12
隼都から高台の公園を指定された。どこを向いているか分からない時計は六時十五分を指している。まだ薄暗く、ダウンジャケットを着ていても風が吹けば寒かった。
「痛っ」
ブランコ周りの柵に寄りかかっている恭祐は思わず肩をすくめて縮こまった。寒さより痛みが顔に刺さる。
「恭祐」
名前を呼ばれ振り返る。
「あ、渡邊くん」
そこには宏太が新しそうなダウンジャケットを身に纏い立っていた。鼻を赤くした宏太はポケットに手を突っ込みながら、恭祐の横に腰掛ける。
「いよいよだな」
いよいよ。凌汰と三人で過ごせる最後の一週間。
二人は並んでだんだんと明るくなる空を見上げた。
「あぁ、来週の月9見たかったな」
「見りゃいいじゃん」
「そうだね」
それと同時に佐々木恭祐に残された時間も一週間だった。
白い息が何回空へ溶けていっただろう。
まだ眠っている公園で、砂利がすれる足音が聞こえた。目を向けると遠くの方に二人の人影があった。
「あれか?」
宏太は目を細め、二人を凝視する。左側の人物が恭祐たちに向かって長い両手を大きく振った。あの身長は間違いなく隼都だ。
ということは、隣の人物は__________。
「夢じゃないよな」
頬をつねる宏太の横で恭祐の視界は滲んだ。
恭祐の視界は、だんだんと近づいてくる二人のシルエットを揺らした。
「水橋くんなの?」
自分が見ているのは幻想か現実か区別がつかなくなりそうだった。
「そうだよ」
目の前の人物から懐かしい声を聞いた時、恭祐の目からは涙が溢れた。スイッチを押されたかのようにとめどなく溢れた。
「水橋くんだ。水橋くんだ」
恭祐は目の前にいる存在を噛み締めた。
宏太は凌汰の肩を掴み、大きく揺らす。
「なになに、痛いよ」
そして、二回ほど強く叩いた。
「痛いって」
「ここにいる。ここに」
宏太の手は微かに震えていた。そして凌汰から離そうとはしなかった。まるであの時を後悔しているかのように、凌汰を繋ぎ止めていた。
一歩下がったところから様子を見ていた隼都が「あの」と切り出す。
「分かってるかもしれないですけど、これでもう最後です。本当に最後。だから悔いのないようにして下さい。伝え忘れないように」
最後と言われ、三人の笑顔が萎む。隼都が「ね」と付け足して、恭祐の方を見た。恭祐は自分に向けられた言葉なのだと強く頷いた。
「そして、あと、これも」
隼都は三人に腕時計のようなものを渡す。
今どきのタッチパネルなどではなく、時計職人が作ったような精巧で緻密なものだった。三人は受け取ると躊躇なく腕にはめた。三人はその作り込まれたデザインを凝視する。
「今日って六日じゃないよな?」
宏太が時計を見るなり、首を傾げた。
隼都から渡された時計は普通とは少し変わった点があった。普通の時計でいう三時の場所に小窓が付いており数字の『6』が表示されていること。盤に数字が無く全てが目盛りであり、普通の時計でいう十二時、六時、九時の場所は赤い目盛りであること。針が一本しかないこと。その針がやや左に傾いていること。
「この時計は何?」
恭祐が聞いた。
「皆さんに渡したのは普通の時計じゃありません。針は二十四時間で一周します」
「真下を指した時が十二時ってこと?」
隼都の説明に対して恭祐が質問をした。
「正確には十二時間です」
「十二時間?」
「はい。数字の6となっている所は毎日変化します。5、4、3……と」
「日付って増えていくもんじゃねーの」
宏太はまだ首を傾げていた。
「これは時刻なんかじゃないんだね」
凌汰は冷静な口調だった。
「はい」
隼都は静かに頷いた。
「あと六日、あと五日、あと四日。これは僕たちの残り時間なんだね」
凌汰は腕時計に向かって寂しく微笑んだ。
「その通りです。数字は残りの日数、針は残り時間を表します」
「嫌なもん渡すね」
宏太はそこまで聞くと、腕をだらんと下ろし時計を見るのをやめた。
「宏太、やめて」
