いを覚まそうと思考を巡らせる。


 家も近くなり、あとはこの長い階段を登れば布団に直行できるなと階段に足を掛けた。

 



「起きてー。朝だよー。ご飯できてるよ」


 聞き馴染みのある声で目が覚めた。目が少しぼやけるがそこには妻の姿があった。


「今行くよ」


 テーブルには白米、甘めの卵焼き、味噌汁といつもの朝食が並んでいた。


「いただきます」


 やはり卵焼きは甘めだった。醤油の塩味と相性がバッチリなのだ。そして少しだけ半熟なのもいつも通りだった。


 朝食を味わって食べ、支度を済ませて玄関へ向かった。


「行ってらっしゃい。気を付けてね」


「行ってきます」


挨拶と抱擁をして外へ出た。


 雨上がりのアスファルトの匂いと草花の匂いがなんとも懐かしく感じた。


 会社へ向かう時はいつも人混みを掻き分け周りなんて見る余裕も無かったが、今日は何か清々しい気分でそんな余裕もあった。


 老朽化の進むくすんだ灰色のビルや、最近できたばかりの綺麗な建物。道の脇に咲く花はアスファルトを割いて力強く生きていた。


 仕事は順調に進み定時に帰ることができ、晩御飯は何かなと考える余裕すらあった。


 家に帰ると妻がちょうど晩御飯の準備をしていた。


「ただいま」

「あら、おかえりなさい。早かったね」

「定時で帰れたんだ。それより凄くいい匂いがするな」

「今日は生姜焼きにしてみました」

「それは楽しみだ。すぐ着替えてくる」


 妻の作った生姜焼きを一緒に味わっていると、普段食事中はあまり話さない妻が話しかけてきた。


「明日休みだったよね?良かったら久々にデートでもしない?」

「久しく行ってなかったし行こうか」


 妻とのデートは昔から行先は決まっておらず、フラフラあてもなく歩くのがお決まりだった。


 翌朝、近所の商店街を散策してコロッケを買ってベンチに座り二人で頬張ったり、妻の服を見たり雄大の趣味である釣りの道具を見に行ったり、楽しい時間を過ごした。


 帰り道の空は夕焼けで赤く染まり気温も少し下がり肌寒くなってきた。


「ねぇ、私達さ、このまま最期まで一緒に居たとするじゃん?」

「どうしたんだ急に」

「いいから聞いて。それでさ、必ずいつかは死んじゃうでしょ?それで私思ったんだけど、もし来世があったとして、今の事なんて覚えてないかもしれないけどもし何かのタイミングで思い出すことがあったら、あの桜の木の下で待ち合わせしよう」


 そう言って妻は道から外れた広場にある一本桜に人差し指を向ける。


「わかった。約束する。思い出したらあの木の下で待ち合わせしよう」

「会ったらお互いどうなってるだろうね。同性で友達になったりするのかな」


 そんな何処にでも有り触れている来世も一緒という幸せな話をしながら家に帰った。


 夕食は帰りに買った惣菜と白米、残り物の味噌汁だった。たまにはこういうのも良いなと楽しい夕食だった。


 睡魔が襲ってきた深夜、妻と布団に入った雄大は一日の満足感と幸せに包まれて眠りに落ちた。


 目が覚めると見慣れない真っ白な天井だった。左腕には点滴、口元にはプラスチックのマスクが着けられ、それだけで病院だと判断するには十分だ。


視線を部屋の外へ向けると、丁度看護師が何かを準備しているところだった。


「あの…」


 いつも通りの声で話しかけたつもりだったが、殆ど声が出せない。なんだか身体も怠い。助けを求めるように身体を動かした。


 すると看護師がこちらに目を向けると驚いた顔をして


「風間さん!目が覚めたんですね。すぐ先生呼んできますから」


 そう言って居なくなってしまった。


 目が覚めたということは暫く眠っていたのだなと、ぼんやりする頭で結論を出した。


 一瞬のような数時間のような時間が経ち、主治医らしき白衣を着た中年男性が入ってきた。一通り意識検査のようなものを終えると医師がハッキリ言った。


「風間さん。あなたは頭を怪我して三ヶ月眠っていました」


 ぼんやりとした頭も冴え渡るほどの衝撃だった。


「妻は?」


「奥様ですか?親御さんからは一人暮らしだとお伺いしましたが」


 雄大は混乱した。妻と楽しくデートをしていた記憶が薄ら残っている。でも一人暮らしをしていた記憶はしっかりある。どういう事だ?これはなんの記憶なんだ?そう考え眉間に皺を寄せていると


「風間さん。まだ目覚めたばかりです。これからリハビリもありますから、ゆっくり記憶と心を整理していきましょう」


 そう言って医師は部屋から出ていき、看護師達は薬やら何やらを準備し始めた。


 目覚めてから一ヶ月半、リハビリを順調にこなし、食事もゼリーからお粥になり今は固形物も食べられるようになった。ただ一つ気になるのはやはり目覚めた時にあった記憶だ。


 顔は思い出せないが女性と生活していた記憶がまだ残っている。家の感じや話し方で母親や祖母では無いとだけわかっている。


 ただの夢だったのか。しかし意識障害の中で夢を見る事があるのだろうか。一人で考えを巡らせているとテレビに繋いだイヤホンから、桜が沢山咲いていると中継先の女子アナウンサーが教えてくれた。


