『刺客には向かない』

  一、


 死の王に死を与える。

 それが少年に課せられた使命だ。

 小柄で痩せぎすの体に女性にょしょうの衣をまとい、長く伸ばした髪で顔を隠す。視界の妨げにならぬようまとめ上げる時も来よう。その際は化粧が少年の痕跡を消し去るだろう。

 死の王ジェス。そのふところ深くに入り込み、必ずやこれを仕留めてみせる。

 懐剣かいけんには神々の紋様が刻まれている。よく見ればどの神の紋様であるか巧妙に隠された図案となっていることに気づくだろう。少年も力の源たる神の名は知らない。己の後ろ盾すらも。

 捨て駒なのだ。それでも、紋様は少年の力となるだろう。神を害するに神の力を以てする。それだけの話だ。


(略)


(――来た)

 月が欠けていく。そのうつろの中に人ならざる者の影が芽生え、次第に地上へと近づいてくる。

 少年は影に向かって膝をついてこうべを垂れた。

「王よ!」

 短く叫び、丈の合わぬ袖をたくし上げる。

「ご慈悲を」

 視線は合わせぬまま、右腕に彫られた入れ墨を高く掲げる。

 奴隷の証だ。

 死を以て契約の終わりとするものであり、これを科せられた者が時折ジェスの下に逃げてくると言われている。ジェスによって生きながら死の国へと赴くことが叶えば契約を無効にできるからだ。

 入れ墨そのものに嘘偽りはない。

 少年は待った。

 ジェスは無言。その表情を窺うことなく、少年はひたすら待った。

 不意に視界が回転した。つまり、抱きかかえられたのだと気づいた時には、大地は遠く、急速に離れていった。



(略)


 入れ墨が消えている。

 そして、懐剣の紋様も。

「契約は終わりだ」

 不意の呼びかけに、少年は反射的に振り返った。

 いつの間にかジェスが背後を取っている。取っている、と少年は認識した。後ろめたさ故に。

「お前を縛るものは永遠とわに失われた」

 ジェスの表情に感情の揺らぎは見られない。ならば、これ以上顔を突き合わせる必要はない。

 驚愕が面に出てしまったのを誤魔化すため、少年は俯き、失われた入れ墨に意識を向けた。

「……よもや跡形もなく消え去るとは」

 跡形もなく消え去ったもう一方、剥き身の懐剣は、敢えてそのままにした。隠し立ては立場を悪化させる。

「それは?」

「一族の形見、そして唯一の財産です」

 これも嘘偽りはない。

 返ってきたのは曖昧な首肯。そして、

「まだ名を聞いていなかった」

 ジェスは問う。「名は?」

 少年は、ようやく平静を取り戻したおもてを上げた。


「……ミュラス、と申します。死の王」



(『刺客には向かない』。女のふりをして冥府に潜り込みジェスを亡き者にしようとするミュラスと、彼の背後にいる神のいぶり出しにかかるジェスのBL。全三巻)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神話の肥りゆく様 や劇帖 @yatheater

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