険悪な雰囲気になりそうなところを凌汰が止める。宏太はそれ以上何も言わなかった。
「では、一週間後に」
隼都は後ろに振り向き、朝日を背中に浴びながら帰っていった。
恭祐は、一週間後の自分をなるべく考えないように頭を振った。腕時計へと目をやる。
あと六日ではない。まだ六日ある。
深く吸って鼻の奥が痛くなった。
外は寒くて長くは居られず、どこか中に入れる場所はないかと二十四時間営業のお店を探すことにした。最初に見つけた牛丼屋に立ち寄ったはいいものの、こんな早朝に高校生がいるのは珍しく、店員にも点々といるお客さんにも家出少年と思われジロジロと見られた。「これ食べたら家帰るかー」などと分かりやすく大きな声で話し、すぐに店を出ることになった。
寒空の下、目的も無く三人横並びで歩く。
「全然長居できなかったね」
凌汰は、それもまた楽しいと言わんばかりの表情をしていた。
「警察に通報されたら色々厄介だし。次の店探すか」
宏太はポケットに手を突っ込み、寒さに体を縮めて言った。
「本当に家に帰るってのは? 誰かの家寄るとか」
恭祐が聞いた。
「誰の?」
宏太が言った。
三人の足が止まる。誰も何も話さなかった。
確かに家なら周りの目の心配がないが、凌汰の事をどう説明したらいいか分からなかった。どう説明しても信じてもらえないだろうし、その時間がもったいないとも感じた。
そもそも凌汰は自分の家に帰るのだろうか。
「そうだよね。ごめん」
恭祐の声を、半袖短パンで走る男性が荒い息で追い越し、攫っていった。三人は無言でただその男性を目で追っていた。肌にはハリが無くそれなりの歳を感じたが、縮こまる三人よりも若々しく見えた。
「すげぇな」
男性が遥か先で小さくなった頃、宏太がぼそっと呟いた。
「信号待ちのとき足踏みして待ってそう」
恭祐が言った。
「わかるー。食事とかめっちゃ気を使ってそう」
凌汰が続けて言った。
「わかるー。疲れて通勤のとき電車で寝てそう」
恭祐が返した。
『わかるー』
凌汰と宏太の声が重なり、三人は顔を見合って笑った。凌汰は順番を譲るように手を宏太に差し出す。
「会社ではめっちゃ大人しそう」
宏太の言葉に二人は笑い交じりで「わかるー」と合いの手を入れた。
「コーヒーのブラック苦手そう」
『わかるー』
「家庭菜園やってそう」
『わかるー』
「家庭では立場弱そう」
『わかるー』
「犬飼ってそう」
『わかるー』
「百円引きクーポン好きそう」
後半はあの男性がどんな人物であろうとどうでも良かった。突然できたノリに合わせ、派生していくのがただただ楽しかった。
恭祐は三人で笑い合う時間を零れ落ちないように、この目で心で、全部受けとめたかった。
そうして歩いているとあっという間に次の店に着き、吸い込まれるように三人は店内へと入っていった。
「九時半だ。次どこ行こっか?」
店から出ると宏太はスマホで時間を確認した。
店内には朝活として勉強している学生がちらほらいた。長居しても問題なさそうだったが、少しでも笑うと他の学生から白い目を向けられ、別の居づらさを感じた。
「久しぶりに行く? ラーメン屋」
凌汰の目が輝いていた。
「そっか、十時開店だからもうすぐだね」
恭祐が答える。時間を口に出したせいか反射的に腕時計を目にしてしまった。これでは現在時刻が分からないのだとすぐ気づいたが、最初に見た時よりも更に左に傾いていて違和感を覚えた。
しかし、残り時間を示すこの腕時計は見ていて気持ちの良いものではない。深く考えることはやめた。
『great』。この看板の文字は、あの時から何も変わっていなかった。
世の中は僕らを置いて行ったが、このラーメン屋は変わらずに待ち続けているような安心感を、恭祐は感じた。
「なんか、久しぶりに来た感じがしないな」
宏太の言葉に、同じことを思っていたのだと嬉しくなった。
宏太が扉を開けると、「いらっしゃい!」という威勢のいい声が飛び出してきた。店内は雰囲気も人の混みようも何も変わっていなかった。
