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「隼都、ちょっと来なさい」

 廊下を歩く隼都を祖母が呼び止める。隼都は後に続くように祖母の仕事部屋へと入った。目の前には中学生以来の景色が広がる。祖母と同業者となってからは、恐れ多く入れなかった場所。懐かしさと緊張が入り混じった。

「失礼いたします」

「そこに座りなさい」

 祖母の向かいに正座をする。

 そこに居たのは、あの頃の、物珍しそうに辺りを散策する少年とそれを微笑ましそうに見つめる優しい祖母の姿ではなく、姿勢を正し緊張の眼差しで見つめる隼都と威厳のある祖母だった。

「最近よく来てる青年は誰だい?」

 隼都は、宏太のことを言っているのだとすぐに分かった。

「お客様です」

「随分、お客様と仲良さそうだけど」

「すみません」

 隼都は両手を付き、頭を下げた。

「お客様は友達じゃないんだよ。距離ってもんを考えな。近すぎると情が移る。辛くなるのは隼都の方だよ」

「はい、すみません。以後、気を付けます」

 隼都は頭を上げると祖母の背後にある棚に目が入った。棚には写真が飾られている。その写真は祖母と父と隼都の三人が写っていて、隼都が小さい頃から最近のものまで成長記録のように並んでいる。どれも母の姿はなかった。

「おばあ様、ひとつ聞いてもいいですか」

「なんだい」

「母のことは覚えてますか」

「……覚えてないね」

「僕は昔、事故に遭っています」

 その瞬間、祖母の顔つきが変わった。

「そのことが何かね」

「僕と母の身代わりをしたのは、おばあ様ですか」

「無駄なことを考えるのはやめなさい」

「おばあ様」

「話は終わりだ。出て行きな」

「おばあ様!」

「聞こえないのかい」

 低い声でまるで静かに威嚇をしているようだった。

「……失礼します」

 隼都は祖母の迫力に追い出されるように部屋を出た。戸を閉めると布団の圧縮袋を開けたかのように肺の隅々にまで酸素を取り込む。

 祖母の仕事部屋から隼都の仕事部屋までは少し距離があった。つま先を曲げて冷える廊下を足早に進む。外気が入って来るせいか、玄関前を横切る時が一番寒く感じた。

「隼都くん!」

 突然、名前を呼ばれ急停止する。目線をやると、玄関には恭祐の姿があった。

「どうしたの」

「隼都くん、ちょっといいかな」

 隼都は黙って頷き、自分の仕事部屋へと案内した。



「今日は降霊じゃなくてね、話があって来たんだ」

 部屋へ着くと、隼都が促さなくても、慣れたように恭祐は空いている座布団へと座る。 隼都は、思い当たる節があり何も答えられなかった。

「隼都くん?」

 恭祐は、返事のない隼都の方を不思議そうに振り向いた。

「あ、えっと、飲み物何がいいですか?」

「じゃあ、オレンジジュースあるかな?」

「オレンジジュース?」

「今、そんな気分なんだ」

 恭祐は力なく笑った。

「可愛いもの飲みますね」

「俺、可愛いからね」

「どんな冗談ですか?」

 恭祐は微笑む。隼都は「じゃあ持ってきますね」と、冷蔵庫から冷えたペットボトルのオレンジジュースを取り出した。ラベルをじっと見つめ、深呼吸をする。

「はい、オレンジジュース」

「ありがとう」

 恭祐は一口飲むと、息を整える。 隼都の表情は重くなっていく。

「隼都くん、俺ね」

 恭祐が話始めると、「この前は、ありがとうございました」 と隼都の明るい声が恭祐の言葉を遮る。

「え?」

「ご飯奢ってもらって。また、行きましょうね」

「隼都くん、あのね」

「また、行きましょうね」

 隼都は『また』を強調して笑顔を向けた。「うん」と力づくでも言わせようとしているのが嫌でも伝わるほどだった。

「あの」

「ね、恭祐くん」

「ちょっと」

「また、ね。絶対」

「あのさ」

 しかし、恭祐は頑なに「うん」とは答えようとしなかった。

「恭祐くん!」

 隼都の呼ぶ声が強くなる。

「……何?」

 弱々しい声だった。恭祐のその声を聞いて、隼都は「いや、何も」としか言えなかった。

「じゃあ、いいかな。今日、俺が来た理由」

「うん」

 隼都には止める術が、もう残っていなかった。

 恭祐が手を上げる。天に向かって垂直に、指先までぴんと伸ばし揃える。授業参観日の小学生のような挙手だった。

「水橋くんの身代わりに立候補します」

 隼都の視界は目の前の恭祐を滲ませ、蜃気楼のように揺れた。

 隼都はゆっくりと目を閉じ、呟く。

「そんな笑顔で言わないでよ……」

 恭祐の表情は輝いていた。



*   *



 冬の朝は痩せた宏太にとって厳しいものだった。肺が痛くなるほど冷え込んでいる。

 昨日の夜中に大雨が降ったことで、空気が澄み、眩しい朝日で街はキラキラと輝いていた。

 寒さで固くなっているインターホンを鳴らすと、眠そうな顔の隼都が出迎えた。

「宏太くん?」

「今日は、伝えたい事があって。ちょっと時間いい?」

 隼都は返事をするのに一瞬間が空いたが、「中、入って」 と、いつもの部屋に促した。普段は真っ先に座っていたが今日は座らない。

 隼都が「どうぞ」 と声を掛けると、隼都に促され、やっと座ることにした。隼都が前に座る。

 二人が向き合い、何もない時間が流れる。宏太から話を切り出す気配はなく、隼都からも聞く素振りは無い。誰からも話そうともせず、何を言おうとしているのか、分かっているようだった。

「今日で、最後にしようと思う」

 唐突に発した宏太の声は雨上がりの湿気で沈んでいくようだった。

「うん」

 隼都とは目が合わない。

「今までありがとう」

 宏太は頭を深く下げた。隼都からの反応は何もなかった。

 宏太が顔を上げ、「それだけ言いに来た。じゃあ」と片足を立てた時、「だったら」と隼都が口を開いた。

 宏太は動きを止め、隼都を見つめる。

「最後だから、生きてた時の凌汰さんを降霊させてあげます」

 隼都は宏太を見る事無く、何もないテーブルの上から目線を外さなかった。宏太は立てた片足を元に戻した。

「生きてた時って?」

「肉体もってことです。まるで生きていた時のように。一週間です。これで本当に最後」

「一週間も?」

 また凌汰に会える。

 顔が見れる。

 声が聞ける。

 握手も肩も組める。

「嬉しい。嬉しいよ」

 宏太は泣いて喜んだ。幼い子のように声を出して泣いた。

 宏太の表情が晴れる一方で、隼都の表情は曇りを増していった。

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