 桜。その言葉の響き、映像で伝わってくる色。病院の窓から射し込む赤い西日。この雰囲気や言葉が何か引っかかる。


何かが思い出せそうな気持ちの悪い感覚に襲われる。が、その時、女子アナウンサーの一言で全てが蘇った。一本桜と。


 目覚めてから二ヶ月が経とうとしている頃、リハビリを頑張ったおかげか体調が回復した雄大は、看護師に帰りたいと伝えた。医師も大丈夫だと判断したのだろう。すぐに許可が下りた。


「お世話になりました」


 感謝を告げ病院を背に歩き出す。


 病院の前に植えられた桜は既に散っていて、残っている花びらは僅かであった。焦燥感に駆られた雄大は、帰宅するや否やパソコンの電源を入れ『一本桜』を検索した。


記憶に残っている桜はあまり鮮明ではなかったが、何となくこんな感じというものはあった。


 暫くインターネットの海を眺めていると一つだけ見覚えのある一本桜があった。


「これだ」


 記憶と桜が結び付いた雄大は考えるより前に出掛ける準備を始めた。桜の場所は思いの外近く、車で三十分程の場所にあった。


 すぐに車を走らせ桜のある場所へ向かった雄大の心臓は、桜を見つけたその瞬間からドキドキが止まらない。見つけた喜びと変な緊張感が雄大の鼓動を高鳴らせ続ける。


 三十分はあっという間に過ぎ、桜のある広場に着いた。駐車場に車を停め、一人桜に向かって歩みを進める。


 やはり桜は散っていて、観光客もまばらになり寂しさすら感じさせる広場だった。だか雄大には関係無く、少し遠い場所から寂しくなった桜の木を眺めていた。


 暫く座って眺めていると、背後から声を掛けられた。


「桜見に来られたんですか?」

「ええ、散っちゃってますけど。なんか呼ばれたような気がしたので」

「そうだったんですね。実は私もなんです。良かったらお隣に座ってもいいですか?」

「ええ、構いませんよ」



「私夢を見たんです。素敵な男性と結婚して生活していて。デートに行って帰り際にこの道を歩いていたんです。そこで私が言っていた言葉があるんです。『来世があって、もし今を思い出すことがあったらあの桜の木の下で待ち合わせしよう』って。それから毎年桜の咲く頃、休みの日には必ず通ってるんです」


「それ本当ですか?嘘だと思われるかもしれないですけど、僕も同じような夢を見ました。実際は夢なのかどうなのか微妙ではあるんですが…」


 話を進めようとすると、その女性が話を遮った。


「お時間が大丈夫でしたら少し場所変えませんか?」

「大丈夫ですよ」


そう伝えると近くの喫茶店に誘われた。



 コーヒー二つを注文すると女性から話し始めた。


「すみません。自己紹介もまだでしたね。私、一条芹那といいます」

「こちらこそ名乗ってませんでした。風間雄大です」

「雄大さんですね。よろしくお願いします」

「それでさっきの続きなんですが、実は僕、昨日まで入院していたんです。というのも、会社の飲み会の帰りに転んで頭を打ったようなんです。それから三ヶ月意識がありませんでした。」

「三ヶ月もですか?今は大丈夫なんですか?」

「はい、まだリハビリはありますが。それでその意識が無かった時に夢を見たと言いますか。それがさっき仰っていた話そのものなんです。」

「そうだったんですね。それでその奥さんはデートで何食べていたか覚えてますか?」

「確かコロッケでした。かぼちゃコロッケです」

「わぁ!全く一緒です!こんな事あるんですね!正直これが夢だったら絶対に会えないと思っていたんです。でも…会えました」


 芹那の顔が明るくなったかと思うとすぐに涙ぐんでしまった。


「私さっき毎年って言いましたけど五年あそこに通ってたんです。やることがなかったのもありますけど、なんだか信じてみたくなったんです。そうしたら雄大さんがいらしてて。他の人達とは違うと思って声を掛けたんです。そうしたらまさにその人だなんて」


 芹那の話を聞いていると、雄大の頭に『華』という名前が過った。


「あの、すみません、今頭に浮かんできたんですがその頃のお名前、『華』って名前じゃありませんでしたか?」


 芹那の目が見開いた。


「そうです。華でした。雄大さんは『康二』さん…じゃないですか?」


 気味が悪いくらいにしっくりくる名前に雄大は頷かざるを得なかった。


「正直ハッキリとは覚えてませんが、凄くしっくり来ています。そうだったんだと思います」


 前世の記憶について話し合っていると殆どが同じ記憶で、当時行った場所、好きだったもの、沢山の話で盛り上がった。


 三杯目のコーヒーを飲み切ると喫茶店が閉店の時間になっていた。


「これ、私の連絡先です。またお話したいです。良ければ次はご飯でも食べに行きませんか」


「こちらこそ。ぜひよろしくお願いします」


 お互いの連絡先を交換した二人はそのまま解散した。

 

 目覚めてから半年が過ぎ仕事にも復帰した雄大は、芹那と連絡を取り合い定期的に食事に行ったり遊ぶ仲になっていた。


 ある日の夜、食事に行き芹那を車で家の前まで送った。


「今日も楽しかった。送ってくれてありがとう」


 雄大は覚悟を決めて芹那に切り出した。


「あのさ、大事な話があるんだ」

「うん?」




「僕と、結婚を前提にお付き合いをして欲しい」



 十秒程沈黙が流れ、芹那が口を開く。




「はい。よろしくお願いします」

 

 この日から二人の交際が始まり、二年後に結婚した。

 

 晩春の晴れた早朝、二人の間に女の子が産まれた。女の子の命名は二人の出会い、否、再会の場所、産まれる時期の意味を込め「桜」になった。

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また逢う日まで 蒼井駿介 @aoi_shunsuke

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