「宏太!」
一番最初にお店に入った宏太を見るなり、店長は名前を叫んだ。その後に続く恭祐や凌汰にも顔を見るなり、「恭祐! 凌汰!」と声を上げた。周りのお客さんもその声につられ、恭祐たちと店長をチラ見する。宏太は周りの視線を感じ、控えめに頭を下げた。
「久しぶりだな。元気か?」
親戚のように迎えられ、いつも座っていたカウンター席へ店長直々に案内された。左から凌汰、恭祐、宏太といつもの並びで座る。
「相変わらず混んでますね」
凌汰が上着を掛けながら、店長に言った。
「まあな。あんたら来なくても全然忙しいから」
忙しなく用意をする店長に宏太は「毒吐きますね」と笑った。
その後すぐに注文が殺到し、店長が恭祐たちの相手も出来ないほど忙しくなったため、鈴が水をテーブルまで運んできた。
「ああ見えて結構喜んでますよ。いつも気にしてたので」
「そんな感じする」
宏太は注がれた水を一口飲んだ。
「あの、実はまた新作メニューを考えてるんですけど、店長あんなんだから中々思いつかなくて。一緒に考えて欲しいんです」
鈴はメニューを開き、「新作はまだかってお客さんに急かされちゃって」と言いながら『Coming soon』と書かれた黒いシルエットを指さした。
「あの店長、またやってんの。普通、新作が出来てからこういうの出すでしょ」
宏太が少し呆れたように言った。
「そうなんですけど、あまりこういう事が得意じゃないみたいで。また、力貸してください」
鈴が頭を下げて恭祐たちにお願いをした。顔を上げて「凌汰さんも」と付け加える。依頼の本命は凌汰なのだとその場の誰もが理解した。
凌汰は鈴からの指名に戸惑いを見せた。
「いやいや、俺もそんな毎回答えられないし。それに、俺がいなくなったらどうするの。店長に考えてもらおうよ」
「いなくなる予定があるんですか?」
鈴の純粋な瞳に凌汰は「あ、いや」と言葉を濁した。
「俺、醤油ラーメンにしようかな」
宏太がメニューから目を離さずに注文をした。恭祐と凌汰も「俺も俺も」と続き、醬油ラーメンを三つ注文した。鈴は受けた注文を繰り返すと、一礼して席から去って行った。
「ありがとう。宏太」と凌汰が感謝の言葉を伝えた。
「何が。腹減っただけ」
宏太はその後もずっとメニューで顔が覆われていた。
* *
凌汰と一緒にいることを、宏太は夢のように感じていた。
いや、きっと今までが夢の中だったんだろう。これまでは当たり前のように一緒にいたのだから。
そう自分に言い聞かせていると、嫌でも現実が見えてきて辛くなった。
左腕の時計を見る。小窓には6と表示されていた。胸が痛む。それは今まさに夢の中を泳いでいると分かる数字だった。
「なあ、この腕時計外さないか?」
宏太は恭祐と凌汰に問いかけた。
残された時間の中で気分を害されている時間がもったいない、そう思えて仕方がなかった。一秒でも長く凌汰と一緒に居たいし、一秒でも長く楽しいという感情を凌汰と共有していたかった。
「俺は付けておくよ」
凌汰の小さい声はひどく穏やかだった。
「俺も。外さないかな」
恭祐も同じだった。
「何で。こんなん見てても良いもんじゃないだろ。過ぎていく時間を見せられてさ」
宏太の温度が上がる。この一週間は穏やかに楽しくいると決めたはずなのに、分かり合えないことに苛立ってしまう。
「忘れそうで怖いんだ」と凌汰が口を開いた。
「何を忘れんだよ」
「気付けばあの時みたいに三人で過ごしてる俺がいるんだよ」
「いいじゃん、それで。そうやって過ごす時間だろ。だから、こうやって醒めるものはいらないだろ」
宏太の言葉に凌汰は首を振った。
「何?」と発する宏太の声には苛立ちが混ざり、温度がさらに上がる。
「宏太、あの時とは違う。俺はもう死んでるんだよ」
凌汰は優しく、しっかりと宏太を捉えていた。それから逃げるように宏太は目を逸らす。
「は? 凌汰がそれ言うの?」
醒める。一番醒める。
「俺はこの一週間しかないんだ。一週間で何が何でもけりを付けなきゃいけない。中途半端で終わりたくないんだよ」
凌汰の言葉には、優しいが熱がこもっていた。
ずっと聞いていた恭祐が「けりって?」と凌汰に聞いた。
「気持ちに。未練残したくないし」
明るく言った凌汰に対して、恭祐は「あぁ」としみじみとしていた。
「醤油ラーメンでーす!」
威勢のいい声で鈴がテーブルまで運んできたが、恭祐たち三人の雰囲気を感じたのか、「お待たせしました」の声が尻すぼみになっていく。特に深入りする様子もなく、鈴は静かにラーメンを置いて去って行った。
沈黙の中、誰もラーメンに手を伸ばさないでいると、「いただきます」と凌汰が手を合わせ食べ始めた。その姿につられ、恭祐も手を合わせ食べ始める。宏太も食べなければと思うが、合わせた手が震えた。このラーメンを食べる事が怖かった。自分は美味しく感じられるだろうか。美しい思い出がこの瞬間に色褪せて萎んでいかないか。どうにか美味しいと感じてくれ。目をぎゅっと瞑り、必死に願った。
「どうしたの?」
目を開けると、心配そうに見つめる凌汰の姿が宏太の視界に映った。恭祐も麺をすすり終わると、宏太を見た。
「いや、なんでもない」
宏太は二人に笑顔を向けると、覚悟を決め、平然を装い、麺を口に運ぶ。心の中で美味しく感じてくれと何回も唱えた。
迎え入れる口の中には出汁の香りが広がった。そして丁度よい塩味、コシのある麺。
「美味い」
久しぶりに美味しいと感じた。生きていると思えた。宏太は心の底から安堵した。
それからは箸が止まらなかった。食事に飢えているのだと感じた。久々に満足のいく食事だった。
そんな貪り食う姿に凌汰は笑い、恭祐は引いていた。凌汰は「初めてラーメン食べたの?」と涙を流して笑っていた。どんな形でも凌汰が笑っていてくれることが宏太には嬉しかった。
お店の外に行列が出来ていたにも関わらず、恭祐たちはファミレスのように、外が薄暗くなるまで話し込んでしまった。回転率を妨げる迷惑な客だっただろうに、店長は追い出すことも無く、仕事の隙間に恭祐たちの会話に参加していた。店内が少し落ち着いてきたその隙間に、私服姿の鈴がカウンター席の横まで来て「お先に失礼します」と言って帰って行った。スマホで時間を確認すると、十九時を少し過ぎたところだった。
「もう十九時かよ。過ぎるの早いな」と宏太のふいに零れた声に、店長は青いものを見るように笑った。
「何」
宏太が笑われた恥ずかしさでぶっきらぼうに聞いた。
「いや、時間の過ぎるのが早いとかおっさん臭いこと言ってるから、ちょっとおもしろくてね。そんなのは俺みたいになってから言えよ。今のうちからそんなん言ってると老けるぞ」
店長は余裕そうな大人の表情をして、調理を続けていた。「なんだそれ」と宏太は背もたれに全体重をかけ脱力した。
「そんな不貞腐れんなって。おっさんはな、君たちが羨ましいの。きらきらした青春時代の真っ只中で、自由に使える時間が無限にあってさ。『暇』なんて言葉、大人になったら忘れちゃったよ」
店長の声は軽やかに弾んでいた。宏太は凌汰の事が気になった。手元の作業に集中する店長は、話し相手の表情など全く見えていない。楽しそうに懐かしむ店長は、目の前に座る凌汰がどんな気持ちでいるのかを全く知らない。凌汰は顔を俯き、隣の恭祐も顔を俯かせた。
「おい、どうした? 食あたりか?」
店長は俯く恭祐と凌汰に気付き、ひどく動揺していた。凌汰はその言葉に首を振る。
「店長はさ、俺たちが暇そうに見える?」
凌汰の質問に店長は作業を止め、しっかりと凌汰を見つめた。
「楽しそうに見えるよ」
凌汰は笑い「そっか」と、胸を撫で下ろした。
「俺はさ、最近、もっと時間を有意義に使えよって喝入れたくなるような若者が多いんだよ。その点、君たちは一生懸命で青い」
暖かい目を向ける店長に、宏太が「青い?」と聞いた。
「汗臭く、泥臭い。そこが好きなんだよ」
恭祐が「えっ」と声を発し自分自身を嗅ぐと、「そういう意味じゃないよ」店長は腹を抱えて笑い、「そういうところだな。うん」と自己完結していた。
店長の勤務時間がもうすぐ終わるとのことで、恭祐たちもお会計を済ませ店を出ることにした。
店長から「はい。これ来月から使える割引券ね」と三人に渡される。受け取る三人の表情が全て曇っていた。
威勢のいい「ありがとうございました」と言う声に押し出され、店を出た。
「これさ、使ってくれない?」
少し歩いたところで凌汰が先程貰った割引券を差し出した。三人が街灯の下で立ち止まる。凌汰が差し出した割引券に手を伸ばす者はいなかった。
ラーメン屋を出た後、ハンバーガーショップへと場所を変え、時刻は夜の十一時を過ぎ、帰りのことを気にする時間帯となった。
宏太が無意識にあくびをすると、恭祐が「眠い?」と宏太に声を掛けた。その様子を見た凌汰が「もうそろそろ帰る?」と提案した。
「凌汰は家に帰るの?」
宏太が聞いた。恭祐は黙って二人の様子を見ていた。
「家には帰らない。親には会えないし。」
凌汰が寂しい目をして答える。
「会いたくないの?」
「会いたいよ。だけど何て言えばいいの? 一週間だけ蘇ってますって言って信じてもらえる? それに、別れ際にまた辛い思いをさせるんだよ。今度は一生の別れです、ってね」
凌汰は自嘲気味に笑った。宏太は何も言えなくなり、静かにドリンクを一口飲む。恭祐は変わらぬ様子で二人を見ていた。
「ごめんね、嫌味言って」
凌汰は目を合わせず、遠くを見て謝罪した。宏太は「いや」と答えるも言葉が続かなかった。
「本当はそれだけじゃないんだ。家族に辛い思いさせるっていうのもあるんだけど」
凌汰はそこまで言うと、詰まったように黙ってしまった。恭祐が「水橋くん?」と呼びかけると凌汰の視線が恭祐へと移った。その瞳が動いた瞬間に一筋の涙が頬を伝った。
「家に帰って、遺影とか仏壇とか、自分の死を客観視するのが怖い。本当に死んでるんだなって実感するのが怖い」
凌汰は涙を拭って空を仰いだ。恭祐の目には涙が溜まり今にも零れそうだった。
「ごめん、もう何も話さなくて大丈夫だから」
宏太はなだめるようにして凌汰の話を止めた。これ以上聞いていられなかった。流れ込んでくるのは軽快な店内のBGMだけで人の声はしなかった。
時刻はもうすぐ十二時を指そうとしていた。
「ウチに泊まる?」
重苦しい空気を打ち破ったのは、恭祐だった。そんな恭祐に凌汰は首を横に振り「ホテルに泊まる」と答えた。
「ホテル?」
宏太が言った。
「隼都くんが取ってくれたんだ。だから寝泊りは大丈夫」
凌汰はそう答えると、恭祐に「ありがとね」と伝えた。
その時、三人の腕時計は6から5へと変化した。
* *
二日目は宏太が「駅前に集合」と呼びかけた。自分から集合を掛けた手前、遅れてはいけないと約束の三十分前に着いてしまい、時間を持て余した。サラリーマンの波が宏太の横を流れていく。飲み込まれたら一溜まりもないと端へと避けた。それが落ち着いてきた頃に、恭祐と凌汰は現れた。
「お待たせー!」と凌汰の声が響く。昨日とは違い、そのテンションは明るかった。寝不足だろうか、目の下に出来たクマが宏太には少し気になった。
「今日はどこか行くの?」と恭祐が聞くと、宏太はよく聞いてくれましたと言わんばかりの顔をする。宏太が満を持してスマホの画面を見せ、恭祐と凌汰は覗き込んだ。
「え! これテーマパークのチケット?」
「今から? 今から行くの?」
画面に映し出されたのがチケットだと分かると、恭祐と凌汰は思い思いに喜んだ。そんな二人を見て、宏太は用意した甲斐があったなと頬が緩んだ。
恭祐が「渡邊くんもこんなサプライズするんだね」と冷やかすと、宏太は緩んでいた顔を引き締め、「たまたま取れただけ」とぶっきらぼうに答え、ひとり足早にホームへと向かっていった。その後を恭祐と凌汰は小走りで追いかける。
車内には疲れた大人たちが揺られていた。手元の画面に気を取られ、車内の揺れに大きくよろける人もいた。
目的地に近づいてくると、車内は段々と同じ目的地の人たちが占めていった。キャリーケースを引く人やキャラクターの被り物をする人たちが増えていった。最寄り駅で降りるとそれからは人の流れに付いて行くだけでいいので簡単だった。
宏太は自分のキャラにも似合わず、はしゃいでいると客観視は出来ていたが、それを抑え込める術は無かった。隣を見ると恭祐も凌汰もはしゃいでいるようだった。それを見て自分がはしゃぐのも致し方ないのだと思えた。
パーク内は人で埋め尽くされていた。どこに行くにも人を縫って行かなければならないほどだった。
「すごい人だね」
雑踏の中、隣で歩く凌汰の声がギリギリ聞こえる程度だった。
これだけの人がいると一日の時間のほとんどを待ち時間に使った。その分、三人で談笑が出来たので、苦にはならなかった。話すことに夢中になり過ぎて行列が進んだことに気付かないくらいだった。
外にいると一日の速さを体感する。日が短いので、あっという間に太陽は傾き、空は赤く染まった。次第に明かりが点き始め、パークは顔を変える。宏太は、段々と終わりに近づいていく寂しさを感じた。
宏太はカメラロールを開き、今日撮った写真を確認する。スマホの中の三人は眩しいくらいに笑っていた。こんなに笑ったのはいつぶりだろう。
「こんな感じだったな」
宏太は、この久しぶりの感覚が懐かしかった。それと同時に、今までこんなに楽しくて幸せな毎日を過ごしてたんだと気付かされた。
「戻りたいな」
宏太の声は空へと向けられた。
夕焼けは一瞬にして過ぎ去り、空は黒へと変化していった。
ありったけの体力を使い果たし、帰りの電車では三人とも灰のようだった。
「もう帰る体力残ってないよ」
三人の中で一番体力のない恭祐が言った。
「じゃあ、ホテルで仮眠してく? ここからだと誰の家よりも近いよ」
「いいの?」
恭祐の目に輝きが戻る。
「もちろん。宏太も寄ってく?」
凌汰に聞かれ、宏太は黙って頷いた。凌汰と長く居られるのは嬉しいようで、少し怖さもあった。
そこから三駅ほどで下車し、凌汰の後に付いてしばらく歩くと、ホテルが見えてきた。
「駅から歩いたねぇ」
今にも倒れそうな声で恭祐が言った。
「駅からはちょっと遠かったかな。部屋までもうすぐだからね」
凌汰は子供をあやすように言うと、迷わずエレベーターへと乗る。八階で降りると、ロビーとは空気が変わり、その静かさは誰もいないかと錯覚する程だった。カードキーをかざしてドアを開けると、室内はダブルのベッド一台とベッドにもなりそうなソファが置かれていた。
「まるで、三人で来ること見越してたみたいな部屋だな」
宏太が部屋を見るなり呟く隣で、恭祐はソファに飛び込み深い寝息を立てた。
「宏太も休む?」と凌汰がベッドを指すと、宏太は「いい。凌汰が休みな」と譲った。しかし、宏太もいつの間にか座りながら寝てしまい、気づけば朝を迎えていた。
それから三人は、ホテルで寝泊りをするようになった。お菓子やゲームを持ち込み、夜通し部屋で遊ぶ。昼は遊びに外に出る。
そんな生活をしていた三日目。いつものようにホテルへ戻るときに、恭祐は「そろそろ家に帰るよ」と言った。
宏太は、理解出来なかった。凌汰との時間が一秒でも惜しくないのかと怒りが湧いたが、凌汰がいる手前、何も言わず黙って見送った。
その日から恭祐は、三人で一緒にいても、一足先に家に帰るようになった。現地で別れ、宏太と凌汰の二人でホテルに戻るようになった。恭祐が先に帰る時に、凌汰は毎回「ありがとね」と言って手を振っていた。
腕時計を見ると残り時間はあと一日。恭祐の付き合いの悪さには見て見ぬふりをした。
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